SS:最初の錬金術師キャロライン
帝都編で、キャロラインが帝都入りする前のお話です。
シューゼンワルド辺境伯城の庭園は、縦横に続く石畳の小道と美しく整えられた芝生や花壇が理路整然と配置され、騎士の像が立ち並び、武を重んじる家柄らしい荘厳な美しさを醸し出していた。
広い庭園の端にある小さな滝から庭園近くにまで引かれたせせらぎの音が、鳥のさえずりと共に響いて、戦いに疲れた散策者の心を癒すのだけれど、今日はそこにうら若き乙女たちのさざめきが加わって、一層華やかだ。
シューゼンワルド辺境伯家の次男、ウェイスハルトの婚約者にして『最初の錬金術師』キャロラインと貴族令嬢たちのお茶会が開催されているのだ。
お茶会のために飾り付けられたガーデンテラスには、繊細なレースのクロスが敷かれたテーブルが並び、庭園の花々も色あせるほどの華やかなお菓子が並んでいる。
クッキーやマカロン、宝石のようなフルーツの乗ったタルトに黒真珠の様に輝くチョコレート。
離れた席には頂いたばかりの手土産が、お茶会のテーブルに負けじと華やかな色彩を放っている。
有名店の菓子やシャンパン。包みやリボンだけでも華やかなのに、山と積まれた花束は色鮮やかで、放たれる芳醇な香りにくらくらしそうだ。バラやジャスミン、ヒヤシンス。名前も分からないほど珍しい花々と……薬草。これは、ブロモミンテラだろうか。デイジスにキュルリケなどの馴染み深いものの他にも、グネグネとしたグロテスクな見た目だったりネバネバとした粘液で虫を捕らえたりするレア植物までトッピングしてある。
(まぁ、なんて新鮮な薬草! キュルリケやデイジスも切れかけていましたもの、ありがたいですわ)
綺麗な花など、この庭園のそこここで咲いているが、魔の森から離れた場所では元気な薬草が入手しづらい。キャロラインにとっては活きのいい薬草の方がよほど嬉しい贈り物で、心の底から喜んでいるのだが、これは分かりやすい嫌がらせだ。「田舎の錬金術師の貴女には薬草がお似合いよ!」と言われているようなものなのだ。
どうしてキャロラインがこんな目にあっているのか。
理由は簡単だ。ウェイスハルトはとってもモテるのだ。
眉目秀麗にして頭脳明晰、迷宮討伐軍の副将軍として魔術師としても超一流。
シューゼンワルド辺境伯家の次男とくればモテないはずがないだろう。
例え婚約者がいたとして、結婚しているわけではないのだ。
『最初の錬金術師』という婚約者がいるというのにアプローチしてくる女性は後をたたないし、キャロラインに嫌がらせをしてくる令嬢も割といる。
「キャロライン様は錬金術師ですもの、薔薇よりも薬草の方がよろしいかと思いまして」
「こちらは最初の錬金術師でいらっしゃるキャロライン様に、私の領地で採れる素材ですわ。なんでも珍しい素材だとかで、帝都から定期的に買い付けが来る品ですの。ガザ蟲なんて呼ばれてますけれど」
お茶会を開けば薬草や虫を手土産にする、こういう令嬢の一人や二人は必ず紛れ込んでくるのだ。
とはいえ、お茶会を開催しているのはシューゼンワルド辺境伯家の女主人、レオンハルトの奥方だから、こういう無礼な態度はキャロラインではなくシューゼンワルド辺境伯家に対する不敬となるのだが、今回のお茶会にはこういうことをやっちゃう恋は盲目系令嬢をあえて呼んでいたりする。
(それにしても生きたガザ蟲が手に入るなんて! あぁ、いけませんわ。ここは困った顔をしなくては。こうして迂闊な環境を作るのは、マリエラさんに害をなそうとする敵をあぶりだすためですもの!)
ぶっちゃけこの程度の嫌がらせ、迷宮都市育ちでマリエラの弟子兼親友のキャロラインには屁でも……あら、失敬。品がございませんことね、何の問題もございませんのだ。
「まぁ、こんなに珍しいものを。本当にありがとうございます」
この時キャロラインが見せた嬉しそうな笑顔は「満点でございました」と後日、侍女のアンナに言われたけれど、心の底から嬉しかったのだから仕方あるまい。
薬草もガザ蟲も嫌がらせではあるけれど、贈り物だと言い張れる位には珍しく高価なものが選ばれている。見た目がキモチワルイ系なことを除けば、よくこれほどの品をと驚くくらいだ。綺麗な花やお菓子などよりよっぽど手間暇のかかった素敵な贈り物なのだ。
例えば、ガザガザと気持ち悪く動くからガザ蟲なんて呼ばれるこの蟲は、割と管理が難しい。大ぶりな見た目に対して平べったいので板の間などの細い隙間をすり抜けて逃げる。動きもそれなりに素早い上に、つるつるしたガラスの壁面さえ登ってしまう。そのくせ傷んだ餌をそのままにするなど世話を怠るとすぐに死ぬ。
ガザ粉と呼ばれる乾燥粉末に加工された状態で流通していて、元の姿は知られていない。これは見た目のグロテスクさをカバーするためだけではなくて、管理不行き届きで死んでしまった個体を混ぜているせいで、そんな品は当然ながら薬効が低い。だから、低級並みの効果しか出ないそこそこの素材として認識されているが、きちんと解体して調合すれば、レベルの低い錬金術師でも効果の高いポーションが作れる有用な素材だ。
キャロラインにガザ蟲瓶を触らせるためなのだろう。ガザ蟲を持ってきた令嬢――ガザリスは、普通なら侍女同士で受け渡す手土産を自分で持ってキャロラインに渡してきた。ものすごく我慢しているのだろう、厚手の手袋をはめ、指先で瓶の端っこをもって渡された瓶を、キャロラインは両手で受け取り中身をまじまじと観察する。これほど大きく育ったガザ蟲を、しかも生きたままで持ってくるなど、生産地の領主の娘でなければできないことだ。
「全部生きていますのね! 素晴らしいですわ!!」
「え……」
思わず漏れた本音に、ガザリスはドン引きだ。
殺虫団子工房を経営するキャロラインは、虫にめっぽう強いのだ。虫耐性はマリエラ以上だと言っていい。
マリエラも職業上、虫耐性はある方だが、おそらく生きたガザ蟲を入手したら、ガーク爺のところに持っていって処理をお願いするだろう。ちなみに似たような虫の処理をジークにお願いした時は、虫の動きを止めるのに眼帯を外して弓矢を持ち出してきたから大慌てで中止した。「大丈夫だ、まかせておけ」なんて言っていたけれど、精霊眼有りのガチモードを家の中で発揮されてはたまらない。
(あら、いけませんわ。ここは怖がる所でした)
ガザ蟲はキャロラインにとってはご褒美だが、贈った令嬢からすれば自爆気味の嫌がらせだ。よく見れば、ガザ蟲の瓶を見せつけられて鳥肌が立っているではないか。これほどガザ蟲が嫌なのに、頑張って持ってきてくれたのだ。ここは精いっぱい怖がって見せなければ。
キャロラインは最も身近なお手本こと、婚約者ウェイスハルトの姿を思い出す。
「うっ……」
目を見開いて顔を背け、瓶をそっと遠くへ押しやる。多分こんな感じだろう。
キャロラインのリアクションはどうやら及第点だったらしい。ガザリスの表情がほんの少し明るくなるが、ガザ蟲瓶をテーブルに置かれて他の令嬢が後ずさる。
「あの、キャロライン様。虫の瓶をテーブルに置かれるのはいかがなものかと。よろしければお預かりしましょうか」
「えぇ、お願い」
侍女のアンナがキャロラインにそっと耳打ちする。
宝石のようなお菓子が並ぶお茶会のテーブルは、キャロラインがガザ蟲がたっぷり入った瓶を置いたせいで混沌としてしまった。皆、菓子の皿やティーカップをのけるものだから、どれが誰のか分からないくらいだ。
侍女の合図でシューゼンワルド辺境伯家の気の利く侍女たちが一斉に動き出し、ガザ蟲の瓶と一緒に菓子やティーセットを下げ、新しいカップに新しいお茶を注いでいく。ガザ蟲瓶の置かれたテーブルに載っていた物など口にしたくないだろうという配慮だ。それにしてもお菓子も取り換えるのか。下げたお菓子はもしや捨てたりしないだろうか。
(蟲は瓶の中ですのに、もったいないですわ……)
今度のキャロラインの困り顔は演技ではなく本物だ。その顔をどのように受け取ったのか。ガザリスが勝ち誇ったような表情で、あろうことかキャロラインの前に置かれた紅茶のカップを手に取った。自分の紅茶が配られるより先に、キャロラインの紅茶に手を付けたのだ。
分かりやすいマウント行為だが、けっして褒められた行為ではない。本人の評判を落とすだけの行為なのだが、この令嬢、そこまで気が付いていないらしい。ガザ蟲のせいで思考までカッ飛んでしまったようだ。
「喉が渇いてしまいましたわ」
そう言って、ガザ蟲令嬢はキャロラインのお茶に口を付け、そして。
――泡を吹いてぶっ倒れた。
「きゃあっ」
「きゃーっ、ガザリス様!?」
騒然とするお茶会。毒を盛られたのだから当然だ。虫や薬草の嫌がらせなど可愛いもの、これは殺意のある犯行だ。
「みなさま、落ち着いて下さいまし! 不運にもガザリス様がわたくしのお茶を口にしてしまいましたが、これはわたくしを狙ったもの! 皆様に害はございません。アンナ、容疑者は?」
「はい。キャロライン様、お茶を用意した者は先ほど確保いたしました」
「くれぐれも自死などさせぬよう。……そこの貴女、何をしてらっしゃるの?」
「あ、あの、私、これを……。きゃあ!」
キャロラインの視線がアンナの側の侍女に向く。ガザ蟲の瓶を持っていた侍女だが、まだ下げていなかったらしい。キョロキョロうろうろしていると思ったら、不自然な様子ですっころび、ガザ蟲瓶の蓋が開いた。
ガザザザザ。
「きゃーっ!!」
「きゃああっ!」
逃げ出すガザ蟲、ガザリスが倒れた時よりいっそう響き渡る悲鳴。
優秀なシューゼンワルド辺境伯家の侍女たちも混乱を隠し切れず、混乱に乗じて確保された侍女が逃げだそうとする。
「《アイス》」
その混乱を鎮めたのは、キャロラインの氷魔法だった。
キャロラインが連射した氷魔法によって、ガザ蟲は一匹残らず凍り付く。ついでに逃げ出そうとした侍女と、ガザ蟲瓶を落とした侍女の足も氷漬けにして縫い付けた。
儚げな美貌の錬金術師かと思いきや、黒い悪魔相手に鍛え上げたキャロラインの氷魔法は正確無比で凄腕だ。その攻撃力は低いながらも、素早いガザ蟲と言えど、所詮は飛ぶこともできない虫だ。黒い悪魔に比べれば動きもスローなガザ蟲と、もっと遅い侍女たちなど、キャロラインの敵ではないのだ。しかし、居合わせた令嬢たちを凍り付かせたのは、氷魔法ではなくてキャロラインの言葉だった。
「ちょうどいいわ、このガザ蟲を使いましょう」
使う? 何を? ガザ蟲を? 一体何に……。
「アンナ、貴女、錬金術が使えましたね? 今から解毒のポーションを作ります」
「ですが、キャロライン様。私、このような症状の解毒ポーションなど作ったことが……」
「大丈夫です。私は迷宮都市の錬金術師。この地で《命の雫》は汲めませんがそれ以外は問題ありませんし、作り方は知っています」
そこからのキャロラインは見事だった。
氷漬けにしたガザ蟲を拾い上げると《錬成空間》に放り込み、その場で半解凍した後、エビの殻でも剥くように背側からパキリと割って中から紫色の袋を取り出した。それをアンナの《錬成空間》に入れて解凍すると、中からどろりとした緑の液体が溢れ出す。
令嬢の誰かが小声で「蟲汁……」とこぼしたのは気にしない。そんなことを言っていては助かる命も助からないのだ。
同時に持ってこさせた他の素材の下処理をしながら錬金術が使えるアンナに適切に指示をだし、あっという間に解毒のポーションを作ってしまった。
「ガザ蟲は毒のある葉を食べますの。弱い蟲ですから、毒のある茂みで身を護っているのでしょう。ですが、毒は毒。その毒に対抗するために、体液には解毒効果があるんです。解毒ポーションの材料としては浄化にも近い効果を発揮するユニコーンの角が有名ですけれど、これはあまりに高価な上、使用する側も熟練が必要です。低級でしたらジブキーの葉やタマムギの種を使った解毒ポーションが有名ですが、これらは毒素の排出を促すもの。こういった即効性の毒には効き目が弱い傾向にあります。その点このガザ蟲の解毒液は扱いも楽ですし、即効性の毒にも効き目がありますの。ただ、市場には全身を粉末にしたものしか出回っていませんから、あまり知られていませんが」
凍り付いて動けない令嬢たちに説明しながら、キャロラインは出来立ての虫汁……解毒ポーションをガザリスの口に注ぎ込む。
すると青い顔をしていたガザリスの顔色が見る間に良くなり、「うーん」とうなった後、意識を取り戻したのだが、ガザ蟲ポーションを飲んだことを知ると再び失神してしまった。
折角のお茶会は、解散となってしまったけれど、ガザリスの命を助けたキャロラインの冷静沈着な様子は評判となり、キャロラインに喧嘩を売ろうという令嬢たちは「蟲汁を飲まされてはたまらない」とぴたりとなりを潜めてしまった。
■□■
大切なウェイスハルト様
お元気でお過ごしでしょうか? シューゼンワルドの皆様はわたくしにとても親切にしてくださり、快適な日々を過ごさせていただいております。お会いできない日々に寂しさが募りますが、この手紙を通じて少しでも近況をお伝えし、私の思いが届くことを願っています。
先日開催しましたお茶会での一件は、やはりと申しますか、迷宮を討伐し、『始まりの錬金術師』を手中に収めたシューゼンワルド辺境伯家の権勢を削ぐ目的だったようです。
令嬢を招いたお茶会の席で『始まりの錬金術師』が毒を口にして倒れたという醜聞を広めたかったようです。やはり、『始まりの錬金術師』と『最初の錬金術師』が別人であると知らない方は多いようですわね。『最初の錬金術師』を名乗って正解でした。
それはさておき、わたくし、耐毒のポーションを飲んでおりますからこの程度の毒、何の問題もありませんでしたのに、わたくしのお茶をガザリス様がお飲みになるとは少々誤算でした。
捕らえた侍女の情報によると、やはり主犯は――――。
(まったくキャルときたら……)
キャロラインから届いた手紙を読みながら、ウェイスハルトはため息を吐く。
婚約者同士の甘さのある文面は最初の一行だけで、あとはまるで業務連絡だ。
シューゼンワルド辺境伯家に敵が紛れ込んでいることは分かっていたが、証拠がなく、断定できずにいたから今回の件は辺境伯家としても渡りに船ではあったのだけれど、それでも婚約者を危険に合わせたい男などいるはずがない。――なんだか文面からキャロラインのイキイキした様子が伝わってくるのだが、それは気のせいだと思いたい。
(帝都も安全とは言えないが、こんな無茶をするくらいなら一刻も早くそばに呼ぶべきだな。守れない場所に置くよりはずっといい)
そんなことを考えながら、ウェイスハルトはキャロラインの手紙の続きに目を落とす。
――ガザリス様のご実家からは、今回の件に対して多大な感謝と謝罪を頂きました。なんでも、解毒液について十分な知見をお持ちでなかったようで、ガザ蟲の解毒液について教えて差し上げたらさらに感謝をされてしまって。ガザ蟲の解毒液を定期的に入手できるようになりましたので、即効性の高い毒に対する解毒ポーションを安定して作れるようになりました。この解毒液、耐毒ポーションに使っても高い効果が得られますの。
帝都に向かう際にお持ちしますので、社交シーズンには間に合うかと思います。
是非とも召し上がってくださいましね。――――
「え――?」
蟲汁入りの、耐毒ポーション? それを、飲めと?
誰が? 私が!?
手紙を前に凍り付くウェイスハルト。
キャロラインの帝都入りは、もう少し先になりそうだ。




