04 主観と客観
最近、ヴィルフリートは何故だか廊下を歩いているだけで妙な視線を感じるようになっていた。
筆頭魔導師補佐官になったのでその関係もあるか、と納得するものの、何というか微妙に違和感がある。害意あるものではないとは視線の質で分かりはするものの、居心地が悪い、と言えばいいのか。
声をかけられる事も、増えた。
その多くが仕事の事についてなので、当然ヴィルフリートも愛想よく応対するし、出自故か応援される事も少なくないのでされたら穏やかに微笑み返して礼を言う。
そんな事を繰り返していたら、何故だか余計に声をかけられる事が多くなった。
ディートヘルムと違い気軽に話しかけやすい雰囲気があるのは自分でも認めていたが、知らない人からも声をかけられるという事にやはり驚きを隠せない。
大半は挨拶だったり仕事の事ではあるが、時折食事に誘ってくる職員も居るため、ヴィルフリートは少々対応に困っていた。
「最近、何だか呼び止められる事が多くなりましたね。補佐官になって有名になったからでしょうか」
仕事の休憩中にそう洩らすと、エステルの顔が強張った。
紅茶のカップを手にしたまま、ぴたりと止まる。見事な静止っぷりにヴィルフリートの方が驚いてしまって「どうかしましたか」と問いを投げると、数秒経ってからエステルが深いため息と共にカップをソーサーに戻した。
「……複雑な気分です」
「今の複雑になる要素ありましたか?」
「ヴィルの魅力に気付いてしまった女性が増えてきたと思うと複雑です」
「いや女性とか言ってませんから。男性からも声かけられますから」
「男性からも!?」
「何想像してるか分かりませんけど恐らく違いますからね。背中叩かれて頑張れよとか応援されるくらいですからね」
まだまだ着なれない筆頭魔導師補佐官のコートを羽織った姿が初々しいのか、初老の男性職員に「俺達の期待の星なんで頑張ってください」と激励の言葉と背中に衝撃を貰っただけであり、なんらエステルが心配する要素はない。
結構気さくに話し掛けられたのは、彼とは両手両足の指の数では足りないくらいに年齢が違った事や、そもそもディートヘルムと違ってヴィルフリートには威厳も何もないがゆえの親しみやすさがあったからだろう。
逆に何故女性職員と決め付けたのか、とエステルを見ると、彼女は麗しい容貌を陰らせている。
「ヴィルがモテてます……」
「そんなまさか」
「……モテてます、モテモテです」
何を言ってるんだ、と訝しむのも隠さない眼差しで彼女を見ても、エステルは首を振って意見は覆さない。
モテている、と言われても、ヴィルフリートとしてははっきりと言い寄られた覚えはない。
恋する眼差しなんて受けてはいないし、頬を染められたとかそんな覚えもない。そもそも自分が女性に好かれやすいとかはまずあり得ないと断言出来た。
「はあ、そう仰っていただけるのはありがたいのですけど、俺分かりやすく優れたところってあまりないですし」
「ヴィルはかっこよくて優しくて素敵な人ですっ。ヴィルの魅力に気づいた人達があぴーるしてきてるのですっ」
「魅力、ですか。まあもしモテてるのが本当なら、俺の魅力とやらは地位によるものだと思いますよ」
「何でそうなるんですかぁ……」
「あのですねエステル、客観的に見て、の話です。俺は、飛び抜けた美形ではありません。そこはご理解ください。たとえあなたにとって一番格好よくて素敵な男であっても、大衆から見ればありふれた見かけの男な訳です」
ヴィルフリートも、仮に視線を集めていようが自分が容姿に優れているなんて自惚れられるほど楽観的でも自意識過剰でもない。
エステルは傾城の、と表現がついてもよいくらいに見目整った女性であるが、ヴィルフリートはその隣に並べば劣るような凡庸な見かけである事くらいは自覚していた。
決して不細工ではないし、比較的整っている方だという認識は出来るものの、女性が好むような美形ではないのは確かだ。あくまでそれなりの美形(エステルに配慮して美形と表現)ではあるのかもしれないが、言ってしまえばその辺に居る程度のもの。
そんな顔立ちのヴィルフリートなのだから、女性から好かれていると仮定して、その理由はまず顔ではない。そして今まで見向きもされなかった事から、現在の地位という事になるだろう。
至極まっとうな推測なのだが、エステルは不満を隠そうともしていない。
「それで俺に言い寄る理由なんて、俺が補佐官になって魔導師の中では頂点に近い男で、かつ適度に近寄りやすいからですよ。閣下は近寄りがたいですからね。貴族の方はどうか分かりませんけど、魔力を重視する家系の方であればそれなりに取り込みに値する能力を保持しているつもりですし。そうでなくても、一般職員からすれば、筆頭魔導師補佐官の配偶者となるのは収入的なものではよいでしょうし。そういう面では俺に言い寄るメリットはあるかと」
現実的に考えればその線が濃厚だろう。
ヴィルフリート本人の人柄というよりは、ヴィルフリートの持つ地位やコネクション、その魔力を求められているのであり、ヴィルフリート本人を好きになっているのかといえば否であろう。
それを求められているのであれば、モテているという表現は正しくない。そもそも女性に分かりやすく言い寄られた覚えはない。あくまでビジネス上のお付き合いをしていただけなのだ。
「……ヴィルってほんと、鈍いです」
「あなたには最も言われたくない台詞ですねそれは」
「どういう意味ですか」
「どれだけ俺がアピールしても気付かなかったあなたが言うのですか、と」
「うっ」
エステルには最も言えない言葉の筈だ。
今まで散々ヴィルフリートが好意を示してもいとけない笑みでふんわりスルーされていたのだから。
確実にエステルよりは人の心の機微に敏い自信があるヴィルフリートとしては、鈍いという言葉は捨て置けなかった。
「で、でも、ヴィルだって鈍いです! にぶにぶです! 私、ダリウスさんに聞きました! ヴィルは私と会う前から女性に声をかけられていたって!」
「そりゃ何人も粉かけてる人にかけられていただけですよ」
「分かってません! あのですね、ヴィルは素敵な人なんですっ」
「いやそりゃあなたにとってはそうでしょうけどね?」
エステルの主張はあくまで主観的なものであり、ヴィルフリートが優れていて女性の好意を集めているという仮定の証拠にはなり得ない。
ヴィルフリートは、エステルが思うほど優良で善良な人間ではないのだ。
「なんでそんな躍起になってるのですか。あなたとしては、他の人にとって俺の魅力とやらは見えない方がいいのでは?」
「正当な評価はしてほしいです」
「はあ、そう言われましても」
「あのですねヴィル、結婚とか恋愛とか、あんまり訳の分かってない私が言っても説得力はないでしょうけど……私が他の女性なら、結婚するならヴィルみたいな人柄の人がいいと思います」
「はあ、またそりゃなんで」
「その、結婚、って、一生を共にして、家庭を築くのでしょう? つまりは人生でかなり重要な事だと思うのです。じゃあその重要な相手を、顔で選びますか? 普通人柄で選ぶと思うのです。顔がよくても、能力が優れていても、性格悪かったら一生側に居るのなんて嫌になっちゃいますっ」
「それはまあそうですけどね」
力説するエステルの言葉には一理あるので頷くものの、だからといってヴィルフリートは自分が性格がいいとはちっとも思わない。
自身は基本的には温厚ではあるが、優しいかといえばそうでもない。見返りなく無償の優しさを向けるのはほんの一握りであるし、あとは社会的な地位や周囲の目を気にして公平で親切であるだけだ。
エステルが思っているよりも利己的な人間であるし、極論自分と親しい人達が平穏無事なら、良心の呵責はあれど他は切り捨てられる程度には冷たい人間だとも思っている。もちろん、助けられるなら助けはするが。
人間大なり小なり無意識に取捨選択をしているが、ヴィルフリートは意図的にそれをする程度にはシビアな感性は持っていた。
ただ優しくて親切な人間という訳ではない。
「ヴィルは、その、私からすれば一番かっこよくても、他の人から見たら普通なのかもしれません。でも、それを補ってあまりある人柄のよさだと思うのです。ヴィルは紳士的だし、優しいし、気遣い上手だし、お料理上手だし、優秀ですし。ずーっと側に居るなら、ヴィルみたいな人がいいと思います」
エステルは少々ヴィルフリートを過大評価している気がしなくもないのだが、そう思ってもらえるのは嬉しい。しかしながら、エステルの称賛を全部真に受ける程、ヴィルフリートもお気楽でもなかった。
「そういう評価をいただいてるならありがたい限りですけどねえ。まあ嫌われるよりは余程いいですし」
「……信じてませんね?」
「信じてない、というよりは、どうでもいい、でしょうか」
「どうでもいいとは」
「ああ、言い方が悪いですね。ええと、仮に俺に魅力があり好意を向けられたとしても、それをどうこうしたりはしない……つまり好意に好意で返さない、という事です」
たとえ、他の女性に好かれていたとしても。
その好意に応えるという事は、絶対にあり得ない。好意自体はありがたいと思うが、それまでだ。そこから感情が発展する事はないだろう。
ヴィルフリートはエステルしか見ない。エステルにしか、恋情の意味で好意を向ける事はない。エステルを心の底から愛していて、大切にしたいと、一生側に居たいと思っているのだから。
心に決まった人が居て、それも婚約していて、思わせ振りな態度を見せるのは、エステルにも相手にも失礼な事だろう。
「俺にはエステルが居ますから、他の女性に目をくれる訳がないでしょうに」
「ヴィル……」
「ですので、心配は不要ですよ。妬いてるあなたも可愛いですけどね」
つまるところ、エステルはヴィルフリートが取られないか心配で拗ねていたのであり、ありもしない相手に嫉妬をしていたのだ。
「……妬いてないですもん」
「そうですか。嬉しかったんですけど」
「えっ」
「そりゃあ、嬉しいですよ。あのエステルが妬くなんて……成長したというかなんというか」
やや中身の幼さが目立つ、というかあまりに純粋培養すぎて異性間の恋愛感情を理解していなかったエステルが、ヴィルフリートを取られるかもしれないという不安を抱えて妬いたのだ。情緒的にもかなり成長したのではなかろうか。
「ば、ばかにしてますね? 私だって、嫉妬くらいしますっ」
「認めましたね?」
「あっ」
「ありがとうございます。いつも俺が感じていたものを分かっていただいたようで嬉しいですね」
エステルは黙っていれば儚げで楚々とした女性であり、衆目を集める性質にある。しゃべれば淑女と言うにはちょっぴり世間知らずな箱入りお嬢様ではあるが、それでも可愛らしい事には違いない。
当然、男性職員からの受けはいい。
「エステルは本当に可愛らしいですからね、他の男性から舐めるような視線を投げられていたらいい気分ではありませんし」
「ヴィルも妬いていたのです?」
「それはもちろん。あなたは、自分が思うよりもずっと可愛らしい事を自覚してくださいな」
エステルの笑顔ひとつにころりと落とされていく男性達を見てきたヴィルフリートの本音に、エステルは「可愛いって褒められました」とはにかんでいる。そういう表情が一々可愛らしいのだが、ヴィルフリートは何も言わない。
ただ、あんまりエステルを不安にさせないように女性職員との接し方も考えた方がいいかな、と少しだけ自省する事にした。
そういえば前話で100話超えました。応援ありがとうございます……!




