リクエストSS:帝国史にかくのごとく刻まれり
外伝終了後のお話です。
tks6280様KWリクエスト「マリエラ」「遠い未来」です。あんまり遠くはないですが……。
ずいぶんお待たせしてしまいましたが、「遠い未来」のリクエストのお陰で外伝のイメージが膨らみました。リクエストありがとうございました!
「ヨハンさぁ、よくこんな報告書でOKしたよね」
「ロキよ、迷宮都市の討伐記録のどこに不備があるというのだ」
帝都クアドラの豪華な宮殿の執務室で、一人の少年が手にした書類の束を机上に放り投げた。書類の表題は「迷宮都市における迷宮討伐の全容に関する調査報告(最終版)」。文字通り、数か月前に成された迷宮討伐の報告書だ。
ロキと呼ばれた少年の年の頃は13歳くらいだろうか。質も仕立ても一級品だがデザインはこの宮廷に似合わない軽快な服装で、街中で見かけたなら裕福な家の子供だと思った事だろう。
対してヨハンと呼ばれた男の方は、贅を尽くした執務室に相応しい立派ないでたちだ。
ヨハン=シュトラウス・レッケンバウエル・15世。
この広大な帝国を治める皇帝だ。間違っても、こんな子供がぞんざいな口を利いてよい相手ではない。にもかかわらず、扉の近くで待機している側仕えらしき男が咎める様子もない。
「この報告書には肝心の錬金術師の名前が書いてない。戦力にしたってここに書かれてる迷宮討伐軍だけじゃ、足りないでしょ。複数の冒険者の助力ってあるけど、雑魚がいくら集まったって竜になれるものでなし。そりゃあレオンハルトの《獅子奮迅》は旗下の戦力を増強させる強力なスキルだけど、彼の実力は所詮はAランク相当だ。決め手に欠ける局面ってものはあったはずさ。帝都に流れてきてる素材の報告は目を通しているんだろ?
だというのに、長らく膠着していた迷宮攻略が1年かそこらで劇的に進んだ上に討伐達成ときたんだ。僕の見立てじゃ、ここには書かれていない化け物が、一人か二人いるはずなんだよねぇ。まぁ、化け物についてはどうでもいいよ。迷宮なんてものがあるんだ、触れれば国が滅びかねない災厄じみた存在だって存在してしかるべきさ。
それより僕が気になっているのはさ、この名もなき錬金術師だ」
「名もなき錬金術師とて、その類なのであろう。それゆえのこの報告書であろうよ。だが、それでも錬金術師だ。系譜の一人や二人、この帝都にもいるのであろう? そなたにとっては名の知れたものではないのか?」
――本当は、伏せられた名も真実も、全て分かっているのだろう?
そう言いたげな表情で皇帝は少年に返事をする。その様子にロキと呼ばれた少年は肩をすくめて見せる。
「もちろん分かるさ。でも僕が気にくわないのはさ、彼女が“名もなき錬金術師”であろうとしていることなんだ。
彼女はさ、自分は路傍の石で構わないと、そう言っているんだよ」
「帝国史に名を残したいと願うものばかりでもなかろう。俗物ではないだけではないか?」
こういった報告書はいずれ編さんされて帝国史として残される。帝国の歴史にあった重大な事件、あるいは重要な人物として名が残り、語り継がれる栄誉に浴することもあるのだ。
「いいや、違うね。彼女はどうしようもない俗物だ。だから分かっていないのさ。
ねぇ、迷宮が生まれ、そして滅びるまでの200年。その時間の長さが分かるかい? その間に降り積もった人々の苦しみ、悲しみ、絶望が。
後世に希望を託す、なんて聞こえはいいけどさ、それは渇望し、願いに対して努力を惜しまず、それでもなお叶えることが適わなかった人生を、絶望に染めないための欺瞞に過ぎない。
君たちは、目に見えず、手では触れない物の存在を疑問視したりするけれど、あの地には因果を操るほどに積もり積もった願望が確かに存在したんだよ。“迷宮を斃し、あの地を人の手に取り戻したい”という、君たち人間にとっては儚くも美しく、大いなる世界から見れば独善的な願望がね」
「それ故に、“名もなき錬金術師”は誕生したと?」
「あぁ。なにしろ契約に縛られた哀れな錬金術師だからね。ヨハン、代々その名を継いできた君ならば分かるだろう?」
ヨハン、というひどく平凡な名を継ぐことが、この国の皇帝の資格の一つであることは一般には知られていない。代替わりするたびに同じ名を名乗る皇帝を、臣民は「そういうものか」と思うだけだ。
もちろん皇帝のこれほど近くに寄り添う少年のことを知る者は一部の側近を除いて知らぬことだ。もちろん姿を見る者がいないではないが、「宮殿に勤める小姓か何かか」と気に留めることも記憶に残ることもないのだ。それは不思議と言っていいほどに。
「ともかくさ」
ロキは東側の窓際へ歩きながら話を続ける。
「“名もなき錬金術師”は積年の大願に見合うだけの実力を持つに至って、その成就に力を尽くした。それはいい。素晴らしい。よくやったと賞賛し、褒美をくれてやるべきだ。
だがね、役目を終えて褒美をもらって、それで終わりにならないことは君が一番よく分かっているだろう、仮にも君はヨハンなのだから。
彼女は力を持っている。路傍の石などと、静かに暮らしたいなどと、とんでもない。
そうだろう? そうなんだ。そうでなければならぬのだ。
何せ、彼女は錬金術師だ。路傍の石に戻りたいなら――」
ロキが窓を開け放つのを待っていたように、東から風が吹きこんでいた。
広い庭に囲まれた宮殿のこの部屋には街の喧騒も届かず、皇帝には木々の香りと小鳥のさえずりを届けてくれる。
けれど、ロキには違ったのだろう。鼻の上にしわを寄せるように笑うと声を上げた。
「あぁ、きな臭い、きな臭い。魔の森を越えて臭ってきそうだ」
きな臭い――。何やら怪しく、胡散臭いさまを表す言い回しだが、紙や衣、木が燃える臭気を指す場合もある。不審に思った皇帝が風の香りに意識を払うが、彼にとってはただ清々しいだけの心地いいものに過ぎない。
「湖の淀みに消えてしまえばいいものを。
迷宮がようやく潰えたというのに、森は一層騒がしく、心休まる時はない」
あぁ、いつもの発作かと、皇帝はペンを置き手元の書類が風に飛ばされないようにペーパーウェイトを載せる。仕事はまだまだあるけれど、このまま続ける気にはなれない。
ロキの身体は、もうずいぶん悪いのだ。末期になると、このような理解しがたいことを言い出す。その証拠に、風に揺られるカーテンを掴んでは、力任せに引っ張っているではないか。
ぐらり。
突如としてロキが仰向けに倒れた。その様子は糸の切れた人形のようでもあり、急に体の制御を失った様にも見えた。
大丈夫か、と声をかけるより先に、目を見開いて天井を見据えるロキの口が微かに動く。
「――疲れた」
ロキは十を少し超えたくらいの少年だ。転ぶくらいよくあることだ。しかも今回は、執務室の毛足の長い絨毯が彼の身体を受け止めて、肉を打ち付ける音さえしなかった。
痛みを訴えたわけではない。
けれど、口以外ピクリとも動かないロキの身体はいびつに歪み、彼を包む複雑な模様の絨毯は腐汁のような黒い染みに汚されていった。
「贄の一族をここへ」
皇帝が扉近くの側仕えに命じると、近くに待機していたのだろう、間もなく学者のような風体の男が数名入室し、ロキを運び出すべく石板に寝かせた。用途の上では担架と表していいのだろうが、ロキが寝かされたのは病人を素早く負担をかけずに運び出すための道具ではなく硬い石の石板で、施された細かな彫刻も合わさり秘術の祭具じみている。
「ロキよ、安心せよ。替わりはすでに準備してある」
皇帝がかけた言葉からは、慈愛も冷淡さも感じ取れない。
そもそもかけられたその言葉は、ロキにとって何の意味もなさないのかもしれない。
石板の上で動かないロキは、まるで悪夢にうなされるかのように言葉を紡ぐ。
ロキと呼ばれた少年が、皇帝ヨハン=シュトラウス・レッケンバウエル・15世にかけたそれは、逆らうことの許されない命令だった。
「あやつの子でも仕方ない。あやつの子なら丁度いい。
ヨハン、名もなき錬金術師を帝都へ呼ぶのだ――」
「……承知した」
いつの間にか、東の窓から吹きこむ風は止んでいた。
複数の侍従と侍女が汚れた絨毯を交換して出て行ったあと、皇帝は再び机に向かうと次の書類を手に取るのだった。
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後々の世に伝わる帝国史において、迷宮都市における迷宮討伐とそれにまつわる人々の名は同時代の重大事件の一つとして刻まれている。その中に、“始まりの錬金術師”と称される人物の記載があるがその正体は不明とされる。
帝国の初代皇帝その人こそが、原初とも言うべき最初の錬金術師であるとする記載とも相まって、“始まりの錬金術師”の存在は一種のプロパガンダではなかろうかと疑問視する声もあるのも事実だ。
後の学者に調査を試みた者もいないではなかったが、迷宮討伐の数年後に帝都クアドラを襲った大震災によりいくつかの資料は散逸してしまっている。よって、当時に登録された錬金処方録を紐解くことで、“始まりの錬金術師”を明らかにしようと試みたものの同時期の登録者は余りに多く、特定するには至っていない。
マリエラの名前は帝国史には残りませんが、彼女の足跡は帝国にも残ります。
ということで、帝都編「赤き荒野のゲニウス・ロキ」3月21日から始まります!
こちらは長編を予定していますので、こちらではなく本編の外伝として掲載します。
お楽しみに!




