リクエストSS:ファイトクラブ ラウンド1
ラウンド1は一 二三様リクエストSS「ジークとリンクスがステゴロタイマンする話」です。
長くなってしまったので、ラウンド2はpocket様のリクエスト(キーワード『リエンドロ・カッファ』と『ハーゲイ』)で書かせていただきました♪
汗と血の臭いが染みついた薄暗い地下室に、男たちが詰めかけていた。
人々の歓声が地下室の壁に反響し、言葉を持たない獣の唸り声のように鼓膜を揺らす。立ち込める熱気と汗の臭い、淀んだ空気に脳は今にも窒息しそうで、この地下室に詰めかけた人々の理性を失わせ、獰猛な獣へと変貌させる。
肩が触れ合うほど近くにいる隣人の顔も分からないほど暗い観客席とは対照的に、地下室の中央に置かれたリングは明るく照らされていて、詰めかけた人々の視線を釘付けにしている。
ここは、迷宮都市のとある酒場の地下室に設けられた闘技場。
男たちの社交場だ。
ここでの戦いは武器や防具の着用はおろか、スキルや魔法の使用も禁止されている。
徒手空拳一対一の、肉体の強さを競い合う戦いと言えば、なんだか男の子の浪漫的なアレがあったりなかったりして聞こえはいいのだが、実際は勝敗に大金が動く賭け試合だ。
歓声と怒号。応援と野次。
彼らを熱狂させるのは、リングの上で繰り広げられる戦いに、なけなしの財産を賭けているからだけではない。
剣もなく、鎧も盾も持たない人間同士が、己の拳だけで強さを競う。そこに魅せられているのだ。
ヒトという種が知恵を身に付け道具やスキル、魔法を駆使して強大な魔物を倒す力を得たのは、長い歴史から見てごく最近のことだ。
ヒトの歴史の大半は石槍片手にウッホウッホと、強大な獣や魔物に特攻をかます、無謀な戦いの繰り返しなのだ。
冷静に考えると頭がおかしいとしか言えない。
どこのディック隊長かと問いたい。
だが、そうして生き残ってきた子孫が今の人類なのだから、徒手空拳で強さを競い合う闘いが、強さへの憧憬を持つ者を惹きつけてやまないのも無理はあるまい。
そこに理屈などはないのだ。
だから、「どうせ戦うんなら魔物を倒せばいいじゃない。魔石や素材が手に入ってお金になるでしょ」なんて現実的なことを言ってしまう女性がこの場にいないのは、致し方あるまい。
だって、ここに詰めかけている連中の大半には、説明できるほどの理屈なんてないのだから。
「チィッ」
熱気渦巻く歓声の中、隻眼の男――ジークムントの右ストレートを躱し、糸目の青年――リンクスが死角となる右側へと体を沈める。
キュッと靴底が床をこする音を立てると同時にリンクスの左がジークの脇腹を捕らえた。
「そこだ、行けぇっ! 視えねぇ右側を狙え!」
ガガッ。
観客の声より早く繰り出されたリンクスの拳は、とっさに庇ったジークの腕で阻まれる。
「くっ」
脇腹への攻撃を防いだジークが小さく呻いた。
リンクスはスピードタイプでジークよりも軽量だ。けれど、その拳は刺突のように鋭く、受けたジークの腕は痺れてほんの一瞬ではあるが自由が奪われる。
瞬きほどの一瞬の遅れ。平時であれば何の問題もない短い時間。
けれど戦いの最中にある彼らにとっては、次の一手を放つのに十分な時間だ。
勝機を見出したリンクスの右ストレートが、ジークの胴体めがけて突き刺さる。
けれど、ジークもここまで勝ち進んできたのだ。腹を狙った大ぶりな一撃をそのまま受けたりはしない。とっさに後ろに飛び退り、腹への衝撃を逃したあと、攻撃でできたリンクスの隙を逃さず蹴りを繰り出す。
迷宮都市で鍛え上げたジークの筋肉は厚く、マリエラを護るため対人戦を想定して叩き込まれた近接戦はすでに実戦の域にある。顎を狙った鋭い蹴りをリンクスは左腕で受けて直撃を避けるが、重たい蹴りの衝撃に体は数歩分も飛ばされる。
「根性見せろおっ! ガードばっかしてんじゃねぇ!」
「いけぇ! いてまえぇ!! 蹴り殺せ!」
「いいぞ! どつけ、どつき倒せ!!!」
聞こえてくる汚い野次の数々。
照明に照らされた飛び散る汗の飛沫が、スローモーションのように輝いて見える。ぐらりと揺れる肉体に意図せず動いていく視線が、天井から降り注ぐ照明とその近くにあるVIP席を映した。
(いけねっ)
リンクスはここに来た目的を思い出し、足に力をいれ踏みとどまると、ジークの方に戻った視界が追撃を加えようと力を籠めるジークの拳を捕らえた。その軌道を躱すように体を沈ませたリンクスは、ジークの顔面目掛けて拳を打ち出した。
愉しい。
拳が相手の肉体を打つ手ごたえ、拳に蹴りに打たれた肉のしびれる痛み、切れた口内に満ちる血の味も、そのすべてが生きているのだと叫んでいるようだ。
戦いの中で加速する思考が理解する。魔物との命のやり取りとは違う。これは、互いの全力を交わしあう、真っすぐなコミュニケーションだ。
愉しい。愉しい。愉しい。
おそらくそれはジークも同じなのだろう。こちらを見据える隻眼に気迫を感じる。
かつて項垂れた捨て犬のようだったジークは、一歩も引かない覚悟でリンクスに向かって来る。俺は立ち直ったのだと、マリエラを守るのは自分なのだと拳が叫んでいるようだ。
このままどちらかが倒れるまで、拳を交わし合っていたいと思う。
意味のない争いだと笑いたいなら笑うがいい。この戦いに善もなければ悪もない。
どちらかが負けて地に伏したって、拳を交わした者同士、互いに互いをたたえ合える。
けれど。
リンクスは、闘技場の奥にこれ見よがしに飾られた一本の瓶に目を向ける。
あれはいけない。
あれは、危険を覚悟でこの戦いに挑んだ者たちを愚弄するものだ。
リンクスの視線を察したジークが頷くように瞬く。
死力を尽くした二人の闘いはここまでだ。
一進一退の激しい攻防に、観客のボルテージは上がり、地下室に渦巻く熱気と歓声が、観客席の上に設けられたVIPルームにも伝わっているだろう。
リンクスとジークは本気で殴り合ったのだ。二人の闘いに疑念を抱くものはどこにもいまい。
ベッと口の中にあふれた血を唾液と共に吐き出すと、リンクスはジークに向けて再び構えた。眼前に拳を突き上げるファイティング・ポーズ。“今からカタを付ける”という合図だ。
「いくぜ、ジーク」
「来い、リンクス」
あとはあらかじめ定めた手筈通り、この戦いの勝者を決めるだけだ。
■□■
「ほほう、今回の挑戦者たちはなかなかタフなようだ」
「えぇ。相当のダメージが蓄積されているはずですが、よほど賞品が欲しい様子」
「そういう者同士の決死の戦いは、実に見ごたえがありますな」
「まさしく、まさしく。必死に削り合えば合うほど、獲得戦での勝率は下がるというのに」
「商品を思えば夢だけはたっぷりありますものなぁ」
「本当に、主催者のマイザー伯爵も人が悪い」
リングとそれを取り巻く観衆を見下ろせる高い位置に設けられたVIPルームには、迷宮都市の貴族や豪商が集まり、戦いを観戦していた。
彼らは、儚い可能性に賭けて戦う者たちを見下ろして愉しんでいるのだろう。
この闘技場を主宰するマイザー伯爵も、でっぷりとした腹をさすりながら全力で戦うリンクスたちの様子を目を細めて眺めていた。
(随分本気で戦うものだ。観客の反応も上々。この調子ならギガースだけで大丈夫だの)
定期的に開催されるこの闘技場での試合は、16人の挑戦者によるトーナメント形式で、全ての試合に賭けが催され、地下とは比べ物にならない金額がこのVIPルームでは動くのだ。
毎回異なる参加者が本気の闘いを繰り広げるこの闘技場は、VIPたちにとってもエキサイティングな娯楽だ。
いくら試合後に治癒魔法による回復支援が受けられるとは言え、治癒魔法では治しきれない怪我を負う危険もある。だというのに、この賭け試合に参加者が絶えないのには訳がある。
トーナメントの優勝者には主催者側のシード選手、ギガースへの挑戦権が得られ、ギガース戦の賞品が、迷宮都市ではほぼ入手不可能なポーションなのだ。
普通では手に入らないポーションを売って大金を手にしたい者、治癒魔法では回復の望めない怪我や病を抱えた家族や友人を助けたい者。
そう言った切実な理由を抱えた者たちが、一縷の望みをかけて、この試合にエントリーするのだ。
(今日の決勝戦は実にいい戦いだった! この闘技場は最高のアミューズメント。八百長なしで挑んでこそ観客も盛り上がるというもの!)
悪役の常で己の所業は棚に上げ、マイザー伯爵は腹を揺らして嬉しそうに笑う。
挑戦者同士が結託し、手を抜いて戦うことで優勝者の体力を残そうとする者たちも一定数いるのだ。
対策として挑戦者の中に闘技場で雇ったファイターを潜り込ませているし、お抱えの治癒魔法使いには試合ごとの治療の際に、なるべく効率の悪い方法で、過剰に体力を消耗して治療するよう命じてはいる。
それでも体力を残して勝ち残った者には、ポーション獲得戦前に下剤入りの水を飲ませたり、リング近くに潜ませた魔法使いに弱体化の魔法をかけさせて、シード選手のギガースが勝てるように段取るのだが、そうやって弱らせた試合は盛り上がりに欠けてしまう。
4戦を勝ち抜き、負った傷を回復する体力さえ残っていない状態で、それでも気力を振り絞りギガースに立ち向かう。そういった試合こそが望ましいのだ。
例え勝てる見込みが皆無だろうと、大切な者のためにリングに上る戦士たち。
素晴らしい光景ではないか。まるで英雄譚の再来だ。
そんな勇気ある者が、醜悪な大男ギガースによって打ち砕かれるのもまた、儚く美しい光景だ。
そんな光景に、VIPルームに詰めかけた貴族や金持ちも、地下にひしめく雑多な者共も、皆酔いしれて金を落とすのだ。
だからマイザー伯爵は、まるで因縁の対決のように死力を尽くして戦い合うリンクスとジークの闘いに大いに満足していた。
そんな中、浮かない顔をしたVIP客は浮いて見える。
「おや、どうなさいましたかな、テルーテル大……今は相談役でいらっしゃったかな。今日はなかなかの好試合。お気に召すと思うのですが」
「これは、マイザー伯爵。いや、あまりに見事な激闘ですので、その……。ギガース戦に差し障るのではないかと心配になりましてな」
「テルーテル相談役は、そういえばギガース戦があまりお好きではなかったか。わしなどは挑戦者が美しく散っていくギガース戦こそ華だと思うのですがな。まぁ、久しぶりに来られたのだ。楽しんでいってください」
腹を揺らしながら主催者席へと戻っていくマイザー伯爵。
テルーテルは眼下で繰り広げられる熱戦に気づかわしげな視線を投げつつも、マイザー伯爵の動向を視界の端で追うのだった。




