リクエストSS:ファイトクラブ ラウンド2
リンクスvsジークの闘いは、激戦の末にリンクスが勝利した。
先ほどリンクスの控室を退出していった闘技場お抱えの治癒魔法使いも、治癒魔法で治りきらない傷にリンクスが体力の限界まで戦って辛勝したと報告している。
リンクスは疲労困憊で、手や足の骨は折れていないが殴られた右目は腫れあがり、視界も悪い状態だろう。万全の状態ならば、シード選手のギガースをかるく上回る強さだが、今は疲れてヘロヘロだ。申し訳程度の休憩時間で回復するものではない。
“リンクスという今回の挑戦者は、若く見目も悪くない。ポーション獲得戦でシード選手が血祭りにあげれば、VIPルームの観客は大喜びするだろう”
この闘技場の主催者はおそらくそう考えているだろう。
リンクスを逃がさないように、疲労を回復するような差し入れさえ与えないように、控室には見張りまでついていた。その控室を訪れる一人のVIPの姿があった。
「やぁやぁ、ご苦労様だね。僕、さっきの闘いで糸目の彼のファンになっちゃってねー。サイン貰いに来たんだ。それくらいはいいだろ? あ、これ、君たちに。ここで美味しい酒でも飲んでよ」
商業ギルド薬草部門副部門長のリエンドロ・カッファだ。
薬草部門長にして『雷帝 エルシー』ことエルメラ・シールを見事に操縦し、薬草部門の職員を口先三寸で使いまくるマイペースなこの男は、人を使うのに慣れまくっているだけあって結構いい家の出なのである。少なくとも今まで全く来たことのない闘技場のVIPルームにすんなり入れるくらいには、有力な家柄なのだ。
今日のリエンドロは趣味の悪い成金ポイ格好をしていて、いつもより輪をかけて頭が緩そうに見える。その言動と相まって、どう見たって金持ちのドラ息子という印象だ。
サインをもらう帳面とペン以外はめぼしいものを持ってはいないリエンドロから、オネーサンがいる店のチケットらしきものを受け取った見張りは、VIPならばいいだろうと、リエンドロを控室に通した。
「いや~、なかなかいい戦いだったよ~。君、そんなに目がほっそいのによく見えてるんだね~。うわー、傷痛そ~」
「アンタさ、何しに来たんだよ?」
「あ~、サインが欲しくてね~。あと、握手もいーい?」
「疲れてんだよ。握手だけで出てってくんねぇ?」
「え~、しょうがないな~。じゃ、獲得戦も頑張ってね~」
選手に回復行為がなされていないか、体力を向上させる差し入れなどが渡されていないか、見張りはちらちらと室内をのぞき込み確認を怠らないが、怪しい取引はされていない。ちょろちょろと動くリエンドロの背中で時折視線は遮られるが、隠れて何かを渡したとしても豆粒程度のものだろう。
そんなもので、消費した体力を回復させられるはずもない。
ここは迷宮都市。地脈の恵みから切り離された魔物の領域なのだから。
握手を交わしたリエンドロがあっさりと部屋を出ていき、リンクスが控室に唯一置かれた水瓶から水を飲んで息を吐くのを見た監視役は、自分の仕事に障りがないことを確認する。
(問題なしっと。これくらいなら、通しても問題にはならねーだろ。怪しいこともなかったしな! 仕事が終わったらさっそくこの店に行ってみよう。あんな金持ちがチケットをくれたんだ。うまい酒が飲めるだろうぜ。へへへ)
そう思った見張りの男は、リエンドロから貰ったチケットを尻のポケットに突っ込むと、「そろそろ時間だぜ、チャレンジャー。血祭の時間だ」とリンクスを決戦の場へとせかすのだった。
ちなみに、見張り役は気付いていない。
リエンドロから受け取った紙切れが、無料チケットでもなんでもなく、ただのぼったくりバーのチラシだということを。
リエンドロは言ったのだ。「ここで美味しい酒でも飲んで」と。
一言だって、おごるともタダ券だとも言ってはいない。
ただ、いい身なりのVIPに賄賂でも渡すそぶりで渡されたから、見張り役が勝手にタダ券だと勘違いしただけだ。
リエンドロ・カッファ。
商業ギルド薬草部門の副部門長を務める彼の口撃は、手加減がいらない分いつも以上に冴えわたっていた。
■□■
連戦で体力を使い果たした挑戦者と、体力十分なシード選手。
ポーション獲得戦は、いつもと変わらぬ構図に思えた。
目を腫らし、体に痣を残したままおぼつかない足取りでリングへ向かうリンクスを見て、気力・体力共に満ちていると思う者はいないだろう。
「ギガース! ギガース! ギガース! ギガース!」
シード選手を呼ぶ歓声は、これから起こる惨劇を楽しみにする声にも思える。観客が少ないのは、これから起こる一方的な暴力を好まぬものが帰ったのだろう。
リンクスという青年は、挑戦者とは名ばかりの、血祭の生贄だ。この場に残った観客の誰もがそう思っていた。
歓声を受け両手を高らかに上げるギガース。魔物のように恐ろしい面相と、巨体を持つ怪人だ。
疲れ果てた相手を一方的に嬲ることに慣れ切ったこの男は、トーナメントの最後を彩る血なまぐさいショーの役者ともいえる。
試合開始のゴングと共に、大きく拳を振り上げたギガース。彼の身体は大きいが、無駄な脂肪が載っていて速さに欠ける。
大ぶりなアクションで観客を沸かせるのがこの男の仕事だ。男同士が拳で語り合った神聖なリングが、悪趣味なショーの舞台に堕とされる。
ギガースに比べ年若いリンクスの身体は細く頼りない。その脳天めがけて振り下ろされる大きな拳に興奮した観客は、しかし次の瞬間、目を見開くこととなった。
立っているのがやっとに思えたリンクスの姿は、ギガースの拳が打ち付けられるより早く脇へと滑り込むと、ギガースの脇腹に鋭い打撃を加えたのだ。
「ぐわあっ!」
反撃を予想さえしなかったギガースの肋骨は、リンクスの攻撃でたやすく折れる。
これは、疲れ果てた者の繰り出す拳ではない。消耗した者の動きであるはずがない。いつも、消耗しきったり弱体化した者ばかりを相手にしていたギガースは、まるで初戦のようなリンクスの攻撃に全く対応できない。
リンクスは打たれた脇腹を抑えるギガースの背後に回ると、その膝裏を思いきり蹴飛ばす。その攻撃にバランスを崩し仰向けに倒れ込むギガース。リンクスはギガースの上にすかさずマウントを取ると、拳を振り上げにやりと笑った。
「観客に、サービスしなきゃな」
ボク、ボグ、ボガッ。
3発ほど、重たい拳をギガースの顔面へと振り下ろす。
「ギャッ、フガッ、ヒアッ、ヤメ……」
「なんだ? もう負けを認めんのか? まだ、腕も脚も折ってねーぞ?」
「こっこうさんしまフ……」
若い青年が醜い巨人に打ちのめされる。これはそういうショーだったはずなのに、一体どういうことだろう。不敗のギガースはあっという間に打ちのめされて、白旗を上げているではないか。
これに慌てたのは主催者のマイザー伯爵だ。ギガースが負けたなら、賞品のポーションを渡さなければならない。今までポーションを売りに闘技場を開いてきたのだ。それが偽物だなどと知れたら……。
「お、おいっ。魔法使いに弱体化の魔法を使わせろ! それから誰か、理由はなんでもいい、反則だと叫んで試合を仕切りなおさせるんだ!」
VIPルームから飛び出してスタッフに指示を出すマイザー伯爵と、大急ぎで走っていくスタッフ。「急げ!」と怒鳴るマイザーの肩を、むんずと押さえる者があった。
「……弱体化の魔法とは何のことですかな? ワシも試合はしっかり見ておりましたが、反則などありませんでしたぞ」
「テルーテル相談役、こっ、これはその……」
「フリーファイトも賭博も犯罪ではないですが、善良な市民に弱体化の魔法とは穏やかではないですな。一方的な私刑は都市防衛隊として見過ごせませんぞ。お話をお伺いしても?」
にこりと笑うテルーテル。彼もまたたっぷりとしたお腹の持ち主ではあるが、軍属であるテルーテルと試合を見るばっかりのマイザーでは体脂肪率が全く異なる。肩に置かれた小柄なテルーテルの手が、これほどまでに重いとは。
「だっ、誰か!」
助けを求めるマイザー伯爵の前に現れたのは、都市防衛隊の制服を着た兵士たちで、この時初めてマイザーはこの試合が自分の不正をただすためのものだったのだと理解した。
■□■
リンクスとジークが闘技場のことを知ったのは1週間ほど前のことだった。
マリエラとジークの納品に付き合って、冒険者ギルドに出かけた時に、怪我をした青年を中心に、彼の仲間らしい若者たちがハーゲイにワイのワイのと詰めかけていた。
「だからさ、ハーゲイ! あの闘技場、イカサマなんだよ。何とかしてくれよー。ギルマスだろ!?」
「お前らなー。冒険者ギルドはなんでも相談所じゃねーんだゼ。だいたい、あそこが勝者を出さねーのは有名だろうが。それくらいの情報も収集できねーうちは、おとなしくギルドの依頼を受けとくもんだゼ」
なんということだろう、ハーゲイが正論を言っている。
ずびし! キランと勢いだけで片付けないとは、まさか、雨でも降るのだろうか。
「なんだよ、ギルドの依頼だって調査不足があるじゃねーかよー」
捨て台詞を残して去っていく若者たちと、やれやれと頭を掻くハーゲイは、何事だろうと立ち止まるマリエラ達――リンクスとジークを見ると、いつもの笑顔を向けたのだ。
「ヨォ、いいところに来たんだゼ!」
キラン、ピッカー。
前言は撤回だ。やっぱり今日は快晴だ。
ハーゲイにとっ捕まったリンクスとジークとおまけのマリエラは、ギルドの個室に連れていかれて強制的に指名依頼を受けさせられる羽目になった。
「さっきの連中が言ってた闘技場なんだがな、実はウェイスハルト殿からもポーションの真偽確認の依頼が来てんだゼ。面倒なことに、なるべく穏便にってお達しでな」
件の闘技場は迷宮都市の貴族や金持ちたち上流階級の娯楽の場でもある。私闘を見世物にしている点も賭博も違法ではないし、まして客には咎がない。ウェイスハルトが問題視しているのは、おそらく偽物だろうポーションを賞品にして挑戦者を募っている点だ。
現在マリエラが作ったポーションは迷宮討伐軍が独占状態だけれど、ウェイスハルトのことだから、先々を見越した布石なのかもしれない。
「お前らなら適任だ。お高い客へのフォローと主催者のマイザー伯爵の確保はこっちで根回ししとくから、お前らはポーションを手に入れてくれりゃいい。偽物だったら派手にばらしてくれりゃーさっきみたいな馬鹿どもも減ってちょうどいいんだゼ」
「しゃーねぇな。高いぜ」
「根回しとはどうするのでしょうか」
「あー、マイザー伯爵の方はテルーテル相談役と都市防衛隊に頼むとして、VIP連中にはそうだな、リエンドロ殿当たりに頼んどきゃ、何とかしてくれだろ。リング際には俺も待機しとくから、お前らはうまいこと勝ち抜くんだゼ!」
キャスティングはやたらと豪華ではあるが、どう考えても無茶ぶりだ。
闘技場で挑戦者が勝てない仕組みをギルドの敏腕職員が説明してくれたが、どうやって体力を温存すればいいというのか。
「ちょっと、リンクス、ジーク。どうするの?」
3人だけになった後、心配して聞くマリエラに、リンクスがニッと笑って答えた。
「そりゃ、勝って手に入れるのさ! 簡単じゃん。全力で試合をし、体力を使い果たせば変な妨害も入んねーだろ。あとはギガースだっけ? そいつと戦う前に回復すりゃ良ーんだよ」
「ど、どうやって!?」
「マリエラが、よく俺に飲ませてくれたじゃないか。あの、苦い……」
「あ! リジェネ薬!?」
リジェネ薬――本来の回復力を格段に上げて継続的回復効果をもたらす丸薬だ。
リンクスとジークで全力で体力を削り合い、マイザー伯爵を安心させた後、リジェネ薬で全快し、シード選手を倒すというのが、リンクスの立てた作戦だった。
なるほど、偽物のポーションで挑戦者を集める、“ポーションなんてない”と思い込んでいる者には思いもよらない方法だろう。リジェネ薬は小さいからこっそり差し入れるのも簡単だ。
誰がリンクスにリジェネ薬を届けるかが一番のポイントだったが、VIP客との調整役として選ばれていたリエンドロに頼むことで準備は万端整った。
■□■
熱気渦巻く地下の闘技場で、シード選手ギガースを下し、勝利の雄たけびを上げるリンクス。そのリンクスにいちゃもんを付けようと怒鳴りながら走り寄るスタッフと、観客の中からいきなり飛び出して、それを咎めるハーゲイ。
都市防衛隊によって確保されたマイザー伯爵に代わって、賞品のポーションはなぜかテルーテル相談役が勝者リンクスに授与し、ぎゅうぎゅうに手を握られたリンクスがちょっと困った顔をしていた。
闘技場は興奮と混沌の坩堝となったが、ハーゲイやらテルーテル、あと裏方として見事な立ち回りを見せるリエンドロのお陰で、ちょっとしたハプニング程度の混乱で済んだ。
リンクスはぼっこぼこにしたギガースに商品のポーションを振りかけて、それが偽物であることを示して見せたのが、一番盛り上がったシーンだろう。
それが、偽物のポーションを餌に繰り広げられた、闘技場の最後の試合となった。
そして。
「闘技場自体はつぶれてねーんだよなー、これが」
主催者のマイザー伯爵は、虚偽の賞品を提示したことと挑戦者に対する妨害行為をとがめられたものの、罰金を取られただけで済み、懲りずに闘技場を続けているらしい。
しかも、賞品が偽物ポーションから賞金に変わり、主催者側の八百長もなくなったことで、正々堂々の闘いが繰り広げられるようになり、新たな客層まで獲得し始めているらしい。
「もう一戦どうよ、ジーク。今度は最後まで本気で」
「ポーションを人前で使える日が来たら、な」
依頼の金を分け合いながら、リンクスとジークがそんな話をする。
「どうせ戦うんだったら、迷宮で魔物を倒したほうが魔石も素材も手に入るのに……」
殴り合う約束を笑顔でするなんてよくわかんないな、という表情をするマリエラの後ろでジークとリンクスは視線を合わせると、黙って拳をぶつけ合っていた。




