リクエストSS:雷光の誓い
夏乃様リクエスト(キーワード『ガーク爺』と『ヴォイド』)です。
イケメン爺にイケメン旦那とか、エルメラさん、幸せだな。
“エルね、大きくなったらおじぃちゃまのお嫁さんになるの!”
泣き虫だった孫娘の幼い頃の姿を思い浮かべながら、ガーク爺はにやりと笑う。
「迷宮都市広しと言えど、可愛い孫娘にこんなこと言われたジジイは俺ぐれぇのもんだろうな!」
「それは確かにうらやましいですね。だから僕が結婚のご挨拶に伺った時、義理父さんも、義理兄さんたちもあんな反応だったわけですか」
エルメラ・シールの夫、ヴォイドはガーク爺の自慢に完全に同意だ。
ヴォイドがエルメラの実家に結婚の挨拶に行った時、義理父と二人の義理兄が口をそろえて「残念だったな! 爺さん」と言ったのはそういうことだったのか。
エルメラが誰よりガークに懐いていたのは、もちろんガークがエルメラを可愛がっていたこともあるが、先代の『雷帝』を妻としたガークが電流慣れしていたことが大きい。子供は大人の顔色をよく見ているもので、静電気がパチッとしてしまった時に、顔色を変えないガークにエルメラが懐いたのは自然なことだったろう。
もちろんエルメラの父も二人の兄も、エルメラのことをとても可愛がっていたから、「おじいちゃまのお嫁さんになる」発言を、ずっと根に持っていたようだ。屈強な男たちのくせに少々根に持ち過ぎではある。
とはいえ、シール家のアイドルだったエルメラも、ヴォイドをお婿さんとして迎え、今や二児の母である。
ガークを始めシール家の一同は、世界最強の盾と謳われた伝説のSランカー『隔虚』であるヴォイドの正体を知っても、“『雷帝』の雷撃さえ「刺激的」の一言で片づける、世界一の鈍感男”程度に扱ってくれ、家事のできないエルメラの代わりに衣食住――掃除、洗濯、料理を一手に担う最強の婿だとありがたがっている。
『雷帝』を一人の家族として愛し育てた人々だからこその感覚だと、ヴォイドは考えている。彼らは『雷神の加護』のような特殊な能力を持つ者にとって、普通に扱われることがどれほど得難いことか理解していて、それを新たに家族となったヴォイドにも与えてくれているのだ。
「おう、ついたぜ。ここだ」
「ここが油甲羅の生息地ですか」
思い出話をしながらガークとヴォイドが辿り着いたのは、40階層を少し超えた迷宮の奥深く。
雷鳴が止むことなく降り注ぐこの階層には、重力を無視するように硬質な岩が林のように突き出している。数十秒に一度の割合でどこかの岩柱に落ちる雷のせいで、10分もこの階層に滞在すれば耳も視界もやられてしまう過酷な場所だ。
こんな場所で二人が会話をしていられるのは、全身をすっぽり覆う防護服を着用し、ごく近距離での会話を可能とする魔道具を装備しているからだが、こんな階層階段から離れた階層の果てまで、雑談交じりに進んでこられたのは、二人の実力ゆえだろう。
老いたとはいえ元AランカーのガークとSランカーのヴォイドの二人にかかれば、この階層に巣食う帯電した魔物の数々など、どうということもない。
ガークがヴォイドを案内した先は、足場の悪い湿地帯だった。
岩柱に雷が落ちるたび、足元のぬかるみに通電し、帯電した水はうっすらと光を放っている。いつの間に足元がぬかるんでいたのか分からないのは、落雷による発熱で湯だった湖水が蒸発し、霧のように漂っているからだ。
湿度が高く暑苦しい。大気は度重なる落雷で変質して刺激臭を放っている。
ヴォイドはともかくとして、特別な防御スキルを持たないガーク爺には防御服を着ていてもつらい場所だ。
「さっさと捕獲しちまおう。捕まえ方は簡単だが、奴らの歯は強靭だ。ワイヤーを喰い千切られんように気を付けるのがコツっちゃコツだな」
「なるほど。餌は何でも?」
「血の臭いがすりゃ何でも喰いつくが、骨の部分で十分だ。でけえほうがいいな。ワイヤーも結びやすい」
ガークが用意してきた餌は、肉が少しだけこびりついたオークの大腿骨だ。スープを取ったり、ラプトルのおやつにしたり、乾かして肥料用途の骨粉に加工される、捨て値で売られているもので、それに細い金属製の長い紐が3本結び付けられていた。
「針は?」
「いらねぇ。どうせ喰いついたら離さねぇからな。やってみな」
長いワイヤーの端を近くの岩に括りつけた後、ガークは大腿骨をヴォイドに渡す。
ヴォイドがワイヤーが絡まず広がるように大腿骨を湿地帯の中へと投げ入れると、餌の落下に合わせて湖面の水蒸気がふわっと広がり、水面に落下するのが見えた。
ビチビチビチビチ!
餌が着水した瞬間、何か小さい生き物が大腿骨に群がる様子が見て取れ、次いで。
バックン!
ぶわと水蒸気を揺るがすほどの衝撃で、何か大きいものが大腿骨を群がる小物ごと呑み込んだ。すかさずヴォイドが手元の3本のワイヤーを手繰り寄せると、手ごたえがあったのは1本だけで残る2本は喰いちぎられて手元に戻った。
「最初で1本でも残れば上出来だ。こいつはなんでも喰いちぎり呑み込んじまうが隙っ歯だからな、こうして簡単に捕まえられる。あとは疲れんのを待って……っておぉ!?」
喰いちぎられずに残ったワイヤーは、掴むヴォイドの手に激しい振動を伝えながら、右へ左へと動き回る。さすがはこんな階層の果てに棲む魔物。恐るべき怪力だ。ワイヤーの端を岩に結び付けていなければ、人間など容易に引き摺り込まれただろう。
しかし、ワイヤーを握っているのは、人類の最高峰、Sランカーの『隔虚』だ。防御に特化したスキルであっても、その肉体能力は常人のそれではない。
油甲羅の抵抗などまるで意に介していない様子で、ぐっぐっぐ、と力を込めてワイヤーを手繰り寄せるたびに、その先の水面が激しく波立ちぶわっと水蒸気が湧き上がる。ワイヤーの耐用荷重を超える怪力同士の引き合いに、縒り合された金属繊維がぶつぶつとはじける。
「おい、無理するな。ワイヤーが持たん!」
ガークとて現役時代はAランカー。高位の冒険者がどれほどの腕力を持つか理解しているつもりだった。だが、まさかこれほどだとは。
ガークの声に作戦を変えるべきだと理解したヴォイドだったが。
「ふん!」
「オイ!?」
普通は泳がせ徐々に体力を削るのがセオリーというものだが、ヴォイドはまさかの短期決戦に出た。
ヴォイドが強くワイヤーを引くと、水中で激しく抵抗していた油甲羅が飛び出して、ワイヤーに引かれるままに石柱にガン! とぶつかる。
水蒸気に遮られ姿が見えたのは一瞬だったが、その丸く平たい形状が見て取れる。まるで柄の代わりに短い手足が生えたフライパン。側面に飾りのついたフリスビー。
水中ではその平らな身体を利用して抵抗していたのだろうが、空中に飛び出したならとてもよく飛ぶ円盤だ。
油甲羅がぶつかった衝撃に崩れる石柱。
衝突のエネルギーが石柱に吸収された分、油甲羅が跳ね返る速度が落ちた瞬間、ヴォイドは手元にあった2本のワイヤーを油甲羅めがけて投擲する。
パシイッと高い音を立てて油甲羅に絡みつく。1本のワイヤーでは強度が不十分だとしても3本もあれば十分だ。そもそも空中に引っ張り上げられた油甲羅に抵抗できはしないのだけれど。
「フッ、フッ、フン!」
ガン、ガン、ガンッ。
右の石柱から左の石柱、そして手前の石柱へ。
油甲羅が落下しないようにワイヤーを手繰り寄せながら、石柱にぶつけていくヴォイド。家事を一手に担う彼は、力加減も絶妙らしい。
ワイヤーから伝わる油甲羅の抵抗が感じられなくなった頃合いに、ヴォイドはワイヤーを一気に手繰り寄せると、回転しながら飛んできた油甲羅を、まるでピザ生地でも伸ばすように指先で回転させながら受け止めた。
「これが、油甲羅ですか。なかなかすごい形状ですね」
「いや、スゴイのはお前さんだと思うがな……」
経験豊富な元Aランカーの常識さえ覆す釣りの様子に、半分呆れるガーク爺。
捕獲された油甲羅は直径1メートルはありそうな大物だった。それほどの大きさなのに上下の厚みは15センチほどしかなく、薄っぺらい側面にヒレのある手足と、よく見れば申し訳ほどの尻尾が生えている。
極めて薄っぺらい亀と言った形状なのだが頭はない。代わりに円盤状の上半分の側面にひび割れのような切れ込みが入っていて、ジグザグした割れ目の隙間からワイヤーが飛び出していた。
ここが口だ。頭と胴体と甲羅が一体化したような平べったい亀。油甲羅を端的に説明するなら、そう言った生き物だ。丸いがま口財布と言えばイメージしやすいかもしれない。
「こんな場所に棲んでるだけあって、こいつの甲羅の内側の脂は雷を通さねぇし、感電による火傷にもよく効く。お前さんとエルには必要のないモンだろうが、エリオにゃこれから必要だ。ここの階層の魔物は雷撃が効かねぇから、エルにゃ荷が重い。お前さんに戦わせるのは気が引けるが、俺だっていつまで動けるか分からねぇ。……あとは任せたぜ」
ここはガーク爺の秘密の狩場の中で、最も重要な場所なのだ。
かつてガークが愛した女性、先代の『雷帝』エメラーダが人並みの生活を送るために、この油甲羅の脂は役に立つものだったし、その血を色濃く引いて生まれた幼いころのエルメラにとって、不可欠なものだった。
『雷神の加護』に目覚めたばかりの子供にとって、強力すぎる力の制御が容易なはずはない。この脂を使っても、静電気では済まない威力の電流が流れることはしょっちゅうだった。
触れるたび、痛みに眉をひそめ手を引っ込められれば、その子は人との接触を拒むようになるだろう。他人と触れ合うことを恐れ、孤独を選んでしまうかもしれない。
「任せてください。僕は『隔虚』である前に、エルメラの夫でエリオとパロワの父親です」
「これで俺も肩の荷が一つ降りたってもんだ」
そう答えたヴォイドの言葉に、表情は防御服で隠れて見えないけれどガーク爺が満足そうにうなずいた。
「あぁ、だからあの日……」
ふと、何かを思い出したようにつぶやくヴォイド。
「ん、どうした?」
「いえ、何でも。それより、そろそろ戻りましょう。こんな場所に長居は良くない」
雷鳴の轟く闇と光の階層で、ヴォイドは昔を思い出していた。
真っ暗な迷宮の深層で、そのまま消え去りたいと佇んでいた頃、その境遇に涙して抱きしめてくれたエルメラのことを。ついでに電撃を喰らってしまったけれど、彼女はそんな体質であるというのに躊躇なくヴォイドを抱きしめてくれた。
人と触れ合うことを恐れなかったエルメラ。おっちょこちょいな所はあるけれど、愛情深い彼女。
それは彼女が家族にたくさん抱きしめられ、愛情を注がれてきた証だ。
『雷神の加護』のような特殊な能力を持つ者を、一人の家族として愛し育てることがどれほど難しく、得難いことかヴォイドは良く知っている。その証の一つが、この油甲羅で、ヴォイドはそれをガークから受け継いだのだ。
『雷神の加護』を受け継ぐ息子、エリオが一人の人間として、愛され育っていけるように。
雷が、近くの石柱へと落ちた。
防御服越しでも感覚器を鈍らせる轟音と閃光に、ガークの動きが一瞬にぶる。
その隙を狙って飛び掛かって来る魔物を、感覚だけを頼りにガークの斧が、ヴォイドの拳が打ち砕いた。
こんな階層を、ガークは何度往復してきたのだろうか。
「ガーク殿、貴方はすごい方だ。心からの尊敬を。そして、貴方の跡を継ぎ、エルメラと家族を守ると誓います」
ヴォイドの声は落雷で鈍ったガークの耳には届かない。
けれどその誓いは、雷鳴の輝きと共にヴォイドの記憶に深く、深く刻まれた。




