ロリエラとくさいくさいの精霊
「シュッテ、アウフィ。泥だらけじゃない! おやつの前にお風呂入ってらっしゃい」
今日も今日とて『木漏れ日』に、ママエラの声が響く。
いつもの風物詩だ。どうせ泥だらけの格好で走り回る二人と大捕り物が始まるのだろうと、ジークは箒を準備する。二人の落した汚れを掃いたら、あとはタオルと着替えの準備。風呂上がりの果実水はあっただろうかと、冷蔵の魔道具をのぞき込む。
こんな生活も、だいぶ板についてきた。一人っ子な上、精霊眼を持つゆえに過保護に育てられてきたジークは、どちらかというと気の利かない男だったが、二人……いやほぼ三人の子供と一緒に暮らすうちに随分気配りレベルが上がったようだ。マリエラ以上に名もなき家事をこなすあたり、育メンを名乗っても問題あるまい。
ジークの進化はさておいて、今日の双子はお風呂の気分でないらしい。
いつもより激しい逃走劇が、なかなか終わらない。
「シュッテ、汚れてないもん」
「アウフィも汚れてないもん」
これだけ泥をまき散らしておいて、一体どの口が言うのだろうか。ごねる双子にマリエラが怒る。
「何言ってるの。ちゃんとお風呂に入んないと、“くさいくさいの精霊”に取り付かれちゃうんだよ!」
「何ソレ、シュッテ聞いたことない」
「何ソレ、アウフィも知らないよ」
「……くさいくさい?」
「え、ジークも知らない? 昔、師匠が言ってたんだけど……」
インパクトのある名前の精霊の登場に、思わず停止する双子とジーク。こうしてジークと双子は、いかにも子供だましの精霊の話をマリエラから聞くこととなった。
■□■
それは、マリエラが師匠の元に引き取られてすぐの頃だった。
「おかえりなさい、ししょー!」
「ただいま、マリエラ!」
ぎゅうーっ。
師匠がマリエラにただいまのハグをしてくれる。
幼いマリエラにとって、魔の森の小屋で一人でお留守番をするのは、怖いし寂しかったけれど、帰ってきた師匠が必ずしてくれるハグは大好きだ。体温の高い師匠に抱きしめられると、とっても暖かいし、何よりお腹の中がぽかぽかとしてなんだかくすぐったい気持ちになるのだ。マリエラは、頑張ってお留守番をしたご褒美タイムを満喫する。
だが、その日に限っては、マリエラのご褒美タイムは師匠のデリカシーのない一言であっという間に終わりになった。
「くっさ。マリエラ、風呂入ってねーだろ!?」
「え、え、え」
「マーリーエーラ?」
くりんと背けるマリエラの顔を、師匠が両手で包んで前を向かせる。それでもマリエラは頑なに目を合わせずに、小さい声で「はいったもん、はいったもん」とつぶやいていて、入っていないのがバレバレだ。顔には目やにまでついているではないか。
お風呂というのは贅沢な習慣だ。孤児院にいた頃は、お湯につかるなんてできなかった。
水をお湯にするのだって燃料代がかかるから、生活魔法はまず料理に使われる。小さい子の面倒だって見ないといけない。子供の魔力なんて知れているから、体を綺麗にするためのお湯は、桶に1杯作れれば上等だったのだ。
だからマリエラがお風呂の習慣を覚えたのは、師匠に引き取られたあと。つい最近のことだ。
魔の森の小屋には、薬草園に面した場所に半分外みたいな隙間だらけの風呂場があって、中には大きな酒樽を縦に半分に切ったような湯舟がおいてあった。
マリエラが成長するにつれ、隙間ばかりでぼろいだけのお風呂になったけれど、師匠の元に来てすぐの、自分の魔力では湯舟いっぱいの水も出せないような頃は、湯舟のヘリまで伸びていた青味かかったつる植物を伝って、ちょろちょろと湯舟に水が流れ込んでいた。湯舟の側には虹色に光る金属の小さいな燭台が置いてあって、そこに蝋燭を灯すと湯舟の水はいつの間にかお湯に変わっているのだ。
そんな植物も燭台もマリエラは初めて見たから、最初は「錬金術師ってすごいんだな」ととても驚いたのだけれど、あの頃の魔の森の小屋には錬金術では片付けられない不思議なものがたくさんあった。
マリエラが湯舟いっぱいの水を魔法で出せるようになった頃には、不思議なつるは枯れてしまったし、お湯を作れる頃には燭台はどこにでもある金属製のものになっていた。
小屋を埋め尽くしていた様々な不思議も、マリエラがいろんなことが出来るようになるにつれていつの間にか姿を消してしまったから、独り立ちしたころにはあれは夢だったんじゃないかと思うこともある。
けれど、幼いマリエラを魔の森の小屋に一人残して、師匠が数日家を留守にできたのは、あの小屋が不思議な場所で、幼いマリエラをこっそり手助けしてくれるもの――おそらく精霊がたくさんいたのだと思う。
ともかく風呂の湯舟には、いつも綺麗な水がたっぷりと張られていて、お風呂慣れしていないマリエラはしょっちゅう師匠にとっ捕まって風呂に放り込まれ、ほかほかのぬくぬくにされたのだが、いくらお風呂が贅沢だろうと子供の頃のマリエラはお風呂があまり好きではなかった。
「マリエラは、錬金術師になるんだろ? 臭くて汚い錬金術師の作ったポーションなんて、誰も買ってくれないぞ」
「だって。シャンプー、目がいたくなるんだもん。じょうずに洗えないし。つかるのも、のぼせちゃうし」
ぷー、と膨れるマリエラのほっぺをぷしゅーと潰しながら、師匠はじろじろとマリエラの後頭部あたりを眺める。
「でもなー、フケツな奴にはえーと、……そうだ、“くさいくさいの精霊”が取り憑くんだぞ。ほれ、もうマリエラ、好かれかけてる」
「くさいくさいの精霊?」
なんだそれ、初めて聞いたとマリエラは師匠を見る。
「そうだぞ。“くさいくさいの精霊”に取り付かれると、紫色のできものがいっぱいできるんだ。すっごく痒いできもので、掻くと虫が喜ぶ臭くてベトベトした汁が出てくるんだ。だからプーンって羽虫が周りを飛び回るし、寝てる時とか、大喜びで虫が寄って来るんだぞ」
「え。ヤダー」
“くさいくさいの精霊”、なんて恐ろしいやつなのか。
魔の森の小屋には、湯舟に水を入れてくれるツタだとか、水をお湯に変えてくれる燭台といった不思議なものがたくさんある。そんなものを持っているスゴイ師匠が言うのだから、“くさいくさいの精霊”だって、きっといるに違いない。
そういえば、なんだか体が痒い気がする。もうすでに、“くさいくさいの精霊”に取り付かれてしまったのだろうか。
マリエラは、飛び切り素直でチョロいのだ。
ビビり始めるマリエラを、師匠はご機嫌で追い詰める。
「“くさいくさいの精霊”に取り付かれても風呂に入らなかった奴がいてな、腋がかゆいなーと思って見てみると、なんと! 腋の下に! ビッシリとォ! 紫のブツブツが出来てたんだと! まるでザクロみたいにビッチビッチに!!!」
「ひぇっ!!!」
余りの恐怖に固まったマリエラ。
その後再起動したマリエラがダッシュでお風呂に駆け込んだのは、語るまでもないだろう。
■□■
「……というわけでね、ちゃんとお風呂に入んないと“くさいくさいの精霊”に取り付かれちゃうんだよ!」
「シュッテ、ブツブツできるのイヤー」
「アウフィもかゆいかゆいのイヤー」
「………………。不衛生なのは、良くないな」
ジークだけが、「ソレ、信じたのか?」と言いたげな表情をしていたが、マリエラがいまだに信じている様子なせいか、シュッテとアウフィは“くさいくさいの精霊”をどうやら信じてくれたらしい。この双子も、なかなか素直で単純だ。
「だからお風呂、入ってらっしゃい」
「でもシュッテ、お風呂もイヤー」
「だってアウフィお風呂キライー」
「もー、この子たちは!」
マリエラは、お話モードで停止した双子が再び走り出す前に、むんずと捕まえると風呂場に連行する。
スッポンスッポンと双子の服を剥ぎ取ってスッポンポンにし、ポンポン風呂に放り込むと、脱衣場から二人に念を押した。
「いーい? “くさいくさいの精霊”は耳の後ろとか、膝の裏とか背中も大好きだからね。ちゃんと二人で洗いっこするんだよ」
――そういえば、同じことを昔師匠に言われたな……。
そんなことを思い出しながらマリエラは、泥だらけの双子の服を片付けるのだった。




