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21 知る事のならない過去

「……ヴィルフリート、怒ってます?」


 書庫について黙々と資料を探しているエステルがふと口を開く。


 怒っている。そう聞かれて、遅れてエステルが何を気にしているのか理解して、ヴィルフリートは苦笑を浮かべて手をひらひらと振る。


「怒ってはいませんが……何というか、相変わらずの方だな、と」


 配属当初なら苛立ちが出たかもしれないが、今はそうでもない。

 ただディートヘルムの真意を見抜きたいと思ったくらいだ。結局あの意味深な笑みが覆い包み隠してしまったので、何を考えているのかはさっぱり読めなかったが。


 ヴィルフリートの言う「相変わらず」という言葉を表情と捉えたらしい。エステルはくすりと笑んで手にしていた本を閉じる。


「ああ、あの悪人面の事を言ってるのですね。昔からあんな感じですよ」


 悪人面とはぴったりな表現だが、エステルの口から聞くとは思っていなかった。


「……エステル様は昔からご存知なのですか?」

「ええ、十年前から。結構長い付き合いなのですよね、こう見えて。彼、一々小言を言ってくるのですよ。ねちねち言うし、あれは絶対に性格も入ってます」

「あー」


 想像出来る。笑顔でチクチク刺しながらあれこれ言う姿が。

 エステルはヴィルフリートよりも付き合いの年季が入っているからか、ヴィルフリート程警戒した様子は見せない。むしろちょっと親しげと思えるくらいだ。


「まあ、色々とお世話になったものです。彼の悪人面はわざと半分と素の半分があるのでどうしようもないですよ。あれがなければ人を無駄に敵に回さないんですけどね」

「素であんな感じなのですね」

「ですです。……まあ、彼は今こそ古参ではありますが当時はまだまだ新参者に近かったですからね。智謀と魔導師としての能力を駆使して、若くして筆頭魔導師補佐官の地位に登りつめたのですよ。ああいう顔も、舐められないように染み付いたものですから」


 だからあの、エステル曰く悪人面をしているのか。

 顔立ちが整っている分破壊力があるというか、逆に様になっていると言えるだろう。


 結果的にくすぶっているヴィルフリートとは違い、ディートヘルムは筆頭魔導師に近いところまで登りつめた。


 筆頭魔導師にはなっていないものの、地位だけでいえば筆頭魔導師に次ぐだろう。

 ディートヘルム派という派閥自体が存在するのだから、彼の影響力がうかがえる。


 ふと、その地位に辿り着いた頃の、彼の仕える筆頭魔導師はどう考えていたのか気になる。

 自分の立場が脅かされないかと心配でもしたんじゃないだろうか。


「当時の筆頭魔導師様はあの方に何とも思わなかったのでしょうか。ほら、失礼ながら野心家に見えますし」


 問いかけに、エステルは少しだけ身を強張らせた。理由は分からない。正解だったのか、他に理由があるのか。


「……そうですね、苦々しく思っていたかもしれません。ディートヘルムは、口うるさいし野心あふれる人ですからね。――けど、彼の方が倫理的には正しい人だったから……だから、あんな」

「え?」

「いえ、お気になさらず」


 ああ、また誤魔化した。

 それは感じ取ったものの、だからといってそれ以上追及出来る訳でもない。話したくない、と意思表示をされているのだから、今のところは退いた方が良いだろう。


「……まあ、ディートヘルムはお顔は怖いし小言がうるさいし口が悪いしやり方が強引で反発も招くし良い人とは言い切れませんが、根が心底悪いという程でもないのですよ」


 貶しているようで、でもディートヘルムに少しだけ同情的な声を上げるエステルが、意外だった。


 嫌っていないのは分かっていたが、まさかそんなに見ているとは思わなかった。

 エステルの見てきたディートヘルムと、ヴィルフリートが見たディートヘルムが違うのは、親交のある年月の差と先入観の違いだろう。


「やってる事についてはほんと強引ですし、庇うつもりはありませんが……ヴィルフリートが思うよりも、ずっと、真面目で思慮の深い方ですよ。小言がうるさいですけど」


 小言がうるさいのは推したかったらしいエステルについ笑みがこぼれる。


 正直な気持ちを言えばディートヘルムの事は苦手であるし嫌いと言えば嫌いだが、エステル視点でのディートヘルムは人情のようなものがうかがえる。


 ヴィルフリートには向けられなかったが、幼い頃から知り合いならば、多少なりと優しくしてくれるのだろう。

 ……ちょっとむかつくものの、仕方ない。


「……エステル様が言うのならそうなのでしょう。個人的に()()された事がもやもやするくらいで、第二特務室に異動になった事自体は今では不満ではありませんから」

「そうですか、それは良かった。私はヴィルフリートがきてくれて良かったですよ」


 嬉しかったらしく、すみれ色の瞳はきらきらと輝いて細められる。

 和んだ瞳やほんのりと薄紅に染まった頬といい、最近のエステルはなんだか昔よりも喜怒哀楽が顕著になっている気がする。


 良し悪しで言えば、良しの傾向だろう。はらぺこの訴えだけでなく、こうして親しげに話せるようになって、楽しそうなのだから。


 必要な本をエステルから受け取りつつ、先程出会ったディートヘルムの事を思い出す。

 ……彼はきっと、自分の知らないエステルを知るのだろう。なにせ十年前からの付き合いだそうだから。


 どんな子供だったのだろうか、エステルは。

 そして、その当時のディートヘルムはどんな人だったのだろうか。


「でも、ディートヘルム閣下は筆頭魔導師にならないのですね。てっきりその野心があれば登ろうとするかと思ったのですけど」

「適任者が現れたので、その教育をしていたのですよ、ディートヘルムは」

「つまり、今の筆頭魔導師様……イオニアス様の指南をしていたのですか?」

「……そうなりますね」


 どこか歯切れ悪く答えたエステルは、曖昧に笑う。


「イオニアス様はどういった方なのでしょうか。基本的にお姿はお見かけしませんし、式典で遠目にちらっと見た姿もいつも紗を被って顔を見せないようにしていますから」


 ヴィルフリートは、当代筆頭魔導師イオニアスの事はよく知らない。顔を見た事もない。声は遠くから聞いた程度。

 基本的に自分の執務室からあまり出ないらしいし、憧れの地位とはいえほぼ無関係の人間だ。


 だから、エステルは知っているのではないかと踏んで問いかけたのだが――。


「……イオニアスですか」


 エステルは今度こそ、口ごもる。

 嫌そう、というよりどう説明したらいいのか、言葉にしあぐねているような雰囲気で、柳眉は下がっている。


 聞いてはならない質問だったかと頭を下げようとすればエステルが慌てて「その、嫌とかじゃなくて」ともごもごと呟いていた。

 答えられない、という訳ではないのだろう。ただ、説明に困っているといった感じだ。


「……そうですね。一応ヴィルフリートと同い年ですよ」

「才能の差を思い知らされますね。同い年で、それですか……」

「……才能、ですか。あれは才能というより」

「エステル様?」

「いえ。……そうですね、後は、あまり体が強くはありません。基本的に姿を見せないのはそれが理由です。元々体が強くなかったのですよ、彼は」


 体が強くない、というのは仕事に支障が出る程なのだろうか。

 それならあまり姿を見せたがらないのも不思議ではない。幾ら優れていようと、それを扱う体がついていかないのなら無理も出来まい。


 筆頭魔導師に要求されるものは、魔力量と、魔力を扱う能力。

 基本それが全てであるから、体が弱いのは考慮に入らなかったのだろう。

 ……筆頭魔導師には特別な仕事があるらしいが、ヴィルフリートはそれが何なのかまでは知らないので、病弱だと大変そうだなくらいに思うのだが……エステルの表情は、やや翳ったままだ。


「……筆頭魔導師を目指しておいて当代の筆頭魔導師を知らないなんて、恥ずかしいですね、俺」

「彼は色々と隠して、体を騙し騙し仕事を行っていますから仕方ありません。基本的に素性を明かさない人ですから」

「ミステリアスな方ですね、何だか」

「……そうですね」


 ふ、と笑んだエステルは、あまり元気がない。

 筆頭魔導師の話になるとあまりよくない顔をするので、筆頭魔導師に浅からぬ因縁があるのかもしれない。先代も当代の筆頭魔導師も、話したがらないのだから。


「俺は先代の筆頭魔導師の事もよく知らないのですよね。一度文献見ても、先々代とかその前の筆頭魔導師に比べて載ってなくて」

「十年前に、今の筆頭魔導師イオニアスに代替わりした。それくらいしか載っていないでしょう」

「ええ、大して記録に残っていませんから。……彼は、今何処に?」

「……ラザファムは、亡くなっています。不慮の事態で命を落としました。病の兆しを見せていたそうですから……どちらにせよ、長くなかったのだと思います。高齢でしたからね」

「高齢、でしたか」

「ええ」


 ……となると、ヴィルフリートの記憶にある十年前のあの事件で救ってくれたのはラザファムではない、という事になる。


 筆頭魔導師を目指すきっかけになった、暗闇を切り裂いて助け出してくれた、あの青年。記憶がおぼろげで、ただ若い男の人だという事しか覚えていない人。


 結局宮廷魔導師になろうが彼の手がかりも掴めないままで、未だにあれが何だったのかも分からないまま。


「私は幼かったので、あまり記憶にありません。十年前から魔導師の入れ替わりが激しいので、覚えている人で彼に近しかったのはディートヘルムくらいです」

「……流石に俺はあの人に聞く気にはなりませんよ」

「でしょうね。ですので、気にしない方が良いですよ」

「そう、ですね」


 どこかはぐらかされたような印象を受けたものの、それ以上は踏み込めず、ヴィルフリートは唇を結ぶ。


 エステルは何かを知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。

 ただ、間違いないのは、今のヴィルフリートには話そうとはしないという事だろう。


 会話が途切れた事を区切りに資料を探しに戻るエステルに、ヴィルフリートは静かにその小さな背を見つめた。

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