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22 受け入れる役目

「あの、何か言いたい事があるならはっきり言って下さいね。気が散るのですけど」


 自分を見つめる紅玉の瞳の少年、マルコに対して、ヴィルフリートはホイッパーを動かす手付きは止めずに問いかけた。


 エステルのおやつ――本日はチーズケーキ、それもスフレチーズケーキをご所望の上司様の希望に沿うべくせっせと生地を作っている最中なのだが、何を思ったのかマルコが調理を監視してくるのだ。


 彼がヴィルフリートに興味を示す事が珍しいし、そもそも出勤してきた事自体が珍しい。

 特に害はなさそうなのでそのまま放置しているものの、無言でそれも機嫌は悪そうに監視されたら、あまりいい気分はしない。


「……ほんとに作れるんだね」

「作れなければこんな事してませんよ」


 常温に戻したクリームチーズとサワークリームをほぐし、グラニュー糖を混ぜつつ答えるものの、ヴィルフリートの態度はほぐれずどうしても素っ気ない響きになってしまう。

 元々向こうから敵対視されていたのだからどうも彼が苦手なのだが、子供相手に大人気ないかな、とも思ってしまうが。


 彼がへこたれる様子は全く見せないのでこちらも頑なな態度を取ってしまうものの、別に喧嘩したい訳でもない。


「……これでエステルに餌付けしてるの?」

「餌付けとは人聞きが悪いですね。職務に忠実なだけです」

「餌付けでしょ。じゃなきゃエステルがあんなに懐く訳ないだろう。あんなにふにゃふにゃしてるエステルなんか初めて見たよ」


 楽しみすぎて幸せそうに眼差しを和らげつつお仕事を真面目にこなしているエステルが第二特務室で待っているので、それが気になったのだろう。

 餌付け、という言葉を否定しきれないのは、エステルがご飯に釣られているのは否めないからである。


「……一つ聞きますけど、たとえそうだったとして、あなたは何が仰りたいので?」

「何が狙いなの?」

「はい?」

「だから、エステルに取り入って何がしたいの」


 意味が分からない。

 何が狙いとか言われても、ヴィルフリートとしては仕事と趣味と、あとエステルの喜ぶ顔の為にしているに過ぎない。

 取り入るという発想が出てこなかったので、マルコの言う事に呆気に取られて反応が遅れた。


「……エステル様に取り入ったところで俺に何の得が? 言ったら悪いですが、第二特務室は閑職でしょう。損得勘定だけで言うなら意味をなさないかと」

「それは! 君がエステルの事を知らないから!」

「知らないんですよ、だから取り入る必要性がないでしょう」


 流石のヴィルフリートも、エステルがただこんな所でくすぶっている訳ではない事は、教えて貰わずとも分かる。

 けれど、彼女の背負った役割とやらはちっとも教えてくれないし、本人には教える気もない。だから何なのかは分からず仕舞いだ。


 だから、エステルに取り入るなんて有り得ない。


 そもそもあんな純粋で世間知らずのはらぺこお嬢様を良いように扱うなんて、良心の呵責に耐えきれないし、そもそもしたくない。


 ありのままに振る舞う彼女を傍らで見ているのが楽しいのであり、思うままに動かしたいとかは思った事はなかった。

 ……まあ、離れてくれとかそんな事を念じる事はあったが。


「……そもそも取り入って、何をするのですか」

「そ、れは……その、上に登るようにかけ合うとか」

「嫌ですよ、あんなおっかない人達が跋扈しているところに、俺そのものの力が大してないのにコネだけで登るなんて。実力が伴ってないと意味がありません」


 下らない、と切り捨てながら卵黄を入れてすり混ぜる。やや手荒な手つきになりそうだったのは、あらぬ疑いをかけられているせいだろう。


「……俺は、エステル様が無邪気に喜んでくれるの、存外楽しみにしているのですよ」


 ただのクリームより重たい感触をしっかりと混ぜながら、自分でも驚く程の心境の変化を口にする。


 最初は何で自分が、と思った事がないと言えば嘘になるが……今ではその役目を受け入れたし、エステルが望むなら好きなものを作ってあげよう、と自ら思うようになった。


(……何だかんだ、今の職場が気に入ってるんだよなあ)


 昇進からは程遠い、けれど穏やかな職場。

 筆頭魔導師の夢がなくなった訳ではないものの、あの憧れた青年が筆頭魔導師でなかった為、宙ぶらりん状態になっていた。


 それに、幼くて無邪気で、その癖不安定で危なっかしいエステルを、支えてやりたい、そんな気もする。

 まだあやふやな衝動でどうしていいのか自分にも分からなかったが、離れがたいと思っているのは確かだった。


「別に疑うなら疑ったままで構いませんよ。あなたに弁明しても無駄でしょうから。俺は信じて欲しい人に信じて頂ければ結構ですので。それに」

「それに?」

「一人くらい疑ってくれた方が、あなた方も安心するでしょう。エステル様はのんびりぽやぽやしてるお嬢さんですからね。何かあっても大事ですし」


 エリクにもマルコにも大切にされ、ディートヘルムにも気遣われ、でも立場は閑職。何かある、と思うのは仕方ないだろう。

 マルコにここまで警戒されるのが、逆にエステルの立場を示しているようなものだ。


 気になりはするが、無理に聞き出そうとか、知ってあれこれ画策しようとは思っていない。

 エステルを悲しませたい訳ではないのだから。


 マルコの顔を見ずにそう締めくくり、ボウルの中に振るったコーンスターチとレモンの果汁を入れて更に混ぜつつ「俺も男ですから、警戒してくれた方がありがたいですし」と呟くと、マルコがため息をついた音。

 顔を上げると、何だか呆れたような顔をするマルコが居た。


「……話に聞いていたより、何というか、欲がないよね」

「誰にそんな事を言われたのか存じませんが、それなりに欲はありますよ。今でも適度に出世したいですから」

「参考までに聞くけど、何のために?」

「……今の俺では見れない権限にある記録に触れるため、ですかね」


 筆頭魔導師になりたくない、とは言わない。


 けれど、今はそれより、あの時何があったのか知りたかった。


 自分は何故――誘拐されたのか。

 助けてくれたのは、誰だったのか。

 答えを知るために。


 ヴィルフリートが調べられる範囲では、十年前の事件は大した情報が載っていなかった。何十人、下手をすれば何百人と、魔力持ちの子供が消えたのに。


 そういえばディートヘルムに左遷される前、話し掛けられた事があったのを、思い出す。

 熱心に何を調べているのか問われて、十年前の事件を、と答えた覚えが――。


「……ふーん。あっそ。僕には興味ないけどね」

「でしょうね」

「でもまあ、そこのところだけは信じてあげるよ。エステルに何かしたら許さないけどね」


 何だこの掌返し。

 急に態度が、まあややではあるものの軟化したマルコに訝りの眼差しを向けると、彼はふんと鼻を鳴らしてちょっぴり偉そうな態度のまま、厨房を出ていった。


 訳が分からなくて困惑したものの、まあ向こうが勝手に認めたならそれでいいか、と思い直す事にして、次の工程に入るヴィルフリートだった。




「ねー、まだですか?」

「はいはいお待ち下さいエステル様。今切り分けますから」


 焼けて冷ましたスフレチーズケーキを前に、エステルは興奮したようにぱたぱたと手を振って待ち構えていた。


 先日の憂い気な表情は欠片もなく、ただ室長としての威厳も全くなく、ご飯待ちの子犬のような態度で尻尾を振っている。猫だったり犬だったりと評価が混ざるのは、ご飯以外は彼女に気まぐれなところがあるからだろう。


 杏のシロップを塗って染み込ませた表面は程よい狐色。

 側面の真っ白でしっとりふわふわとした生地とのコントラストが食欲をそそる。本来は保冷庫でしっかり冷やしておきたかったのだが、はらぺこな上司様が待ちきれなかったので魔法で手早く冷やしておいた。


「……ホールそのままフォークで食べ進めたら駄目ですかね」

「お願いですので上品に食べて下さい。その美貌が泣きますよ」

「……はぁい」


 ホール食いの野望は潰えたが、ほんのりと照れたようで、でも満更でもなさそうに笑っているエステルに、こちらも何故か恥ずかしくなってくる。


 表には出さないようにしたものの、ナイフを入れる手付きには表れてしまいやや切り口が荒れてしまった。

 エステルは気付いた様子もなさそうだ。マルコは……なんというか、呆れた顔をしていたが。


「……どうぞ、召し上がって下さい」

「ありがとうございます」


 動揺を表に出さないようにして差し出すと、満面の笑みを浮かべてフォークを構えるエステル。

 待ってましたと言わんばかりの姿勢にヴィルフリートも苦笑いが浮かぶものの、こうでなくては、とも思ってしまう。


 食べていいと許可が出たエステルは早かった。

 フォークの叉の側面をゆっくりと生地に押し当てると、しゅわ、と細かい泡が弾けるにも似た音を立てて生地が分かれていく。火加減と膨らみ方は自画自賛出来るくらいに上手くいったので、口どけもおそらく問題ない筈だ。


 湯煎焼きの為しっとりとした食感が特徴の生地は、フォークを突き刺すとほろりと崩れてしまいそう。

 エステルも食べるのに慎重にならざるを得ないらしく、早く食べたそうなのに口に運ぶ速度はゆっくりだった。


 小粒の唇に吸い込まれて、それから一噛み。


 途端に頬に朱がさして眉がへにゃりと下がった。悲しみではなく、自然と緩んだように眉尻が落ちている。

 口の端は逆に持ち上がって、歓喜を露に。その癖頬はとろけるように緩みきっていた。あどけないかんばせにこれ以上になく幸せそうにふやけさせた、そんな笑顔。


 見ているこっちが満足してしまうような、そんな甘い笑顔を、エステルは自然に形作っていた。


「おいしいです。……やっぱり、ヴィルフリートのお料理が一番ほっとするし糧になるというか、美味しいです」

「……お褒めにあずかり光栄です」

「えへへ。ヴィルフリートの料理、だいすきです」


 どこまでも無邪気にしみじみと言われて、ヴィルフリートは漏れそうになった何かをこらえるために唇を噛んだ。


(――心臓に悪い)


 本当に、彼女の側に居るのは心地好くて、その癖息苦しい。けれど、きっとこれが充足感なのだろう、とも思う。


 見ているだけで満たされつつあるのは、きっと、エステルにも漏れ出る何かがあるのだろう。

 エステルにとってのヴィルフリートの魔力のように、ヴィルフリートにとっての何かが。


 正体を掴む前に毎回消えてしまうそれに、ヴィルフリートはあまり深入りはせずに留まる。

 追求してしまえば、戻れなくなりそうだから。


 はまったのはどちらだ、とひっそりと苦笑。

 次々にチーズケーキを口に運ぶエステルを、眩いものを見るように瞳を細めて眺めた。

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