SS:ジーク警報
「なんじゃ、お主の弟子たちはまだ帰ってこぬのか」
「まだって言うけど、まだひと月くらいしかたってないよ。リューロ」
リューロパージャのボヤキに、フレイジージャは少し驚く。
精霊の時間感覚は、マリエラが対師匠ように水で割ったお酒よりも薄いのだ。生死の観念が薄いから当然ではあるけれど、肉体を得、寿命を得たからと言ってその感覚が急に変わるはずはない。
となれば理由は一つだ。
「そんなにあの子たちが気に入った?」
「うむ。マリエラの魔力を含んだ水はうまいし、精霊眼から注がれる魔力も心地よい。なにより、あの精霊眼持ち、なかなかに面白いからの」
「たしかに、ジークは面白いねぇ。特にマリエラが絡むと最高だ」
「うむうむ。こないだの、ほれ、九つ首もどきの時は傑作だった」
そう、あれはマリエラたちに帝都行きの話が出るより前のことだ。
■□■
「マッリエラー、超珍しい肉ゲットした! 調理して!」
「コレ、何の肉ですか?」
フレイジージャのお土産をマリエラが怪訝そうに受け取る。
師匠が超珍しいと言うなんて、どれだけレアな肉なのだろう。
この肉に反応したのがジークムントだ。
『木漏れ日』ではお茶やお酒を給仕してくれるイケメンウェイターと化しているが、彼の本業は護衛で、ついでに本領は狩人だ。いくらフレイジージャのお土産と言えど、いや、フレイジージャのお土産だからこそ警戒を怠ったりはしない。
錬金術では最強クラスだが、戦闘の面では最弱クラスのマリエラは気付いていないが、今回のお土産は見た目は黒焦げた肉塊なのに、内側に禍々しい魔力を感じるのだ。
「……何の肉なんですか? 禍々しい魔力を感じるんですが」
「お、ジーク、わかっちゃう?」
「ふむ、警戒しておるの」
「警戒レベル1、注意喚起って感じだねー」
警戒するジークの反応をみて、きゃっこら喜ぶ元精霊コンビ。
「なんであろうの~」
「当ててごらんよ~」
わりと鬱陶しい感じになってきた。
「で? 何のお肉か分からないと、料理できませんよ?」
マリエラのオアズケ注意報にようやくフレイジージャは肉の正体を明かした。
「なんとー! ヒュドラスライムだー!」
「ヒュドラ肉など長く生きた我でも珍しいもの。むろん、食したことのある人間などおらぬ珍品だの」
「は? ひ、ヒュドラ!?」
「ふへ、ほうじゃ!」
マリエラの驚きにリューロパージャがかぶせて来るが、“はひふへほ”とか、言っている場合ではない。
ヒュドラ。九つの首を持つ猛毒の大蛇。
その首は落してもすぐに再生し、吐く息が猛毒だともその血は生き物を溶かすとも言われる伝説の魔獣。
ヒュドラなんて、迷宮の主でもそうはお目にかかれないバケモノ中のバケモノじゃないか。
「さすがに場所は教えらんないけどさ、ちょうどヒュドラの脱皮の時期だったんだよね。だからリューロに頼んでスライムわんさかかき集めてさ、脱皮した皮を食べさせて、皮が程よく溶けたところでファイヤー! って。肉がはじけて落ちた核から、運よく一匹誕生したんだよね」
「脱皮の、皮?」
「そうそう。さすがのアタシでも、ヒュドラとやりあうなんて馬鹿な真似はしないよ」
「……いや、ちょっと待ってください。ヒュドラの皮なんて、脱皮したやつでも素材としてどれだけの価値があるか……」
スライムの核を魔物の体液などに放り込むと、稀にその体組成を取り込んで再生することがある。マリエラの飼っているスラーケンもそうやって創った、クラーケンとの合成スライムなのだが、フレイジージャのお土産はなんとヒュドラの体組成を獲得したヒュドラスライムなのだとか。
使ったのが脱皮した皮と聞いて安心するべきか、その貴重な皮をスライムに喰わせて合成スライムを作ったと聞いて怒るべきか。
マリエラはこんらんしてきた。
「いったん落ち付こう、マリエラ」
「そうだね、ジーク。こ、ここに、貴重なヒュドラスライムのお肉があるわけだし」
「そーそー。ほら、毒を持つ生物ってさ、基本的に旨いじゃん」
「喰う気ですか!?」
「食べるの!!?」
「そのために来たんだぞ?」
フレイジージャの発言に、ジークの警戒レベルが1上がった。
今は警戒レベル2、厳重警戒というところか。
慌てるマリエラとジークを見て、リューロパージャが愉しげに笑っているが、今はそれどころではない。
「その黒コゲ肉の中はまだレアで、ちゃんと血も通ってる。ヒュドラの血からはヒュドラの毒を無害化する抗毒ポーションが作れるからさ、それを飲みながらならヒュドラステーキ食べればいいじゃんって! てことで、マリエラ、ヨロシクー」
「いやいやいや……」
何を言っているんだろう、師匠は。
大いに動揺しながらも、マリエラは《ライブラリ》を素早く検索してヒュドラの血について調べる。
――ヒュドラの血。抗毒薬どころか、キメラを作る際に必要となるポーションだとか、大規模な欠損や特殊な病、生きたまま体が腐るようなえげつない毒を治療する特級ポーションの素材になる――。
(うわぁ、これ、ホンモノだったらヤバイやつだよ。たぶん、放っておけば死ぬけど、治すにも治療の効果が強すぎて肉体が付いて行かないような場合に、体を仮死状態に近づけて治す、みたいな効果だ……)
ヒュドラスライムにもそれだけの効果が受け継がれていたなら、絶対に争いの種になる。マリエラは肉を持つ両手がぶるぶる震えてきた。
手が震えすぎて思わずヒュドラスライムを持つ手に力が入るマリエラ。
「あっ……」
ぱきゃり。
黒焦げでも肉のはずの塊から、何かが芽生えるような音がした。
その音に真っ先に反応したのはフレイジージャだ。
「あ、やべ、割れた。それ、スライムでもヒュドラだからさ、焼いとかないと再生しちゃうんだよね。核入ってるし」
フレイジージャが言うと同時に、マリエラの持つ肉塊からじゅわりと赤い液体がにじみ出し、液体に触れた包み布から白煙が上がる。
――このコゲ肉、中は生なのではなく、生きているのか!?
師匠、大事なことを言わなさすぎだ。あまりの衝撃にマリエラとジークの混乱は深まるばかりだ。
「ひょえぇっ!!?」
「マ、マ、マ、マリエラアアアァッ!!!!!」
――ヒュドラの血液は猛毒だ。やばい、このままではマリエラが……!!!
もはや叫ぶしかない状況だけれど、流石はAランカー。彼の危機管理能力は本物だ。
肉塊から零れた血液を見た瞬間、ジークの警戒レベルはマックスに跳ね上がり、いつの間にか掴んだ弓でマリエラの持つ肉塊を跳ね飛ばすと、肉塊が落ちるより早く矢をつがえ、その核を射抜いた。
マリエラからすれば、バン、ヒュッ、ズドンの目にもとまらぬ早業である。
何が起こったのか把握できないマリエラは、いきなり手から消え去ったヒュドラスライムに、おめめをぱちくりしながらお手々をグーパーするしかない。
「マッ、マッ、マリエラ! 無事か!!? 手は? 溶けていないか!!? どこか痛いところは???」
「え? あ? あー、うん。ダイジョブ。ってお肉は?」
「大丈夫だ、核を撃ち抜いた。もう、大丈夫だ」
「え? 核を?」
「あぁ。ヒュドラスライムはちゃんと仕留めた」
「えーーー!!!」
「えー?????」
「あはははは!」
「ふふふふふ!」
超がつくレア素材になんてことをするのか。
悲鳴を上げて抗議するマリエラと、助けたつもりが怒られてわけのわからないジーク。
混沌とした状況を眺めるフレイジージャとリュ―ロパージャは、面白そうに笑っていた。
■□■
「あれは面白かったがの、九つ首もどきの肉があれほどまずかったのは誤算だったの」
「あー、あれはまずかった。マリエラったら、全部食べるまで許してくれないんだから」
結局、ヒュドラなんて上位魔物の特性を、底辺魔物のスライムが、しかも脱皮した皮から獲得できるわけもなく、ヒュドラスライムの血に含まれる毒はスライムの溶解液に魔物ではない毒蛇の毒を追加した程度のものだと分かった。
それでも結構な毒性ではあるが、特殊なポーションを作るには全く足りない素材で、マリエラは安心半分残念半分の複雑な気分になった。
ヒュドラに遠く及ばないのは肉も同じで、脱皮した皮を使ったせいか、ヒュドラスライムの肉は食べ物とは思えないガサガサした食感で、味もビックリするほど不味かった。
「それで、お主の弟子たちはいつ帰ってくる?」
「ちょっとゆっくりしすぎだね。本気で気に入れらちゃったかも」
「む。連れ戻しにいかぬのか?」
「だって、入れないじゃん。招かれないと」
「む。そうか」
「まぁ、そのうち帰って来るでしょ。そしたら次はどんな肉を持っていこうか?」
「あ奴らが慌てふためくようなのがよいな」
「美味しいやつでね」
「あぁ、不味い肉はこりごりよ」
それきり気の長い二人は口を閉ざすと、帝都にいるマリエラたちに思いをはせた。
そんな二人をせかすように、気の短い小さな精霊たちが周りをパチパチと跳ねていた。
ジークが変な顔している「生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい ~輪環の魔法薬~」は、
B's-LOG COMIC Vol.140(9月5日配信)掲載です。




