SS:物語る品、在りし日の彼
ぷっつりと、ジークの眼帯の革ひもが切れたのは、帝都に来てしばらくたった日のことだ。
「寿命か。毎日使っていたからな」
誰にともなくそう呟くと、ジークは使い込まれた黒い革の眼帯の艶めいた表面や端に刻まれた摩耗の跡を軽く指で撫でる。
この眼帯はジークが迷宮都市に来てすぐの頃、リンクスから貰ったものだ。
あの頃の自分は本当にどうしようもないやつで、なるべくして奴隷に堕ちたと今では思う。
そんな甘ったれな自分を叱責してくれ、マリエラのついでとはいえ一般的には主人の所有物に過ぎない奴隷にまで土産を買ってきてくれたリンクスは、犯罪奴隷と言う社会の底辺にいたジークを一人の人間として見てくれた。
それが、マリエラの心証を良くするためであるとか、黒鉄輸送隊不在時のマリエラの護衛としてマシな働きが出来るように期待されてのことといった打算があったとしても、この些細な贈り物をひどく有難く感じたことを覚えている。
「あれ、ジーク。今日は眼帯してないの?」
「あぁ。紐が切れてしまったんだ。今日、出かける時に替わりを買いたいんだがいいか?」
「うん、もちろん。そう言えばこの辺りに黒鉄輸送隊が良く使う市場があるんだって。こじんまりした市場なんだけど、掘り出し物もあるからお勧めらしいよ」
そう言って笑うマリエラの胸元にはペンダントが揺れている。眼帯と一緒にリンクスが買ってきたものだ。ペンダントトップが仕掛け細工のロケットになっていて、リンクスがいたずらに閉じたそれをマリエラは開けられず、長らくただのペンダントになっていたものだ。
迷宮の深淵で偶然チェーンが切れて落ち、中身の地脈の欠片が転がり出たのは、まるでリンクスが起こした奇跡だったように思う。
(眼帯の紐が切れた今日も、何か起こるかもしれないな……)
そんなことを考えたからだろうか。
ふと足を止めた雑貨屋が、マリエラに声をかけてきたのは。
「お客さん、ソレ、うちの商品でしょ。新商品出てるよ、見てかない?」
長い髪を細かい三つ編みにした女性の店主が、人懐っこい様子でマリエラに話しかけた。
「これ、貰い物で。……リンクス、ここで買ってくれたのかな?」
「へぇ、男の子からのプレゼント? お客さん、どこから?」
「迷宮都市です」
「随分珍しいとこから。ん、んー? そういや、一昨年くらいに迷宮都市から来たって糸目の男の子がソレ買ってったっけ」
「それって、リンクス?!」
なんとこの店はリンクスがマリエラとジークにお土産を購入した店だったらしい。
あの頃は迷宮都市からの客は珍しかったから、記憶に残っていたのだろう。店主はマリエラのペンダントを見てリンクスのことを思い出してくれたようだ。
「ずいぶん一生懸命選んでたんだよ、そのリンクス君」
そう言って店主は、当時の話をしてくれた。
「『土産探してんだよ。ちょっと菓子とかもらっちまったから』なんて言ってたけどさ。うちはリーズナブルな商品が多いとはいえ、アクセサリーは気軽なお土産にするにはちょいと値が張るからね。わざわざそんなことをアタシに聞こえるようにブツブツ言いながら選んでたっけ。まるで、言い訳するみたいにさ」
――なんかさ、こんなの贈ったらアイツのこと気になってるみてーじゃね?
そんな心の声が聞こえるようで、店主はニマニマしながら見守っていたのだろう。
「『これは可愛すぎる……。これは……高そうすぎるよな』なんて言いながら選んでるんだよ。アクセサリーなんて選んでいる時点で、ねぇ?
だから見てるこっちがむず痒くなっちゃって。それでそいつを勧めたんだ。からくり箱みたいな細工がついてて友達に送るんなら丁度いいんじゃないかって言ったら喰いついたよ。その後、デザインでああでもないこうでもないってもうひと悩みしてたけど。
でもま、悩んだかいがあったんだね。今も着けててくれてんだから」
マリエラとジークに、当時のリンクスの様子をニマニマしながら話して聞かせる店主。おそらく彼女は、このペンダントが形見になってしまったことに気が付いていないのだろう。帝都は迷宮都市と比べるべくもないほど安全で、雑貨屋を営む彼女にとって、人の生き死には遠い世界のことなのだろうから。
(リンクス、このペンダント、一生懸命選んでくれたんだ……)
それが知れて嬉しい。
マリエラは、ペンダントを手に取ってじっと見つめた。
そう言えば、このペンダントは迷宮の深淵で落として以来、細工が壊れたままなのだ。ここで購入したというなら、修理が出来たりするのだろうか。
「これ、仕掛け細工が壊れちゃったみたいで、普通に開閉するペンダントになっちゃったんです。修理とかってできますか?」
「いやぁ、アタシんとこは仕入れて売ってるだけだから。けど、普通に開閉するの? ずいぶん変な壊れ方したんだな」
「変な壊れ方?」
「あぁ。意外と繊細な造りらしくってね。あの頃の製品は開けようといじくりまわしてるうちに壊れて開かなくなるらしくって、結構お叱り受けたんだよね」
「え……」
リンクスから貰ったこのペンダントは、確かに何をどうやっても開かなくなってしまった。正しい開け方がわからないのだと思っていたけれど、あれは内部で壊れていたのだろうか。だとしたら、迷宮の最深部でペンダントの紐が切れ、このペンダントが開いたのは……。
『ほんっと、ドジくせぇなぁ』
あの時、確かに聞こえたリンクスの声を思い出す。
やはりあのタイミングでロケットが開いたのは、偶然などではなかったのだ。きっとリンクスが開けてくれたのだと、マリエラはペンダントを大事そうに握りしめた。
「そんなに気に入ってるんなら新しいのを買ってくかい? それとも修理できそうな業者を紹介しようか」
その様子に声をかけた店主に、マリエラはゆっくりと首を振る。
これは、リンクスとの大切な思い出の品なのだ。壊れてしまった今の状態も含めて、そのまま大切に持っておきたいのだろう。
リンクスとの思い出を懐かしむマリエラを、ジークは優しい表情で見つめる。
その姿には今でも少々妬けてしまうのだけれど、彼にもまたリンクスとの大切な思い出の品がある。今日、眼帯の紐が切れてしまったのも、この店に出会えたことも、何かの巡り合わせの様に思えてくる。
「これもこの店で買われたものですか?」
「ん……。あぁ、それは」
ジークはリンクスから貰った眼帯を店主に見せる。
もしかしたら、自分の貰った思い出の品の由来も聞けるかもしれない。
そう思ったジークだったが。
「その眼帯は、左目がうずく感じの駆け出し冒険者に人気のアイテムだな! お手頃価格なもんで、今でもよく売れるんだ。ほれ、そのへんにいろんなデザインが売ってるよ!」
ジークの思い出の品は、大人になると黒歴史としてしまわれる系のファッションアイテムだったらしい。
リンクスに貰った頃は実際に左目の精霊眼はなかったし、幻肢痛的なアレで左目がうずいちゃってイタイイタイだったので、大変にお役立ちではあったのだけれど。
店主に促されるまま眼帯コーナーを見てみると、銀やら石やらで十字架や髑髏の装飾がなされた派手派手な眼帯が『どやぁ!』とばかりに並んでいた。ラインナップを見る限り、ジークが貰った眼帯は派手さ控えめの実用的な品らしい。つけていて恥ずかしくないようにこれを選んでくれたのか、それとも派手さと同時にお値段も控えめだからこれにしたのかは分からないが。
「ジーク、新しい眼帯がたくさんあってよかったね! かっこいいのもいっぱいあるよ」
「そうだな……。じゃあ……これを3つばかり買っておこうかな」
「まいどあり!」
「前とおんなじシンプルなやつじゃない。もっとカッコイイのもあるのにー」
「いや、そう言うのはいいから……」
マリエラのペンダントと違って「これでいっか」的な雑なノリで選ばれたんだろうなーなどと思いつつ、ジークはリンクスに貰ったのと同じデザインの派手さ控えめの眼帯を予備も含めて3本ほど購入することにした。
昔なら選んでいただろう凝ったデザインの物もあるけれど、マリエラのキラキラした目を見る限り、これは選んじゃダメなやつだ。ジークだって成長したのだ。それくらい分かる。
とすれば、リンクスが適当に選んだであろう眼帯は、ベストチョイスだったのかもしれない。
思い出の品も、来歴が実にあっさりしたものだと分かってしまうと不思議なもので、今日、紐が切れたのは、「いい加減、前を向け」と背中を押されている気もするし「そろそろ眼帯無しで精霊眼を使いこなせ」と尻を叩かれている気もしてくる。
(今になっても叱責か。……確かに最近の俺は少々たるんでいるからな。見ていろ、リンクス。『さすがはジーク』と言わせてやるから)
リンクスを思い出すだけで心が奮い立って来るから不思議なものだ。
「その紐が切れたやつ、こっちで捨てておこうか?」
「いや、いい。一緒に包んでください」
ジークもまた思い出の眼帯を大切にとっておくことにした。
この品をみる度に、きっといつまでも激励された気になって、リンクスに恥じない自分になれるだろうから。




