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26 遠い昔と失われた記憶

 夢を見た。

 遠い昔の記憶。


「――さあ、始めよう」


 知らない男の声が響く。


 真っ暗闇。自分以外にも泣き叫ぶ子供が周りに居た。

 けれど、その声も次々と減っていく。

 埃っぽい小部屋に閉じ込められた子供達の声は、やがて少なくなり、消えた。


 嫌がる子供を引きずっていく男は、顔を隠してローブで体格すら曖昧にしていた。


 気づけば、たくさん居た子供は居なくなっていた。


 最後に残ったのは自分だ。

 特上は最後に残しておくもの、そう笑った男が居た。

 その男は、自分に手を伸ばした。


 あの後、自分はどうなったのだったろうか――。




「……ヴィルフリート」


 そこで、気遣わしげな声が聞こえた。

 

 薄闇の中でぼんやりと手を伸ばすと、柔らかくて温かなものが指先に触れる。

 硬い床に転がされて寒くて苦しい思いをさせられたヴィルフリートにとって、それは救いにも思えた。


 甘い匂いと滑らかなそれが頬をくすぐる。

 心地よさに、ぐちゃぐちゃに乱れた心は、それが欲しいという気持ちで一杯になって、求めようともう片手を伸ばして。


「……大丈夫ですよ、ここに居ます」


 すぐ側で柔らかい声が聞こえて、瞳を開けば、柔らかい春色の髪が腕の中で揺れていた。


 体にかかった重みはとても柔らかくて、ぬくい。

 こちらに沈みこんでくるその感触は何というか夢見心地になりそうで、実際半分夢でも見ているんじゃないかと思う。


 すみれを思わせる澄んだ瞳は近く、髪と同色の睫毛すら一本一本数えられそうな程、側に居る。

 心配げに揺れる眼差しはじっとこちらを見ていて、視線が合うと少し安堵したように瞳は細まった。


「……ヴィルフリート、良かった。起きましたね」

「……エステル様?」


 吐息も甘くてくらくらするものの、それだけ絞り出すと、エステルは「私以外に誰が居るんですか」と笑って、そのままヴィルフリートにもたれる。


 そこで、エステルが自分に乗っている事に気付いた。


 乗っている、と表したがおそらくエステルは悪くないだろう。引き寄せた覚えがある。

 ヴィルフリートがベッドに横になっている状態で手を引けば、こうなるだろうというのはすぐに分かった。


(……やばい、これは流石に怒られるのでは)


 体にかかる重みは苦ではないものの、柔らかさと、距離がとてもまずい。無意識とはいえ自分でしたのだから、自分の寝ぼけ具合を恥じ入って今すぐに壁に頭を打ち付けたかった。


「うなされていましたよ。大丈夫ですか?」

「……すみません、招いたのに寝てたみたいで。その上寝ぼけて抱き締めるとか恐れ多い事を」

「いえ、私は大丈夫ですよ。びっくりしちゃいましたけど」


 そりゃあびっくりするだろう、いきなり男にベッドに引きずり込まれて抱き締められたとなれば。


 見知らぬ男女でなればトラウマ案件に発展するものだが、エステル的に信頼するヴィルフリートだから気にしないようだ。

 頼むから気にして欲しい、と内心で呟いておく。


 流石にこの体勢は双方共に負担が大きいので(割合的に一対九でヴィルフリートが九割だが)降りるように促すと、エステルはあっさりと上から退いてくれた。

 ただベッドの上からは降りずにこっちを窺ってくるので、何というか若干同じベッドに上がっている事に気が引ける。


「あー、すみません本当に」

「いえ、そんな申し訳なさそうにされても……。ところで、何の夢を見ていたのですか」

「……筆頭魔導師になるって目標が定まった時の夢ですね」

「……そんな大切なときの夢なのに、あまり顔色は良くないですよ」

「良い夢ではありませんから」


 何故今になってあんな夢を見たのだろうか。

 先日十年前の事件を思い出す事があったからなのか、それとも偶々なのか。


 正直なところ、この夢は出来れば見たくなかった。

 当時十歳で割としっかりしていたと自負出来るヴィルフリートですら、次々に子供達の悲鳴が響いては消えていくあの環境は恐怖でしかなかった。


 魔法が使えれば苦もなかったが、魔法を封じられた状態で隔離されていたので、ヴィルフリートでも無力な子供でしかなかった。

 記憶は思い出したくなくて自動的に封印されているのか、衝撃過ぎて忘れているのか、断片的にしか思いだせはしないが……怖かったのと、胸糞悪かった事は覚えている。


 こんな事をエステルに話すのもどうかと思ったが、どうやらヴィルフリートがうなされていた事が気になって仕方ないらしいので、かい摘まんで話す事にしよう。


「……昔、数十人単位で子供が誘拐された事件があったのをご存知でしょうか」


 まずは、始まりから。

 

 その切り出し方にエステルがやや身を強張らせたような気がしたが、愉快な話ではないと悟ったのだろう。

 なるべくマイルドに話そうと決めて、ヴィルフリートは続ける。


「まあ俺もろくに覚えてはいないのですけど、誘拐されたんですよ。何か魔力持ちが狙われたそうです」


 後から分かった事ではあるが、魔力を持った子供が狙われたそうだ。


 どうして魔力持ちが狙われたのかは分からなかったが、出生届を国に提出する際に軽い検査があるらしく、そこで子供の魔力は発覚する。


 情報がどこかで漏れれば魔力持ちも誰だか分かるが、そもそも魔力は持っている人間も少ない訳でもない。

 大小あれど、ささやかながらに持っている事が多いのだ。国民の三分の一くらいは魔力持ち、という統計すら出ている。


 その上魔力持ちは隠す事はあまりなく日常生活に役立てているのが殆どなので、魔力持ちの特定は容易なのだ。


「何でそんな事をしたのか、という事は十年経った今でも明らかにされていません。ただ、子供達はさらわれて魔力を奪われた、という事だけは確かです」


 ヴィルフリート以外の子供は、例外なく魔力を抜かれていた。

 それどころか体内にある魔力の製造を司る器官すら壊れていた子供達が多かった、と聞いている。何でも、負荷がかかりすぎたそうだ。


 運よく壊れていなくても、弱まったりほぼ常人のそれになっている子供達ばかり。

 その中で、ヴィルフリートは恐らく唯一、無事に近い子供だった。


「それで、まああんまり覚えてないのですけど……俺も子供達と同じように魔力を奪われて、死にかけたらしいんです。そこで、誰かが助けてくれたんです」


 薄暗い上に恐怖からか記憶は曖昧で、助けてくれた男の顔は覚えていない。ただ比較的若い男だったようにも思える。


 いきなり光が差したから眩しすぎて見えなかった、というのもあるが、不鮮明で不明瞭で、ろくな手懸かりもない。

 その上大した記録も残っていないので、探しようがなかったのだ。


「気付いたら俺は魔導院に居て、治療と検査を受けてました。幸いと言っていいのか、その訳の分からない誰かの陰謀は途中で阻止されたのか、俺に影響は何もありませんでした。むしろ魔力の調子が良いくらいでしたから」


 この辺りも事故直後で記憶が曖昧な上に、他の子供達も搬送されててんやわんやしていたらしく、ヴィルフリートが真実を得る事はなかった。


「助けてくれた人が誰だか分かりませんでしたが、薄れ行く意識の中筆頭魔導師、という声が聞こえたから、その人は筆頭魔導師だったのかなと。まあ、この間結局違うみたいと分かったんですが……その人にお礼が言いたいのと、俺も誰かを助けられるようなそんな風になりたいって思ったのが、筆頭魔導師になりたいと思うきっかけでしたね」


 生きているかも死んでいるかも、魔導院に居るかも分からないその人に、十年越しの感謝を伝えられたら、と思うのだ。


 筆頭魔導師とは違ったようだが、強くなりたいのは事実だ。そもそも誘拐される前に自分で対処出来たらこんな事にはならなかったので、強くなると決めた。


 エステルは静かに話を聞いていたが、やや顔色が悪かった。

 あまり女性に聞かせる話でもなかったかもしれない。


「……ヴィルフリートは、今でも筆頭魔導師になりたいと思っていますか?」

「そう、ですね。前ほどではありませんが……なれたら、とは思いますよ。ただ、エステル様を超える実力を持たないといけない訳ですし、道のりは遠いな、と」


 先日エステルの実力を思い知って、目標は変えないが相当に険しい道のりだという事も理解したので、まずはエステルを超えなければならない。


 それがどれだけ難しいのかは、魔法を学んで自分の実力を理解しているヴィルフリートにはよく分かる。


「……結局、あの時の事は分からないまま。俺はそれが知りたくて魔導師の道を選んだ、というのもあります。まあ結果だめだめなのを自覚した訳なんですけど」

「ヴィルフリートはだめだめなんかじゃありません!」


 自嘲混じりに言えば珍しくエステルが声を荒げたので、普段のほほんとしたエステルばかり見ているヴィルフリートにとってやや衝撃だった。


「どうしたんですか、急に」

「……そんな、卑下しないで下さい。私より、あなたはずっと凄い人です」

「エステル様こそご自分を卑下なさりすぎては?」

「私は……そんな、大層な人ではありません」


 弱々しく笑みを浮かべたエステルが瞳を伏せる。


 何故エステルがそんな表情をするのか、ヴィルフリートには分からない。

 ただ、このままでは良くない事だけは、分かった。


「……何を抱えていらっしゃるのか、俺には分かりません。けど、俺としてはやっぱりあなたは凄い人ですよ」

「……ヴィルフリート」

「どうしてあなたが泣きそうなんですか」


 すみれが朝露を浮かべるように濡れていくので、見てもいられずそっと小さな頭を撫でる。

 どういう心境なのか、ヴィルフリートに理解出来るものでもなかったが……悔やんでいるようにも、聞こえたから。


「ほらエステル様、デザート作ってますから食べて元気になりましょうか」

「……はい」


 悲しい顔をみたくなくて茶化すように笑って撫でると、エステルの萎れた笑みは柔らかさを取り戻した。

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