白の仔ら⑰ 風追い歌
(歌が聞こえる……)
これは夢だと、マリエラは思う。
目が覚める前のうたかたに、懐かしい記憶を垣間見る。
これはたぶん、そういう夢だ――。
「ぎゃー」
ばっふーとマリエラのスカートがめくれ上がる。
手足は小さく、スカートはひらひら。なぜかお気に入りだったよそ行きの服を着ている。
この服を着ているということは、たぶん、師匠の元に来てしばらく後のまだ幼い頃だ。
スカートの前を抑えると、いたずらな風が後ろをめくって、やっぱりパンツが丸見えになる。
まるでセクシー女優のようだ。この頃はもちろん、今に至っても身についていない素養であるが。
「最近遊んでやってないから、退屈してんだよ」
懐かしい声がする。あぁ、師匠だ。
「退屈するって何が?」
ここは魔の森の小屋。薬草で覆われたこの場所には、師匠とマリエラしかいないのに。
「風が」
「風?」
わけわかんないよと膨れるマリエラの横を突風がすり抜ける。乾燥させて籠に入れた薬草が巻き上げられて飛んでいく。
「あ゛ー、今日の晩御飯ー!!」
あれは師匠と森奥深くで採取した珍しい薬草だ。マリエラはまだ売り物になるポーションは造れないし、師匠もなぜか作らなかったから、あの頃は魔の森でとれた何かしらをエンダルジア王国で売って生計を立てていたように思う。
たいていは、師匠が取って来る魔物の素材や魔石の類。
たまに目にすることはあるけれど、マリエラが知らぬ間に師匠は狩りを済ませ、換金し、酒と食料、生活必需品を買っていた。
それでも稀に、師匠はマリエラを連れて魔の森のあちこちに赴き、珍しい薬草や茸の採取をさせてくれた。採取した素材のほとんどは、まだマリエラには扱いきれないものだったけれど、乾燥させた素材はお金になった。
師匠はズボラで気まぐれで、酒とマリエラをこよなく愛してくれたけれど、親ではなくてあくまで師匠だ。孤児であるマリエラには、どうしたって遠慮があった。自分がまだ何もできない子供であることを理解しているマリエラにとって、自分が採取した素材が生活費の足しになるのはとても嬉しいことだった。
それを知ってのことだろうか、素材を売る日は師匠はエンダルジア王国にマリエラを連れて行ってくれたし、「マリエラの採った素材で儲かったから」とお店で美味しい物を食べさせてくれた。
ごちそうはもちろん楽しみだったけれど、美味しそうに食べる師匠の姿に、なにより自分が役に立っていると感じられた、大切な機会だった。
風が巻き上げた薬草は、そういう貴重なものだったのに。風にさらわれた乾燥薬草は、粗く砕けて広く散らばってしまって、もう拾い集めることもできない。
「ししょう、ごめんね。今日もいつものスープとパンだね」
しょんぼりして泣きそうになるマリエラに、珍しく師匠の眉間にしわが寄る。
「今日の風は、いたずらが過ぎるね」
ただの自然現象なのに、愛弟子をがっかりさせた風に腹を立てたらしい。
これはいつもの“ファイヤー”か。
師匠はなぜか火魔法が得意で、キレるとしょっちゅうファイヤーするのだ。
薬草畑でファイヤーされたら、薬草が燃えて困ってしまうと慌てて師匠を見上げると、意外なことに師匠はマリエラを見てニヤッと笑い、なぜか歌を謡いだした。
「~~~♪」
不思議な旋律だ。孤児院で習った歌とも、酒場で酔っ払いが歌うものとも違う。
初めて聞く旋律なのに心に残る。視線を合わせて紡がれる歌に、マリエラの声も自然と合わさる。
不思議なのは旋律だけではない。師匠が旋律に合わせてつむじ風の悪戯を歌詞に変えて歌うと、まるで同調するように大地の底にある地脈から《命の雫》がぽわぽわと浮かび上がった。《命の雫》と師匠の魔力がまじりあい、音に変わって辺りの大気に満ちていく。
「~~~♪」
歌が終わると同時に、ビョオと激しい風が吹いた。
ものすごい突風が山の方へと吹き抜けて、後には髪の毛にはっぱを付けた師匠とマリエラが残った。
あれだけマリエラのスカートをめくった風はぴたりと止まったけれど、最後の突風のせいで辺りはめちゃくちゃで、洗濯物はあちこちに飛ばされ薬草畑もなぎ倒されてしまった。
薬草畑は明日には戻っているだろうけれど、洗濯はやり直しだ。
けれど、そんなのどうでもいいほど、マリエラの心はワクワクでいっぱいになっていた。
「ししょー、あの歌なんですか?」
あの突風はすごかった。ワーッといっぱい集まってきて、ぐるんぐるんと踊りまわったと思ったら、ひとまとめにして飛んで行ってしまった感じだ。
マリエラの体がちょっと浮いた気がした。
もう一回やってみたい。
「風追い歌だよ。風の精霊はいたずらで楽しいものが大好きだ。
無事に山まで辿り着けるように、休ませてやるのはいいけどね、元気になったら山へ送ってやるんだ。でないと調子に乗ってしまって、今日みたいに悪さが過ぎたりするからね」
「もう、いなくなっちゃったの?」
「また来年吹くよ。ここに吹きだまるかは分からないけどね。なにせ、奴らは気まぐれだから」
師匠の言葉を最後に、マリエラは目を覚ます。
『木漏れ日』のマリエラの部屋の見慣れた天井。窓の外からは、ジークの素振りの音が聞こえる。
早く目が覚めたシュッテとアウフィが聖樹に登って、降りてこいと叱られている。あの子たちのいたずらも、日々ひどくなっているように思える。
(懐かしい記憶だったな……)
あの歌をマリエラは何度も練習したけれど、師匠みたいに風を払ったりはできなかった。
当時は“錬金術のすごいお師匠様だから”でなんでも受け入れていたけれど、ああいう不思議なことが、師匠の周りでは幾つもあった。錬金術師になった今ならわかる。あれは、錬金術とは関係がない。
今では誰も使えない、けれど、誰もが使いうる、そういう類の不思議な力だ。
あの歌を、マリエラは今も覚えている。
今回は2話更新です。
新作「不死者としもべは門の向こうで」を毎日更新中です。
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