白の仔ら㉒ 風を見る
「マリエラ、どっちだ?」
「こっち! 進行方向より10度くらい左の方向」
「チッ、やっぱりもう魔の森に入ってやがんのか!」
迷宮都市の西の森をリンクスとマリエラ、ジークが2頭のラプトルに乗って疾走していた。
戦えないマリエラがシュッテとアウフィの奪還に同行しているのは、本人のたっての希望もあるが、それ以外にも理由がある。
(ほんとうに、見えるなんて……)
今、マリエラの目にはいくつもの光の筋が写っている。
――風見鶏のポーション。
風の流れを視覚化できるという、船乗りの間でお守り的に使われているポーションの効果だ。
“風の通り道”――、シュッテとアウフィの二人と出会った場所に生えていた薬草から作れるポーションの一つで、好奇心に任せて作ったまでは良かったが、材料を見る限り重度に酩酊させて幻を見せる眉唾物のポーションのようだった。
だから、作ったものの『木漏れ日』の工房の隅にしまい込んでいたのだ。
『ヤグーの跳ね橋亭』でシュッテとアウフィの失踪を聞いたマリエラとジークは、入れ違いになっていないか一旦『木漏れ日』に戻ったのだが、そこに双子の姿は見つからなかった。
街の中を探しに出ようかと考えた矢先、窓を開けっぱなしにしていた工房に一陣の風が吹き込んで、置いていた乾燥薬草をめちゃくちゃに吹き飛ばしたおかげで、風見鶏のポーションを思い出したのだ。
(もしかして……)
駄目で元々、酩酊したって解毒ポーションを飲めばいい、くらいの感覚で風見鶏のポーションを飲んだマリエラの前に広がっていたのは、風が光の尾を引いて流れる幻想的な光景だった。
『木漏れ日』の店内を、廊下を、風呂を、風のあまり通らない地下室まで何重にも流れるアイスグリーンとパステルグリーンの薄く細い線。シュッテとアウフィの瞳と同じ、淡い緑の痕跡が、二人のものだとマリエラは直感的に理解した。
(あの二人はやっぱり……。でも、これなら二人を追える!)
風見鶏のポーションに可能性を見いだしたマリエラだったが、その希望は『木漏れ日』から一歩街に出た瞬間に打ち砕かれた。
(線だらけでどっちに行ったのかもわからない……)
シュッテとアウフィが元気いっぱい駆けまわり、楽しく暮らした迷宮都市は双子の痕跡に満ちていて、どちらに向かったのか判断するのさえ困難だったのだ。
もしもエミリーが、二人が西門付近から連れ去られたと情報を持って駆け付けてくれなければ、マリエラとジークは迷宮都市中をくまなく探さなくてはならなかったろうし、西門に辿り着くまでに誘拐犯たちはずっと遠くに逃げ延びていたかもしれない。本当に、エミリーはお手柄だ。
流石にエミリーを連れて行くわけにはいかないから、『ヤグーの跳ね橋亭』に帰ってもらったけれど、必ずや吉報を持って帰らなければ。
マリエラは慣れない視界に目を凝らす。
「流れが変わったよ。そこの岩の手前を曲がって森に入ってる」
「わかった。ここからは俺が一人で先行する。ジークたちは距離を空けてついてきてくれ。対象を確認したらその場で待機。ディック隊長たちが到着するまで絶対に動くなよ。特にジーク。マリエラの安全が最優先だ。分かってるよな?」
「分かっている」
迷宮都市内は双子の痕跡だらけだったけれど、エミリーが見つけた城壁の穴からならば、風見鶏のポーションのお陰で二人の後を追うことができた。自由を奪われての移動だからか、とても淡い痕跡だったが、エミリーが知らせた通り西門から少し離れたあたりから西の森に向けて二人の痕跡が続いていたのだ。
西の森を抜けて魔の森へ。街道沿いにしばらく進んだ後で、ふたたび街道から外れて魔の森の奥へ。双子の痕跡を視認できなければ見逃してしまっていたような場所だ。
「この先に、聖樹の若木があるはずだ。最近見つかった安全地帯で、迷宮都市に一番近い。俺らもついさっき知ったばかりの、あんまり知られてない情報だ」
魔の森の街道付近にある聖樹の周りは、夜を安全に過ごせる安全地帯として重宝される。何度も使ううちに馬車のわだちが道になって広く知られるようになるが、新しい場所の情報は秘匿され、高値で売り買いされるものだ。
迷宮都市に日帰りで往復できるような近い場所ならなおさらだ。まっとうな使い方をするなら、迷宮都市まであと少しという時に日が暮れてしまった時や、出発が遅れた時の時間調整場所になるが、悪だくみをする者にとってはそれ以上の価値がある。
今回のようにこっそり持ち出した物品を受け渡す場所に最適なのだ。
「よくそんな情報が手に入ったな」
「ギャウ!」
ジークが感心したように言うと、褒められちゃったとばかりに騎乗していたラプトルが鳴き、次いでリンクスが返事する。
「あぁ。俺も意外だったけどさ、誘拐事件を聞きつけた、とある商人がこっそり教えてくれたらしい。……さて、そろそろいくぞ。マリエラは、ただでさえドンくせーのに、今はまともに見えてないんだろ? ジークの言うことちゃんと聞いて、おとなしくしてるんだぜ?」
「分かってるよ、そういう約束で連れてきてもらったんだから」
「ギャウ!」
風見鶏のポーションの効果中は、風の痕跡が見える代わりに通常の視界はおぼろげになる。しかもお酒に酔ったみたいに酩酊状態になっていて一人では歩くのも危なっかしい。例えジークやリンクスであってもこんな状態ではシュッテとアウフィを攫った連中と戦うのは難しいだろう。だから、案内係としてマリエラの同行が認められているのだ。
ちなみにマリエラを前に乗せラプトルに同乗しているジークは護衛役で、戦闘が始まれば十分距離を取ることになっているし、場合によってはシュッテとアウフィを見捨てることになっても撤退することを約束している。
マリエラが約束するのをリンクスが確認したちょうどその時、迷宮都市にいるマルローから念話で定時連絡が入った。
――リンクス、そちらはどうですか?
――マルロー副隊長、やっぱり奴ら例の場所にいるらしい。運び屋はまだ来てないみたいだ。
――そうですか。もうすぐディックとエドガンがそちらに着きます。それまで待機するように。
――分かった。でも、運び屋と人さらいに挟み撃ちされるなんて御免だぜ?
――それは大丈夫です。ふふふ、こちらはなかなか面白いことになっていますよ。
――何でもいいけど、大丈夫ならいいや。じゃ、作戦継続ってことで。
リンクスはマルローの念話スキルで状況を報告すると、魔の森の濃厚な木陰に溶け込むように姿を消す。“影使い”の能力だ。こうやって影に溶け込んでしまえば、ちょっとやそっとの冒険者ではリンクスを見つけられないだろう。フォレストウルフのような感覚に優れた魔物なら運が悪ければ見つかるだろうが、今のリンクスはマリエラ特製の魔物除けポーションをたっぷり使っているからその心配もない。
マリエラとジークも、 “気配遮断”の魔法陣を使って気配を消しているから、十分に距離を取っていれば見つかったりはしないはずだ。
ざわざわ、ざわざわと、梢を揺らす風が騒がしい。
おかげでラプトルが草を踏みしめる微かな音も、森のざわめきに紛れてくれる。
そうしてしばらく進んだ先に、ヤグーが引く小型の荷車と二人の男の姿が見えた。
「おい、どうなってるんだよ。遅いじゃないか!」
「声がでけぇよ。どっかの輸送隊に見つかったら面倒だろ」
「だからその輸送隊がこねぇって言ってんじゃねぇか!」
「うるせぇよ! 声がでけぇって何回言わせんだよ!!」
「シー、しないと見つかっちゃうのよ」
「シー、してても見つかっちゃうのよ」
「……お前ら状況分かってんのか」
「魔法陣使うぞ、コラ」
魔の森の街道から少し奥に入ったあたり、聖樹の若木に護られた安全地帯に双子と双子を攫った冒険者二人はいた。
首だけ外に出した状態で二人まとめて袋に詰められた双子は、なんだかサプライズのプレゼントみたいだ。二人一緒なら温かいだろうと優しい方の冒険者がまとめてラッピングしてくれたのだが、二人の入れられた袋には例の動きを止める魔法陣がのしのように貼ってあり、そばに付いた人さらいが魔力を流すだけでいつでも動きを止められる。いっそのし付きで返品してくれたなら二人の罪も軽くなるのに、今更引き返すことのできない二人は、時々刻々と西に傾く太陽に焦りを感じているようだ。
「……こんな状況だってのにビビりもしねぇで。頭のネジが何本かトンでんじゃねーか?それとも人間じゃねぇからか?」
「泣き叫ばれるよりゃ、ましだろ? それよりよ、日が暮れちまったらどうするよ」
「シュッテ、魔の森こわくない」
「アウフィも魔物、へーきなの」
攫われたシュッテとアウフィはのほほんとしていて随分と余裕があるのに、さらった方の二人組は、焦りがすっかり顔に出ている。この場所で輸送隊と落ちあい帝都に向かう算段だったのに、約束の時間を過ぎても輸送隊が現れないのだ。
「チッ、ここまで入念に準備を進めてきたってのによう」
御者台でヤグーの手綱を握った男が独り言ちる。
一番厄介だった迷宮都市から双子を連れ出す方法も、貧民街近くの排水溝の土壌の緩んだあたりに双子が何とか通れるくらいの穴を掘ることで対処できた。
迷宮都市にとって城壁は非常に重要だ。周りに植えられた魔物の嫌う臭いを放つブロモミンテラや魔力を吸収するデイジスのツタは強力で、それだけでも魔物を寄せ付けないのだけれど、心理的な恐ろしさというものは簡単に払拭できるものではない。
城壁の外の畑で農奴が襲われたであるとか、西の森に採取に出かけた子供が帰ってこないといった話は迷宮都市ではよく聞く話だ。だから、外界と街とを物理的に遮断する城壁の存在を、人々は頼りにする。
そんな城壁に、排水溝の穴を広げる程度とはいえ穴を開けるなど、見つかればタダでは済まない。
だから二人は、偶然に街中で発生した穴を掘る蚯蚓の魔物を利用して、時間をかけて備えてきたのだ。
人気のない時間を見計らい、城壁の外側で待機していた相棒に穴を通じて袋に詰めた双子を渡す。その後、二人目が西の森に採取に行くフリをして貸しヤグーの引く荷車で双子と相棒を拾って、この安全地帯までやってきたのだ。
ここまでは、本当にうまくいっていたのに。
帝都に行く輸送隊だって、金さえ払えば何でも運ぶ口の堅い連中を手配した。そういう連中を紹介してもらうのにも金を使ったし、運賃の前払い分だって洒落にならない額を支払っているというのに……。
「ったく、どうして来ねーんだよ! 約束の時間はとっくに過ぎてんだよ!!」
声を潜めた人さらいの小さな叫びは、魔の森にむなしく響いた。
画像はMJ画伯。
キリが悪いので、来週も白の仔ら更新します。




