16 はらぺこ上司様は部下の料理をご所望です
宣言通り、バシリウスはエステルに料理を振る舞った。
といってもバシリウスはエステルの食欲のすさまじさを知らないので、成人女性一人前分で用意している。
……まあまず足りないだろうな、とヴィルフリートは後で追加で用意してやろうと決めておいた。
「どうぞ、召し上がって下さい、レディ」
「兄貴が似合わない気取り方する必要あるのか」
「お前はさっきから兄ちゃんに失礼じゃねーかな、ああ?」
「払う礼儀など持ち合わせてないからな」
特に今日は。
……エステルに触ろうとした事がまだむかむかとしているのだが、いまいちこの蟠りが理解出来ない。
エステルが嫌がる顔をしたのが悪かったのだろう。
女好きのこれを近付けてはならない、という感情がまだ警戒の壁を高くしているのだろう、きっと。
ちょっと機嫌を悪くしているバシリウスだったが、ヴィルフリートが態度を和らげる事もない。
そもそも今日は母親とバシリウスにこき使われているので、これくらいは許されるであろう。
元々兄弟仲は良くないのだ。
小さな頃から兄にちょっかい出されたり使いっ走りにされたりいびられてきたので、良い印象を抱けないのも仕方のない事である。
バチバチ、と火花が飛び散るものの、グリットのまあまあという言葉に取りなされて無言の冷戦状態に。
ただ、エステルの視線にはにこやかな笑顔を浮かべるから徹底しているなとある意味感心した。
(……彼女は食べるだろうか)
一応食べに来たようだが、彼女の偏食……というか作り手を選ぶ癖が、どうしてもネックになる。
基本的に城下町のレストランは問題ないそうなので食べられるとは思うが、果たしてどうなるか。
「……じゃあ、いただきます」
おずおずとナイフとフォークを持って、出された具材たっぷりのオムレツにその切っ先を向けた――ところで、店の奥から「バシリウス、グリット! 夜の営業の事があるからこっちきて!」と相変わらずの大きな声が飛んでくる。
どうしても商売を営んでいると大きく聞き取りやすくなる声に、二人は弾かれたように席を立つ。
母親はせっかちなので、素早く行かないと後で叱責が飛ぶのだ。
「悪い、席外すから。エステルさんはゆっくり食べてくれ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
穏やかに返したものの、ちょっとだけ安心したのはヴィルフリートにだけ分かる事だ。
あんまりバシリウスにじろじろ見られたくなかったらしい。
二人が奥に姿を消したのを確認してから、いつものように肩の力を抜いたエステル。
「はじめてのお店で、それもヴィルフリートのお兄さんお手製となると緊張しちゃいますね」
「まああんなんでも料理は上手ですから安心して下さい」
実の兄に対しての言い様にエステルは少し吹き出して、それからゆっくりとオムレツを切り分ける。一口大にしてから、自家製のトマトソースにしっかりと絡め、口に運んだ。
もぐ、と噛み締めた音だけは聞こえる。
けれど、ヴィルフリートの時のような、歓喜に満ちた眼差しを見せる事はない。
不味そう、という訳ではなく、普通にもぐもぐと咀嚼して飲み込む。首を傾げたエステルだが、ヴィルフリートの方が首を傾げたい。
料理の腕は圧倒的にバシリウスの方が上であるし、本格的なものを作れば差は歴然となる。
簡単なオムレツでも焼き加減や味付けに差は出るので、出されたものもバシリウスの方が美味しい筈、だが。
「……美味しいんですが……何か……こう、うーん」
何かがご不満らしい。
ちょいちょい、と手招きをされて、しゃがむように言い付けられたので指示通りにすれば、エステルの顔が耳元に近づく。
か細い吐息が耳にかかってくすぐったいものの、それはおくびにも出さずにエステルの言葉を待つと、エステルは言葉を選んでいるのかちょっとたどたどしく言葉を紡いだ。
「……ええと、……ちょっと、下心の味がする?」
どんな味だ、と突っ込むよりも正確に混ざった雑味を感じ取ったエステルを褒めるべきか。
というか彼女にも下心の概念があった事が驚きである。
込められたものを敏感に感じ取る彼女には、バシリウスの込めたちょっとやましい思いも何となくだが感じ取ったらしい。
下心とは言い得て妙である。
バシリウスとしてはそんなつもりもなかっただろうが、無意識のものが混じっていたのだろう。
ただ、エステルはそこまで嫌という訳ではなさそうだ。
不味ければ一口で止めるが、エステルは続けて口に運んではやっぱり首を傾げていた。
「えっと、城の人達みたいな悪いものじゃないので大丈夫ですが、こう、ヴィルフリートには劣るというか。厚意でいただいておきながら、悪いですけども」
「俺の方が味付け雑ですし料理も上手くないですよ」
「んー。料理そのものはもしかしたらそうなのかもしれませんが、ヴィルフリートのは……やっぱり魔力がこもってて美味しいです。不思議ですね」
眉を下げて心地良さそうに微笑む彼女に、ヴィルフリートは唇を閉ざす。
魔力が美味しい、と言われても自覚出来る訳がないし、困る。自分も味を感じる事が出来れば分かるだろうが、それが出来る訳でもない。
エステル曰く甘美な味らしい魔力。
ヴィルフリートが料理をするとそれが込められるのは分かったが、そんなに違うものなのだろうか。
疑問は尽きないが、取り敢えず、エステルからフォークを奪った。
ぱち、と瞬きをする彼女から、皿も引き剥がす。
……何となくだが、これ以上食べて欲しくなかった。
下心を吸収されては困る、そう思ったのだろう、と自分に言い聞かせる。
「はいはい、俺の方が良いなら、下心味のそれは俺が食べるのでエステル様はちょっと待ってて下さいね。お作りしますから」
「……良いのですか?」
「そうじゃなきゃ安心して美味しく食べられないのはあなたでしょう。……何人前ですか?」
「……控え目に三人前で」
「了解いたしました」
一般基準では全く控え目ではないその量も手慣れたもの。
相変わらずの大食漢に、ヴィルフリートは笑った。それでこそ彼女だ、と。
その笑みにエステルが目を丸くしたのにも気付かないまま、ヴィルフリートはさっさと作ってしまおうと厨房に向かった。
機嫌がいつになく良いです、とエステルが呟いたのも気付かないまま。




