白の仔ら㉖ エピローグ
「まさか、ユーグランス殿にご助力頂けるとは」
「私も商人の端くれですから。頂いたものに対して相応の対価をお支払いしたまでですよ」
エミリーが機嫌を直し、エドガンが調子に乗ってフォレストウルフに噛まれた尻を露出しかけてリンクスとジークにしばかれている頃、『ヤグーの跳ね橋亭』の一室で黒鉄輸送隊のディックとマルロー、そしてエルフの男がにこやかに会談していた。
ニクス・ユーグランス。樹木と天秤のエンブレムを持つ帝都のオークションハウス『テオレーマ』の運び人だ。
「それで、あの人さらいどもの雇い主は判明したのですか?」
「いいえ。いつもの尻尾切りですよ」
「いつもの?」
「ほう」
捕らえられた人さらいたちは雇い主の名前も知らず、手掛かりと言えばシュッテとアウフィの行動を縛った魔法陣だけだった。迷宮都市の都市防衛隊が“金銭目当ての短絡的な犯行”と結論付けて終わりにした案件だったが、ニクスはそれ以上の情報を知っているらしい。
マルローの問いに対してニクスはもったいぶることもなく“いつも”とやらの話をしてくれた。
「攫われた白い双子――、あの子供たちの他にも白いつがいの動物の噂は私の耳にも入っていました。おそらく彼らは精霊の類なのでしょう。そういう者たちを集めている集団があるのですよ。我々エルフは精霊を信奉していますから、役目をおった精霊を助けるのは道理です。荷運びの傍ら、そういった話を聞きつければ解放するのもまた、私の仕事なのです。それに今回は、あの小さな精霊たちに少しばかりの借りもありましたしね」
「精霊を集めている集団ですか?」
「それはどこのどいつなんだ?」
「それは知らない方がいい。簡単につぶせるものなら、我らが潰していますから」
都市伝説でも語るようなニクスの話ぶりにマルローは内心でため息を吐く。真実をつまびらかにはしてくれないが、嘘をついている様子もない。
迷宮という共通の敵を有し危険にさらされ続けている迷宮都市と違って、比較的安全な治世を長く続けてきた帝都は、人間同士の様々な権益が複雑に絡み合った伏魔殿であるのだろう。少なくとも迷宮都市だけで手いっぱいなマルローたちは、藪をつついて蛇を出す気はさらさらない。もちろん降りかかる火の粉は全力で払うつもりだが。
「その集団とやらが、再び迷宮都市に手を出してくる可能性はあるのですか?」
「白い双子たちが去った今、その可能性はないでしょう。そもそも精霊の捕獲についても、本腰を入れているわけではない。受肉できる精霊というのは強大な力を持つのです。個体によっては帝都を滅ぼしかねないほどの。そんなものは奴らの手に余りますから、この程度の魔法陣で縛れ、使い捨てのコマでも捕獲できるような扱いやすい個体だけを集めているようです」
手に入ればラッキー程度のものなのだ。迷宮のある場所ではあまり見かけないが、精霊というものはどこにだっているのだ。もちろんその大半が姿を視認するのも難しいほどの儚い個体なのだが。
「確かに、受肉した精霊などおとぎ話の住人ですし、そうそう出会えるものではないですね」
「あの双子は白いことを除けば普通のガキと変わらなかったぞ。だから気付いていないだけで、結構いるかもしれんだろ?」
(そういえばマリエラさんと出会った時、ディックはマリエラを森の精霊と勘違いしていましたね。彼女は彼女で、迷宮都市にいるはずのない錬金術師だったのですが)
そんなことを思い出しながらマルローは会話を仕事に関する物へと切り替えていく。
ニクスの所属するオークションハウス『テオレーマ』は帝都でも有数の大店だ。仕事を請け負えるならば黒鉄輸送隊の、そして迷宮討伐軍の利益に大きく貢献できるだろう。
「精霊が居着いていたということは、あの少女も、あの少女と親交があるあなた方も信頼に足る方々なのでしょう。これから迷宮都市からの荷が増えそうだともお伺いしています。我々としましても、ぜひともお取引をお願いしたい」
「それはありがたい」
「折角の機会だ。どうだろう、下で一杯」
エルフの商人とマルローはにこやかに握手を交わし、酒を飲みたいディックがすかさず酒宴にさそう。『ヤグーの跳ね橋亭』の1階では“双子ちゃん奪還ありがとう会”が始まっている頃だろう。
「えぇ、ぜひ」
気まぐれな風が紡いだ数奇な縁。それが今結ばれた。
その後、オークションハウス『テオレーマ』が迷宮都市にもたらした利益は計り知れず、資金面で迷宮の大きな助けになったのだけれど、この縁が得難いものであったことをマリエラたちが理解するのは、迷宮が討伐された後になってのことだった。
■□■
「しくしくしくしく。ケツ、ちょっと齧られちゃった。もう、お婿にいけない」
エドガンが、顔を覆った指の隙間からチラチラチラチラ視線を送りながら、ジークとリンクスにウザ絡みして来る。口でしくしく言う人なんてマリエラは初めて見たのだが、『ヤグーの跳ね橋亭』のお姉さん方にはこういうところがウザ可愛いと、陰でちょっぴり人気があるらしい。もちろん、エドガンには内緒の重大機密だ。エドガンを生暖かく迎え入れてくれるだなんて、実に優しい世界だといえる。マリエラには、エドガンの可愛さなんてよくわからないのだが。
「それで、マリエラちゃん。エドガンどうしちゃったのよ?」
「あ~、シュッテとアウフィを探しに行ったとき、ちょっと森においてけぼりにしちゃって」
『ヤグーの跳ね橋亭』のお姉さん方に小声で聞かれたマリエラは、状況を説明する。
シュッテとアウフィが攫われたあの日、魔物寄せポーションを尻ポケットで割ってしまって森狼に狙われたエドガンは、聖樹の若木の上に登って一人寂しく夜を明かしたらしい。ちなみにエドガンの載ってきたラプトルは、大変おりこうさんなことに迷宮都市の門が閉まる前に一匹でちゃんと戻ってきたので、エドガンは孤立無援の一人ぽっちだった。
さっさとフォレストウルフを討伐していれば、門が閉まる前に帰ってこれたはずなのに、ジークやリンクスが戻ってくるのを待っていたらしいから自業自得ともいえる。
ちなみにマリエラとジーク、リンクスにディックは、シュッテとアウフィの旅立ち(仮)に、エドガンのことなどすっかり頭から消えていて、人さらいを引っ立ててそのまま迷宮都市に帰ったのだが、どうやらそのことで拗ねてしまっているらしい。
「ケツ齧られた」と自己申告するエドガンだが、ダメージを受けたのはズボンだけで、怪我の度合いはかすり傷だ。そもそも、尻に大怪我を追っているなら、こうして木製の椅子に座ることなどできないだろう。ラプトルにまで見捨てられたのがこたえたのか、一人野宿が寂しかったのか、それとも尻部分が破れたズボンで帰ってきたのが恥ずかしかったのか。リンクスとジークがフォローしても、なかなか機嫌を直してくれない。
エドガンだけでも面倒なのだが、今日はその隣でエミリーちゃんまでムクレている。
「ちゃんとバイバイしたかったのに……」
『木漏れ日』に一時帰宅したシュッテとアウフィは、翌朝には旅立ってしまっていた。急にいなくなった二人のことを、マリエラとジークは「これ以上変なやつに目を付けられないうちに故郷に帰した」と説明していて、大人は皆、「誘拐事件があったのだから」と納得してくれた。
しかし、まだ幼いエミリーだけは納得がいかなかったらしい。あれからずっとむくれているのだ。
泣く子と地頭には勝てないとはよくいったものだ。
“双子ちゃん奪還ありがとう会”で機嫌を直してくれないものか。
「ディックさんたちがまだだけど、そろそろ始めましょうか」
「おう、イイもの仕入れてるぜ。うちのエミリーも世話をかけたんだ。今日はサービスさせてもらうぜ」
『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターがたくさんの良いお酒と料理、エミリー用のお菓子をカウンターに並べ、アルコールの登場でお仕事モードに切り替わった『ヤグーの跳ね橋亭』のお姉さんがテーブルに並べていく。
エミリーちゃんの前には砂糖がたっぷりかかった甘いお菓子が並び、エドガンの両隣には綺麗なお姉さんが並ぶ。これには二人も口の端を緩めずにはいられない。
「エミリーちゃん、これ、二人がエミリーちゃんにって。二人と仲良くしてくれてありがとうね」
「うん……」
マリエラが双子の残した宝箱に入っていた聖樹の葉の押し花で造った栞をエミリーちゃんに渡す。エミリーは栞を大事そうにしまい込むと、お菓子をほおばってくれたから、どうやら機嫌を直してくれたらしい。
ちなみにエドガンの方はもっとずっと簡単で、お姉さんにサンドイッチされた時点で、鼻の下が伸びていた。
「エドガン、聞いたわよ。一人で大量のフォレストウルフを退治したって! さすがねぇ!」
「腕っぷしのいい男って素敵!」
「まっ、まぁ、俺様にかかれば? あんなワンコロの一匹や二匹!」
「まったく、エド兄は調子いいなぁ……」
「あまーい。エミリー、このお菓子すき。今度二人が来たら、一緒に食べたいな」
美味しいものは脂肪と糖でできている。幸せも、脂肪と糖でできているのだ。お腹いっぱい胸いっぱい、ついでにおっぱいもいっぱいなので、泣く子と地頭の機嫌も無事に良くなった。
即物的だなぁ、と思わなくもないけれど、今日は是非ともにぎやかに盛り上がって欲しいなと、マリエラとジークは思う。
だって騒がしい双子がいない日常は、静かすぎるし手がかからな過ぎて、まだ少し寂しいのだから。
こうして、突風が吹き抜けたあとのマリエラとジークの暮らしに双子のいない日常が戻ってきた。
迷宮都市には時折強い風が吹き抜ける。
「ぎゃー、マントがって、うわぁ、洗濯ものがぁー!」
強い風はマリエラのマントをばっさばっさとめくりあげ、うっかり止め忘れていた『木漏れ日』の洗濯物を巻き上げ吹き飛ばしていく。
いたずらな風が吹き抜ける度、『木漏れ日』に集う人々は白い双子を思い出すのだった。




