白の仔ら㉕ 風の行く先
突風が過ぎた後、いつもはどこか恐ろしい魔の森は、よくないものを風が吹き飛ばしてしまった様に清々しい空気で満ちていた。
『風見鶏のポーション』の効果さえも吹き飛ばされてしまったのか、マリエラの目には輝くような深い森の景色が映っている。
ディックが車輪を壊した荷馬車は横転し、崖のすぐ手前に転がっている。繋がれていたヤグーは無事だ。荷車と一緒に転倒したようではあるが、怪我はないのか突風に驚いた様子でキョトンとした表情で草の上に座っている。
荷馬車から逃げて落ちた人さらいの二人は、体を地面に強か打ち付けたところをフォレストウルフに集られてヒーヒー言いつつ暴れていた。悪いことをするからだ。どこかのおサルのように尻の一つも噛まれればいい。
しかしフォレストウルフは尻ではなくて首筋を容赦なく狙って来るので、殺されないようディックとリンクスがフォレストウルフを追い払い、人さらいたちを捕まえる。
この場所には、あとは少し離れた場所にいるマリエラとジークがいるばかりで肝心の双子の姿はどこにも見えない。けれどマリエラとジークは二人の行方をちゃんと見ていた。人の姿をした可愛らしい白い双子の姿が、風に変わって吹き抜けていくところを。
「おぉい、マリエラ。チビっ子どもが見当たらねーぞ」
人さらいを手早く縛り上げたリンクスが、マリエラのところに走って来る。
「シュッテとアウフィは旅立ったよ」
「そうか。二人は……」
「ハァ!? 旅立った? どこへ??」
マリエラの答えに納得した表情を浮かべるジークと、何言ってんだと驚くリンクス。
やはり一緒に暮らしていたジークは、不思議な双子の様子に感じるところがあったらしい。
「大いなる海、麗しき海、母たる海を陸は恋う
その身を削り、引き裂き砕き、命を込めて海へと贈る
父たる陸のみそぎによって、母たる海は命にあふれ、富み満ちる
母たる海の返礼は
大地を覆い、慈愛を返す
彼女の白き仔どもたち」
マリエラは一片の詩を口ずさむ。
「“海と陸の謡”だったか?」
「そうだよ、ジーク。昔、師匠が教えてくれたんだけどね、川っていうのは山で生まれて山の栄養を海まで運んでいくんだって。川が流れ込む辺りの海は特に豊かで、たくさんの小さな命にあふれてるって。
海ってね、すっごく広くてお魚もたくさん住んでるんだけど、海の生き物は海だけじゃ生きていけないの。川が運んできてくれる陸の贈り物――陸の栄養分が無いと、豊かにはなれないんだって」
陸の贈り物で豊かな命にあふれる海は、《命の雫》で満ちている。
だから海は、お礼として《命の雫》をたっぷり込めた彼女の仔どもたち――風を山へと送り出す。
「風の仔どもたちは陸を渡って山に行くうち、白い姿――雲に変わっていって、山にたくさんの《命の雫》を、雨を降らせるんだよ」
「それがシュッテとアウフィの正体なのか」
「じゃあよ、あのチビどもは……」
「うん、二人は風の精霊なんだよ」
普通なら山へ旅する風の精霊たちは、獣の姿も人の姿も取ることはなく、まっすぐ空を吹き抜けていく。その道筋は地脈の流れに沿うことが多い。途中で力尽きないように、地脈の力を借りるためだ。
しかし、この土地には迷宮がある。迷宮は地脈の力を自分勝手に喰べてしまうから、実体を持たない精霊では山まで恵みを届けられない。だから風の精霊たちはつがいの獣の姿を借りて、お互いを支え合いながら山を目指して旅をするのだ。
迷宮都市の北に住む山岳民族が白い獣たちのことを“山の供物”と呼んでいたのは、白い獣たちが山に恵みをもたらす風そのものだと気が付いていたのだろう。
「よき風が吹きますように」
その挨拶こそが、何よりの証拠だ。
「マリエラはいつから気が付いていたんだ?」
「うーん、いつからだろう? よくわかんないけど、最初に“風の通り道”で二人に会った時、なんだかお腹空かせてそうに思えたんだよね。うちで休ませてあげなきゃって思って」
もしかしたら地脈の深くで繋がっているマリエラは、無意識下に双子の正体と、双子が弱っていることに気が付いていたのかもしれない。
そしてシュッテとアウフィもまた。
「小さな葉っぱのにおいがするね」「おいしいお水のにおいがするね」
マリエラと出会った時に双子が言った言葉。それは『木漏れ日』にあるまだ若い聖樹とマリエラが汲み上げる《命の雫》のことだったのではないか。
「二人とも寄り道せずにちゃんとたどり着けるといいんだけど」
マリエラは双子の目的地のはずの北の山脈を眺める。
傾きかけた日差しを受けた山脈は、子供たちの訪れを待つ明るい窓辺のように輝いて見えた。
■□■
(マリ姉ちゃんは、もう遅いから帰れって言ってたけど……。シュッテとアウフィは見つかったかなぁ)
夕暮れに染まる『木漏れ日』の軒先に、エミリーが座り込んでいた。
シュッテとアウフィの行き先をマリエラたちに伝えた後、『ヤグーの跳ね橋亭』に帰るように言われたけれど、どうしても心配になって戻ってきてしまったのだ。
『木漏れ日』に戻ってきた頃にはマリエラたちは出かけた後で、『木漏れ日』は閉まっていたから、軒先に座ってずっと待っていた。
最近は陽が落ちるのが早くなったとエミリーは思う。
昼間はあまり感じないのに、夕暮れ時はなんだか少し肌寒い。昼間の明るさが嘘のように、茜に染まる空に合わせて街が色付いていくこの時間は、なんだか少し心細くて、父ちゃんの待つ明るい店に走って帰りたい気持ちになる。
(もう、帰ろうかな……)
もうすぐとっぷりと日が暮れる。そんな頃合いに、遠くから見慣れた人影が近づいてきた。
「マリ姉ちゃん、リンクスにジーク兄ちゃん。お帰りなさい! ……シュッテとアウフィは?」
喜んだのも束の間で、帰ってきたのがマリエラたち3人だけだと知るや、エミリーは風船がしぼんだように元気をなくした。
「エミリーちゃん、待っててくれたの? えっと、二人はね……」
なんといって説明しよう。二人はちゃんと助けて送り出したのだけれど、あの場に居合わせなかった者なら信じがたいのではないか。
マリエラが詰まった言葉に続くように、元気な言葉がマリエラの後ろから響いた。
「シュッテ、お腹空いた! ハンバーグ食べるの!」
「アウフィもお腹空いた! ハンバーグ食べたい!」
「…………………………えぇえ!? なんでぇ?」
いい感じで送り出したのではなかったか。そういえばマリエラが風追い歌を歌った瞬間、風は山脈のある北ではなくて東――、迷宮都市の方角に吹き抜けていったけれど、初めから『木漏れ日』に帰るつもりだったのか。
「マリ、ハンバーグって言った。シュッテ、デザート、ケーキがたべたい」
「エラ、ハンバーグって言った。アウフィはデザート、アイスがたべたい」
「いや、言ったけど、言ったけど……」
脱力のあまり膝から崩れ落ちそうになるマリエラ。肉とアイスは地下の冷凍魔道具にストックがあったはずだが、ケーキに使うクリームはあっただろうか。
「シュッテ! アウフィ! よかったよ~~~」
事情を知らないエミリーだけが双子の帰還を大喜びしたのだけれど、エミリーに気付いた双子は「思い出した!」とばかりにピピッと反応して、ジークの後ろにさっと隠れた。
「シュッテ、まーだだよ」
「アウフィもまーだだよ」
かくれんぼをしていたことを思い出したらしい。ジークの左右の両足に、白い双子が一人ずつ。ジークの脚は長いが太くはないから、全然隠れられていない。
「何言ってるの、さっき“もういいよ”って言ったの聞こえたんだからね。シュッテ、アウフィ、みーつけた!!」
相変わらずマイペースな双子の様子に、安心したエミリーがニカっと笑う。ようやく見つけてもらえた双子がわらわらとジークの後ろからエミリーの方へ駆けよっていく。
「ホレホレお前ら、遊ぶのはそれくらいにしてメシにしよーぜ。エミリーも食ってけよ」
「なんでリンクスが決めるのよ、いいけどさ。『ヤグーの跳ね橋亭』のみんなが心配するだろうから、エミリーちゃんがごはん食べて帰るって、リンクスが伝えてきてよね」
「へーへー、分かったよ」
「ジークはメルルさんの所に行って、クリームあったら買ってきて」
「分かった」
「シュッテ、マリエラのはんばーぐ大好き!」
「アウフィもマリエラのはんばーぐ大好き!」
「エミリーは、父ちゃんのハンバーグの次に好き!」
たくさん遊んでたくさん食べて、お腹がいっぱいになったらよく眠る。シュッテとアウフィは無邪気な子供そのものだ。そして子供は、思いもよらない速さで成長し、いつか旅立つものなのだ。
「ごちそうさま」と「おやすみ」のいつもの変わらぬあいさつに、双子は「ありがとう」を付けたした。
■□■
その夜、迷宮都市に北の山脈に向かって強い風が吹き抜けた。湿気を含んだ風は高い山を登って雲となり、山脈から迷宮都市にかけて雨を降らせた。
翌朝、雨音で目覚めたマリエラとジークは、『木漏れ日』のどこにもシュッテとアウフィの姿が見えないことに気が付いた。
「ほんと、いきなり帰ってきたと思ったら、さよならも言わずに行っちゃうなんて……」
ぐっちゃぐちゃに寝乱れたベッドと、散らかりまくった双子の着替えがシュッテとアウフィが確かにここにいたことを物語っている。
「いきなり出ていったなら、またいきなり帰ってくることもあるんじゃないか? ……宝物も置いていったようだし」
ジークが開けた双子の宝箱の中には、木の枝や綺麗な石ころ、虫の抜け殻なんていう子供の宝物が残されていた。どちらかというと男の子が集めそうな物ばかりなのがあの子たちらしい。
「そうだね。……ってこれ、聖樹の枝じゃない!? この状態、無理に折ったわけじゃなさそうだけど。それに石ころに交じってスライムの核とか混じってるし、この蟲の抜け殻……」
双子の宝物はほとんどゴミだが、どうやって手に入れたのか悩ましいものも混じっている。保管する前に危ないものが無いかきちんと検分しなくては。
「ほんっとうにあの子たちときたらー」
苦笑交じりにマリエラは山脈の方を見る。
山脈にかかった雨雲はとても大きく成長していて、乾いた山の峰に水の恵みをもたらすだろう。高い山脈の頂が雪化粧に白く染まっていく様子をマリエラとジークは時折眺めながら、雪のように白い髪を持つ愛らしい双子が、ふかふかの雪の中を駆けまわっている姿を思い浮かべた。




