23 第二特務室室長エステル
基本的に無邪気で天然、やや面倒くさがり。
常にはらぺこで邪気のない少女、それがエステルに対するヴィルフリートの評価だ。
のほほんとした性格と可憐な見かけがあいまって、どう見ても強そうには見えない。
初期の頃に片鱗を見せてもらった際には驚いたものの、あれから彼女の力を見る事はなく、やっぱりエステルは世話のかかるお嬢さんという認識がついているのだ。
机に頬杖ついてぐうたらしているエステルばかり見ているせいではあるが、どうもヴィルフリートには可愛い年下の少女という面ばかりが強調されている。
「……じゃま」
だが、改めて実際に目の前で見せられると、思い知るのだ。
第二特務室室長、特級魔導師エステルの実力を。
「別に私一人でも処理出来るのに、ヴィルフリートは心配性ですね」
巻き起こる爆風の余波に薄桃色の髪をなびかせ、のんびりと笑いかけるのはエステル。
辺りに響く轟音にかき消されてしまいそうな柔らかな声は、ころころと楽しそうな響きをもって紡がれる。
曇った空を背景に微笑んだ彼女に、ヴィルフリートは驚愕を表に出さないように取り繕った。
いつも書類仕事ばかりで忘れがちだが、第二特務室の本来の業務は魔物討伐だ。
魔導師の花形でもある戦闘専門職にお株を取られ役目が回ってくる事もなく、書類上の事後処理や解析等が回って来るため第二特務室の出番はほぼないのだが。
今日は違った。
緊急指令として魔物の討伐の一部を任された。
普段動いている討伐部門の人手が足りないという事で、異常繁殖した魔物の狩りをする事になったのだ。
マルコは戦闘は得意ではないので行こうとはせず、レティという人物はヴィルフリートが配属になってから一度も姿を見せない。
なのでエステルにヴィルフリート、エリクの三人で分担された場所の魔物を掃討しよう、という事になったのだが――エステルが、難色を示したのだ。
自分一人で充分だ、と。
「それにしても、珍しいですね。私にこういうお仕事が回って来るなんて」
燃える、ではなく既に炭化した死骸を辺りに作り上げながら、あくまでいつもの声音で側に居るヴィルフリートに声をかけるエステル。
魔物の死骸はそのままだと土壌を汚染する為にこうして焼却して浄化するのが一般的であるものの、軽く魔法を振るうだけでこうなるのは明らかに尋常ではない。
けれど、彼女は呼吸をするように膨大な魔力により魔法をふるい、魔物を駆逐していく。
それがなんの魔物であれ、例外なく。
「本来見栄っ張りの戦闘専門の部門は私に手柄を取られたくないからとこちらに回さないようにしています。それが今回に限って私に助力を乞うなんて、珍しい。……まさかとは思いますが、あれが職務怠慢をしたのでしょうか」
焦土となってもおかしくない大盤振る舞いではあるが、魔物のみに集中させ周囲への被害は最小限に抑えている。
普通の魔導師なら暴発させるような威力の魔法を、まるで手慰みのように軽々と振るって。
細い指先が示せば、すみれ色の双眸が写せば、それは死の宣告となって魔物達に降り注ぐ。
改めて浄化の必要はない程に焼き尽くされた死骸に、彼女は一瞥する事すらない。
仕事だからと義務的に命を強制的に終わらせて。
「手柄なんてどうでも良いのですが……ああ、面倒くさいです。尻拭いではないでしょうか、これ」
鈴を転がしたような澄んだ声で呟きながら、彼女は悠然と歩く。
邪気もなく、悪意もなく、ただそれが当たり前のように次々に命を摘み取る、天使のような見かけをした美しい死神がそこに居た。
たなびく薄桃から遠ざからないようにヴィルフリートも後を追うものの、ヴィルフリートが手出しする必要は一切感じられないし、むしろ邪魔なのではないかとすら思ってしまう。
エステルが一人で良いと言ったのは、こういう事だったのだろう。
自分一人で殲滅出来る、巻き添えを作らないように、と。
だから、エリクはついてこなかったのだろう。経験していたに違いない。
ヴィルフリートを止めなかったのは、一度実力を思い知らせるため。
「……エステル様」
「何でしょうか?」
くるり、振り返った彼女は、至って平常の顔をしていた。
ぱたぱた、と軽い足音を鳴らしながらUターンしてヴィルフリートの側にきたエステルは、相変わらずののんびりとした笑顔を浮かべている。
この惨状を単独で引き起こしたとは思えない程、彼女はいつも通りだった。
あまりにいつも通りすぎて、仕事をサボっているのではないかと思う程だ。実際は誰よりも素早く無慈悲に視界に写る魔物を片っ端から片付けているのだが。
普段とのギャップがすごすぎて、ヴィルフリートは絶句する他ない。
「……ええと、すごいですね」
「そう、でしょうか。大体私がする時はこんな感じですよ。お仕事は滅多に回ってきませんが、裏を返せばきた時は余程の事ですし」
「余程の事……今回もですか」
「こんなに魔物が繁殖する筈がないので、一応余程の事だと思います。……原因は、ちょっとまだ確定してませんが、まあその内研究班が突き止めるでしょう」
独り言が何となく聞こえた範囲では心当たりがありそうなエステルであったが、それをヴィルフリートに詳しくは話そうとしない。
エステルに隠し事、というよりは聞かれたくない、踏み込まれたくない事があるのは分かっている。それを聞きたいというのはヴィルフリートの我が儘にも近い。
他人に無闇に踏み込めば、傷付けてしまう。
それが分からない程、鈍くもない。
かといって他者の弱い部分を貫くような意思もなければ覚悟もないのだ。
「……何にせよ、俺には到底真似出来ないです。特級魔導師が遠いですね、昇級出来る気がしなくなってしまいます」
「あ、いえ、えっとですね、……その、特級がみんな私みたいとか思わない方が良いのです。こんな事が出来るのは、私と筆頭魔導師くらいですから」
自慢でも謙遜でもないような、不可思議な響きの声で首を振るエステル。
言っている内容は自慢のようで、でも全く誇らしげではなく……むしろ、痛みを伴ったように、眉を下げていた。
「でも、それだけエステル様はすごいという事でしょう」
「いえ、私がすごいというか……その、……ごめんなさい」
「何故謝るのですか」
「……謝らないとならない気がして」
罪悪感をにじませた声だ、と気付いたのは、エステルがそっと眸を伏せてからだった。
(何で俺に謝るんだ)
謝られるような事をされた覚えはない。どちらかといえば自分が傷つけてしまったようにも思える。
不快な思いをさせてしまったのは、こちらだろう。
謝ろうとして――エステルが、こちらに背を向けた。
「無粋ですね」
呟きに、遅れて空気を裂く音が聞こえた。
「……何故こんなところに」
山岳地帯に居る筈の、翼竜が……具体的に答えるなら、ワイバーンが、灰色の空に緑の彩りとして空を飛んでこちらに向かってきていた。
宮廷魔導師、それも内勤のヴィルフリートは目撃する回数は数える程、倒した数など片手に満たないその竜は、こちらを、正しくはエステルをめがけている。
遠目でも、みなぎる怒りのようなものを感じた。
「ちょっと私が派手にやったからかもしれませんね。幾度となく同胞を殺した私に感付いたのではないのでしょうか。……ワイバーン狩りしたくてしていた訳じゃないんですけどね。困りましたね、無闇な殺生は生態系を崩しますが……もう異常繁殖してるから生態系崩れてるし関係ないですかね」
「そんな悠長な事を言って、」
「焦る必要なんてないでしょう。――ほら」
何気なしに、エステルは手を振るう。
次の瞬間、頑強で強靭な両翼が、爆ぜて失われた。
一振りだけで弾け飛んだ翼。
当然、飛んでいた竜は自ら羽ばたく事も滑空する事も出来ず、ただ重力に従って落下して――。
そして、エステルの作り出した円錐型の岩に突き刺さって、自重で深々とその身に食い込ませ、絶命した。
その亡骸すら無慈悲にあの白く眩い炎で消し炭にされてしまう。残るのは、他の魔物と変わらない亡骸。予定調和の末路。
あまりにも一方的で、争いにすら発展していないその手腕に、乾いた笑みしか浮かばない。
侮っていた訳でもないし、理解はしていたつもりだ。
けれど、目の前で圧倒的な力量を見せつけられて、なんというか驚愕すればいいのか愕然とすれば良いのか感動すればいいのか、上手く自分の心の動きすら理解出来なかった。
これが、エステルの力。
筆頭魔導師に匹敵する力。
ヴィルフリートの手の届かない筆頭魔導師に一番近い、いと高き壁。乗り越えるべき壁。
(悔しい、のだろうか。俺は)
分からなかった。自分との差を見せ付けられて、悔しいのだろうか。羨ましいのだろうか。
確かなのは、エステルは辿り着けるかすら分からない高みに居て、自分はそれを下から見上げている事だけ。
近いようでどこか遠い存在に思えて――。
ぐうぅぅぅぅぅ。
近い距離で、お腹の音が鳴った。
「……ヴィルフリート、お腹すきました……」
うう、とお腹を抑えて一気にしょげた表情になるエステル。
いつもより心なしかお腹の音は大きいし、エステル自体の様子も深刻そうというか、かなりはらぺこ度が高い(ヴィルフリート目算で)。
あんな活躍をしておいてお腹が減ったと嘆く姿は、なんというか拍子抜けしそうだった。
「ヴィルフリート、私には大きな欠点があってですね」
「欠点?」
「今日朝ご飯ちゃんと食べる前にお仕事が回ってきました」
「……まさか」
「お腹すくと力が出ません」
本人の言を肯定するようにぐぎゅううううう、と情けない音を響かせる腹の虫。
肝心なところでだめだめになりそうな欠点に、笑えば良いのか脱力すれば良いのか。
本人は深刻な悩みらしくて、腹で騒ぐ虫を抑えようと躍起になっているものの、力が抜けているらしく逆にくきゅるるる、と音を響かせていた。
その姿に、思わず笑みがこぼれた。
(――遠ざけたり妬んだりなど馬鹿らしい、この子はこの子に変わりないんだから)
たとえ強かろうが、エステルはエステルだ。
嫉妬がないとは言わない。けれど、それ以上に眩しくて、純粋に尊敬の念も抱いた。
そして、やっぱりただの女の子だとも思う。
彼女は他を圧倒する力を持っていて、遠いけれどとても近い位置に居て、ヴィルフリートに情けない姿を見せる、一人の少女だ。そこは何も変わらないのだ。
「帰ったらお昼ご飯でもお作りしますよ」
「ほんとですか! 私、前食べたパンケーキ食べたいです」
「あれエステル様には少ないのでは?」
「……量を作りましょう」
「はいはい、かしこまりました」
いつものようにはしゃぐエステルに、ヴィルフリートもまた、いつものように苦笑を浮かべた。




