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15 なきにしもあらずな警戒心

 何故エステルがここに居るのだろうか。


 今日は休日であるし、エステルに居場所を知らせた覚えもない。

 ついでに言うなら実家の場所を知らせた覚えもないのだが……まあそこはエステルに渡されているであろう補佐官配属の際の素性が記載された紙を見れば、不思議ではない。


 だから、店の存在自体は知る機会があっただろうし、知っている事はおかしくないのだが……どうしてこのタイミングで現れたのか。


 突然の登場に、グリットは固まっている。いかにもこの店には来そうもない客が来たからだろう。


 エステルには外を歩く時はあまり目立たないように、との事を言っているので魔導師のコートは着ていないし休日なので私服姿だが、その私服姿からして品のある格好なので目立つ目立つ。

 ブラウスとハイウエストのロングスカート、シンプルな装いで装飾過多という訳でもないのに、その佇まいがお嬢様という事実を無言で突きつけてくるのだ。


「……今日は休みですよね? 何故ここに?」

「だってヴィルフリートの料理が恋しくて……その、職権濫用するつもりはなくて、ただヴィルフリートの料理の原点を知りたくて来てしまったというか」


 もじ、と華奢な肩を縮めてこちらを窺ってくるエステルを咎められる筈もない。


 休日の過ごし方は自由であるし、単にお腹がすいてやってきただけみたいなものなのだ。

 店のチョイスは突っ込みどころがあるが、本人の自由なので何も言えまい。


「だから、ヴィルフリートが居ると思ってきた訳じゃないのです。ストーカーとかそういうのではないですからね!」


 ぱたぱた、と手を振って力説するエステルに「分かってますよ」と苦笑すると、安堵したように頬を緩めるエステル。誤解されたくない、という事らしい。

 そりゃあストーカーと思われたら嫌だよな、とは納得するものの、何だか微妙に残念な気がしたのは、多分気のせいだろう。


「ヴィルフリートさん、お知り合いですか……?」

「いや、まあ……俺の上司だよ」


 ヴィルフリートが宮廷魔導師である事を知るグリットには多分信じられないだろうが、こんな(お腹が)黙っていれば儚げな少女が上司なのである。

 自分でも、この姿のエステルが上司だとか、過去の自分が見ても信じないと思う。


 しかし、実家に上司が、それも見かけは見目麗しい少女がやってきた、という事は、親や兄に知られる恐れがある。

 出来れば、それは避けたいのだが――。


「誰だいそのべっぴんさん」


 美の付く女性にはハイエナのごとく嗅ぎ付けるのが、ヴィルフリートの兄だった。


 ああ、と額を押さえた時には奥の厨房の方からひょっこりと顔を覗かせる、ヴィルフリートとは正反対とも言えるたれ目の青年。


 鋭い眼差しのヴィルフリートとは打って変わって柔らかくどこか人当たりの良さそうな眼差し。

 柔和な笑みや、少し中性的な顔立ちは、ヴィルフリートと違って人を寄せ付けそうな見かけをしている。


 ただまあ、弟視点では駄目男という認識であり、間違ってもエステルのような男を知らない少女を近付けたくはない。

 自分と同じ碧眼を輝かせて歩み寄る姿は、一刻も早くエステルの背を押して外に連れ出したい程だ。


「兄貴はあっち行け」

「なんだよ、こちとら仕事忙しくて最近女日照りなんだよ、紹介してくれても良いだろ」

「黙って失せろこの色欲魔人」


 近寄らせるとロクな事がない、と吐き捨てて手で払うと、ちょっと不満そうに眉を寄せる兄、バシリウス。

 けれどエステルの姿を視界に収めて、人好きするような笑顔を浮かべている。


「ヴィルフリートが口悪い……」


 ただ、エステルの興味はバシリウスにこれっぽっちも惹かれていないようだ。


 呟くエステルはどこか感心したようで、何だかキラキラした眼差しを向けられた。


 しまった、と思ったものの、一度聞かれたならもうどうしようもない。

 気まずさから咳払いをして、対エステル用に丁寧な動作と言葉使いを心がけてバシリウスの視線を遮るようにエステルの前に立つ。


 料理が食べたいならば自分が作るから、この場は一旦去って欲しい。悪影響を及ぼされてもたまらないのだ。


 しかし、そんな願いは淡くも崩れ去る。


 変なところで律儀なエステルは、ヴィルフリートの兄だという事を理解したので、ひょっこりとヴィルフリートの後ろから出て来て穏やかに笑みを浮かべる。


「初めまして。ヴィルフリートの上司のエステルです」


 スカートを持ち上げて淑女の礼をとったエステルに、バシリウスは笑う。

 目を付けたな、とヴィルフリートとしてはハラハラしているものの、エステルはのんびりとした……対他人用の特上の笑顔を浮かべていた。

 エステルを理解し始めた身として、この笑顔はやや警戒しているのも分かる。


「俺はヴィルフリートの兄のバシリウスだ。弟がいつも世話になっているようで」

「いえ、私の方がヴィルフリートにはお世話になっています」


 世辞ではなく本当にお世話しているのだが、バシリウスはそれを謙遜と捉えたようでにっこりと微笑んでいる。

 ……顔が一瞬こちらを向いて「こんな可愛い女の子に仕えるとか何のご褒美だよ」といった旨の視線を寄越されたので、ヴィルフリートは鬱陶しそうなのも隠そうともせず瞳を細めた。


 そのままもっと距離をつめて、今のところ上手く取り繕っているエステルの手に触れようとする。

 握手でもしようと思ったのだろう。


 ただ、エステルのすみれ色の瞳に揺らぎが生まれる。

 瞳に走ったのは、怯えに似たもの。


「兄貴、触んな」


 ヴィルフリートの手がバシリウスの手を払ったのと、エステルがヴィルフリートの後ろに回って逃げたのはほぼ同時。


 バシリウスの掌はエステルに触れる事なく払い落とされ、ただ皮膚に物理的な衝撃があった事を示す赤みを残すのみ。

 後ろに隠れたエステルが微かに安堵の吐息を漏らしたのは、聞き逃さない。


 ……いつも無防備無防備と言ってきたが、他人にはそうでもないらしい。ヴィルフリートが初っ端で懐かれた事自体が奇跡なのだ。


「……兄貴、彼女は高貴な身分の女性だから気安く触れんな」


 自分が思ったよりも冷えた声が出て、成り行きを見守っていたグリットがびくりと肩を震わせてこちらを怖々と見上げる。


 無関係の彼女を怯えさせてしまった、と後悔が思考を掠めたものの、それよりも優先するのはエステルが怯えを見せた事なので、排除するのに冷たくなってしまうのは仕方ない事だと割りきっていた。


 エステルは人が嫌いだっただろうか。

 そんな様子は見せた覚えはないが、思えば第二特務室の面々以外で触れようとした事はないように思える。

 慣れた人でないと、触るのは嫌なのかもしれない。


 バシリウスもエステルがちょっとひるんだ姿を見て無理に触れようとはせず、眉を下げて反省したような、苦い笑みを浮かべた。


「これは失礼した。申し訳ない」

「いえ、こちらこそ過敏に反応して」


 とは言うもののヴィルフリートの後ろから出てこようとしないエステルに、バシリウスもそれ以上近づく様子は見せない。

 諦めは悪いものの、弁えはする彼だ。これ以上刺激をする事もないだろう。


「エステルさんは、こちらに料理を食べに来たのか?」

「え? あ、はい……でも、今営業時間外ですし……」

「折角なら俺でよければ振る舞うよ。どうせ賄い作るところだったし」

「俺やグリットには作ろうとしない癖に」

「うっせ」


 明らかにエステルに良い所を見せようとするバシリウスにヴィルフリートが呆れるものの、それ以上止めるつもりもない。

 おそらく、先程の詫びも含まれているのだろう。ただまあそれの何倍以上もエステルによく思われたいという感情が含まれているだろうが。


 エステルは申し出に困ったようにヴィルフリートを見上げる。


「ヴィルフリート」

「ああ、兄の方が料理の腕は上手いですよ? 料理の腕と中身は関係ないので」

「お前な」

「……ヴィルフリートよりもお上手なのですか?」

「そりゃあ俺と違って本職ですから」


 兄の言葉はスルーしつつ、エステルの疑問には正直に答える。


 当たり前ではあるが、宮廷魔導師の道を選んだヴィルフリートと、料理の道を選んだバシリウスでは料理の腕は違う。


 幾ら物心ついた時から仕込まれているとはいえ、バシリウスの方が料理に費やした年月は圧倒的に多い。

 次に店を継ぐのはバシリウスなので、当然料理もそれだけ上手い。


 その言葉にちょっと安心したような微笑みを浮かべて「じゃあお願いします」と笑ったエステルに、バシリウスは任せろと言わんばかりに胸を叩いた。

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