17 休日の終わりと上司の役目
残り物を拝借してササっと作れるチキンソテーにハニーマスタードソースをかけて付け合わせも用意、それからブイヨンを貰って少量(三人前)のクリームスープを出すと、エステルは花が咲いたような笑顔で食べ出す。
ちなみに二人は母親から解放されていないらしく、まだまだ捕まったままだ。
見慣れてしまった大飯食らいの食べっぷりを眺めつつ、ヴィルフリートもまたすっかり冷めてしまったバシリウスの残りを魔法で軽く温めてから口の中に放り込む。
悔しいが、バシリウスの方がやはり美味くはある。
けれどエステルが選んだのは自分、それが何だか誇らしくて、くすぐったかった。
「……そういえばヴィルフリート、外では敬語使わないんですね」
互いに粗方食べ終わったところで、エステルはふとそんな話題で切り出す。
「流石に職場ではありませんから」
「でも私には敬語です」
「そりゃあ上司ですから」
馴れ馴れしく口を利く訳にもいかないでしょう、と肩をすくめると、エステルは何もご飯は詰めていない筈の頬を膨らませる。
「何が不満なのですか」
「だって……外した方が、生き生きとしてますし」
あれは生き生きというよりは生意気な感じなのだが、あまりエステルには差異が分からないようだ。
確かに意図的に落ち着くように振る舞っているので、こうした私生活の方の面を見せたら新鮮に見えるだろう。
「そんな事を言われましても。職場では徹底するつもりです」
「ここは職場ではないです」
「でも上司ですから」
「むうう、矛盾してますー」
机の下ではぱたぱたと脚を振っているのか、小さなテーブルに向かい合っているので時折爪先がヴィルフリートの脚に当たる。
痛くはないものの、エステルの不満はよく伝わってきた。
(……言葉使いに執着する理由が分からないんだが)
別に、この言葉使いで問題はないだろう。上司部下の関係なのだから。
「そんなに使って欲しいんですか」
「是非!」
「……駄目です」
「けち」
何がけちなのか分からない。
エステルが納得いかなそうにしているので、どうしたものかと悩んで……とりあえずなだめよう、そんな考えが浮かぶ。
しかしなだめ方というのが今回の場合浮かばない。
もうご飯は平らげているので食べさせる事は出来ないし、ちょっとの事ではご機嫌は直らない気がする。
どうしたものか、としばし思案して……なだめる、というよりは慰める時にされた事を思い出す。
けれど、それはエステルに触れる行為であり、みだりに触れる訳にもいかない。
「……エステル様」
「何ですかー」
拗ねた風なエステルに苦笑。
そうしているとバシリウスに向けたような愛想の良い表情はやはり作り物のようだ、と思う。
彼女は、こうして喜怒哀楽を剥き出しにして接してくれた方が良い。
「失礼を承知でおうかがいしますが、触れてもよろしいでしょうか」
「えっ?」
「嫌なら構いませんが」
「い、いえ、ヴィルフリートがそう言うのは珍しいな、と。ど、どうぞ!」
即座に許可を出した彼女には、バシリウスの時とは違い、ヴィルフリートに対する警戒心はない。
向けられた信頼と、期待の眼差しに……何というのだろうか、優越感のような物を感じてしまった。
誰に自慢するでもないが、何となく嬉しい、のだろう。
躊躇う反面何故かほんのりと喜びを感じてしまって、ヴィルフリートはやや引っ掛かったものの、エステルのそわそわした様子を見たら消えてしまった。
自然に手が伸びて、柔らかそうな薄桃色の髪に触れる。
絹よりも滑らかな手触りの髪は引っ掛かりもなく、指先で触れるだけで極上の感覚を伝えてきた。
ほぼ触れる機会のない柔らかな髪を自由にしても良いらしく、エステルは拒まないどころか、瞳を細めている。
うっかりそれをしばらく眺めてしまって、目的はそうじゃないだろうと自分に言い聞かせてゆっくりとエステルの頭頂部を掌で撫でた。
頭を撫でるのは子供をなだめる時によくするが、果たしてエステルは効くだろうか――と一瞬考えたものの、答えは火を見るより明らかだった。
そもそも、考える必要もなかったようだ。
ご満悦そうに頬を緩めた彼女がとろんと眼差しを和らげている。
警戒心もなさそうに緩みきった表情で「ふぇへへへ」としまりのない声を上げていて、とてもではないが人に見せられないだろう。……見せたくない気がする。
「……やっぱり、ヴィルフリートの触られるの、気持ちいいです」
何なんださっきから、と自分の胸の内で湧き上がる不可解な感情に首を傾げれば、エステルはへにゃへにゃと笑いながらヴィルフリートに頭を自ら差し出している。
「人聞きの悪い事を言わないで下さい」
「今の人聞き悪くないと思うのですが」
「人に聞かれて誤解されるような事を口にするのはお止め下さい」
「……じゃあ、心の中で思っておきますね」
ふふ、と楽しげに笑ってされるがままになるエステルに、また胸の奥でもぞりと動く何か。
直ぐに消えてしまうそれを不可解な現象にそれ以上思考を割く気にはならず、ヴィルフリートはご機嫌そうなエステルを控え目に撫でた。
エステルも満足したようでそろそろ帰ろうか、となったものの、住まいである城まで遠い。
一人でふらふらさせていたら余計なキャッチに引っかかりそうだし、もう夕暮れになろうかとしていたので治安の良い城近くまでは送るという事になった。
……その旨を母親に伝えれば、店の奥でバシリウスから話を聞いていたらしくニヤニヤとした笑みと共に「上玉捕まえるなんて珍しい。女に興味なさそうだから心配してたんだよ」と背中を叩かれたため、自分の母親ながらどつきたい気分にさせられた。
否定しても聞かないだろうし送る事に快諾してくれたのだから良しとしよう、と自分に言い聞かせ、ヴィルフリートはエステルを伴って店を出た。
「また来ても良いですか?」
「兄貴の料理より俺の方が良いのでは?」
「えっと、ここならヴィルフリートがかしこまっていない態度見られるかなって」
夕日に照らされたエステルは、やや恥ずかしそうに笑った。
どこに恥ずかしがる要素があったのか。
撫でられたりくっついたりする事を恥じらって欲しいこちらとしては、ちょっとエステルの羞恥のポイントが分からない。
何故こんなにも敬語がとれた状態を推しているのかはさっぱりではあるものの、とにかく敬語なしがお気に召したらしい。
変な人だ、とほんのり笑えば、エステルは軽く目を丸くして、それからほどけるように微笑む。
「やっぱり休日の方が、表情が柔らかい気がします」
「そうでしょうか、実感はありませんが」
「ええ。いつもは、なんというか……笑みが硬いですから。というか、苦笑いばっかりです」
「誰かさんが苦笑いばかり誘発させるので」
「むむ」
それ私の事ですか、と不満げに唇を尖らせたエステルに、ヴィルフリートも自然に笑って――。
そうした次の瞬間に、エステルの前に光る鳥が現れる。
鳥と形容したものの、その実魔法で構成された鳥型の伝達役。
魔導師がよく連絡で使う魔法であり、ヴィルフリートもよく使う魔法の一つだ。
白金の光で編まれた鳥に、エステルは表情を凍らせた。
『仕事だよ』
囀りの代わりに紡がれた声は、男性の声。
ただ、ヴィルフリートが知らない声であり、男性というよりは少年といった方が良さそうな澄んだ低音だ。
冷たい響きではなく、むしろ軽い声音であり、気安さすら感じさせる。
けれど、受けたエステルの表情は歪んでいった。
「……分かりました」
か細い声で返事を返したエステルが、ゆっくりと魔力で出来た鳥に触れて――その華奢な指で、握り潰した。
「エステル様?」
「……何でもないですよ、ヴィルフリート。気にしないで下さい」
握った手を開けば、光の粒になり雲散霧消する伝達魔法。
普段の様子からは想像出来ないような手荒な方法でかき消したエステルは、にっこりと微笑んだ。
それが作り笑顔だという事が分からない程、ヴィルフリートも鈍くない。笑えてないですよ、そう口にしたかったが、余計に泣きそうになるだろうから、すんでのところで飲み込む。
「すみません、用事が入ったのでここで失礼させて頂きます。本当は、一緒に帰りたかったんですけど……残念です」
「用事……?」
「野暮用というやつでしょうか。ヴィルフリートには関係ないので、お気になさらず」
普段は自らついてくる彼女は、今に限って突き放したようにそう言い捨てて、背を向けた。
ついてこないで、そうか細く小さな背中が語っている。
「――折角、珍しく楽しい休日だったのに」
最後に、そんな呟きが聞こえた。
次の日、第二特務室にエステルの姿はどこにも見当たらなかった。




