白の仔ら⑯-海と陸の謡
「今頃、迷宮討伐軍は海なのかなぁ」
ぱちぱちと元気にはぜる暖炉の炎を見ながら、マリエラは呟く。
迷宮都市は周囲を魔の森で囲まれているから樹木は豊富に存在しているけれど、伐採は魔物と遭遇する危険を伴うため、燃料となる木材は比較的高価だ。
貧乏性の抜けないマリエラが、「焚き木を拾いに行く」と言ったら、「お金あるんだから買え」と真顔で説教されたのは記憶に新しい。ちなみにこのセリフは、ジークやリンクスだけでなく、話を振った全員――エミリーちゃんにまで言われてしまった。
ともかく、市販の暖炉用の薪はお高い分きちんと乾燥させてあって、値段に見合った安定した燃え方をするものだけれど、シュッテとアウフィが来てからは、常時動き回っている二人に影響されたかのように、暖炉の炎も落ち着かない燃え方をしている。風に吹かれたように炎は揺れるし、少し湿気てしまったのか少しばかり煙も出る。
とは言え、火の粉が敷物を焦がすほど飛ぶわけではない。揺らぐ炎に映し出された影が楽し気に踊る程度だから、拾った焚き木になれたマリエラにとって特に気になるものではない。
マリエラは、こういう炎を眺めるのが好きだ。時々刻々と形を変えつつ光を放つ炎の様子は、どことなく師匠を思い出させて見ていて飽きない。
「今回は魚人のポリモーフ薬だったから、海の可能性が高いな」
暖炉の前で寝落ちした双子をベッドに運んできたジークが戻ってきて、マリエラの呟きに答える。
ちなみに子供は眠いとグズるものだが、双子はグズグズと周りに絡みついて来る。今日は敷物の下にウニウニと体を少しずつねじ込んで潜り込んでいた。
敷物をめくると、向かい合わせに寄り添うように眠っていて、冬眠中の動物の子供みたいで可愛らしい。まぁ、起きている時、わちゃわちゃとせわしない所も動物の子供のようなのだけれど。
電池が切れたみたいに寝てしまった双子をベッドに運ぶのはジークの仕事だ。ポーション作りに没頭してその辺で寝落ちしているマリエラを、いつもベッドに運んでいるから、シュッテとアウフィも当たり前のように運んでくれる。
「マリエラは海に行ったことがあるのか?」
「ないよ。ジークは?」
迷宮討伐軍が挑んでいる最前線がどんな場所か、どういった敵を相手にするのかは、注文されたポーションからなんとなく想像がつく。特に今回は魚人に変身するポーションだったから、水中戦闘は確定だろう。
戦闘までする今回は、泳ぎの達者の者を選抜するのだろうが、泳げなくとも魚人になれば水中で呼吸ができるのだからポーションとは便利なものだ。
「俺もないな。確か魔の森を越えたずっと向こうにあるんだったか? 遊びに行くのは難しそうだな。迷宮のどこかに泳げそうな安全地帯があればいいんだが」
「私、泳げないよ」
「また、ポリモーフ薬を作ればいいんじゃないか? 水中でも呼吸ができるんだろう?」
「できるけどさー、あれ、この辺にエラができるんだよ」
この辺、と言いながら、マリエラは服の上から肋骨のあたりをさする。
肋骨あたりにエラができるなら腹回りを出す装備を着用せざるを得ない。魔物と相対するには防御面で若干不安が出てしまうが、そもそもマリエラの場合、魔物以前に打ち寄せる波に翻弄されないように準備を整えるべきではないか。絶対に沈まないよう、浮袋を装着するとか。
「むり。お腹だすとか、むり」
肋骨あたりをさする2回に1回くらいの割合でお腹に手を伸ばすマリエラ。
ツーピースの水着は彼女には難易度が高いらしい。
「って、そうじゃないよ。なんでそんな話に……」
思ったよりもお腹周りにボリュームがあったのだろうか、少々非難めいた目をジークに向けるマリエラ。完全にとばっちりだ。
“マリエラが海の話を持ち出したんじゃないか”なんてことを、ジークは言わない。口は災いの元なのだ。もともと口数の少ないジークはこういう面で得である。
そうだ、海だ。海の話をしていたのだった。
「迷宮討伐軍が心配か? 勝算のない戦いなどしないだろう。マリエラの作ったポーションだってあるんだし」
「んーと、そうでもなくってね。……迷宮の海って、海なのかなぁって思って」
「……海水だったら海なんじゃないか? 隔離されているかどうかか?」
海の定義なんて知らないぞ、と思いながらジークは答える。
今度は地形学的な話だろうか。それともまさか哲学か。
マリエラの話題は、時折幼児レベルから学者レベルまでポンと飛ぶから油断ならないのだけれど、暖炉の前に座るマリエラはうつらうつらと眠そうだから、思いつくままに言葉を紡いでいるだけなのだろう。
「それもそうなんだけどね。これは師匠に教わったんだけど、海って大きな流れの始点であり終点なんだって。……なんだっけ、ええと確か……」
眠そうに暖炉の炎を見つめるマリエラの瞳が、炎の揺らめきに合わせて揺らぐ。しばらくして開いたマリエラの口からは、不思議な旋律に載せた歌がこぼれた。
「大いなる海、麗しき海、母たる海を陸は恋う
その身を削り、引き裂き砕き、命を込めて海へと贈る
父たる陸のみそぎによって、母たる海は命にあふれ、富み満ちる
母たる海の返礼は……」
ここまで謡ったあと、マリエラは口をつぐむ。
「えぇと、なんだっけ」
大切なことだったと思うのに、どうしてか思い出せない。
暖炉の前は暖かで、マリエラの意識は眠りに溶けそうになる。
今日も良く働いた。朝は冷え込む季節だというのに、聖樹に撒くはずの《命の雫》入りの水を双子がひっくり返してびしょ濡れになった。聖樹に意識があるのなら、《命の雫》を横取りされてきっと怒っているだろう。いや、いつものことだと笑っているだろうか。
もう一度《命の雫》入りの水を撒き、双子を朝っぱらから風呂に入れ、『木漏れ日』の開店準備、双子や客の相手、合間を見てのポーション作り。
ついさっきもたくさんポーションを作ったから、もう魔力が残り少ない。魔力を使い切って倒れるとジークが驚くから、今日は少し残していたのに、この感じは……。
(あ、歌、……謡のせい)
「マリエラ? ……あぁ、寝たのか」
静かになったマリエラを見ると、膝を抱えて座ったポーズですぅすぅと寝息を立てていた。器用な寝方で感心する。
眠りに落ちたマリエラを、ジークは抱き上げ寝室に運ぶ。今日は3体目。もはや慣れたものだ。子供を持ったことはないが、子育てに自信が持てそうだ。
「陸が父で海が母なら、返礼は子供じゃないのか?」
身を削くだとか、砕くとか、内容がダイナミックな歌だったから、伝承めいた歌なのだろう。陸と海の子供なら、さぞかしパワフルに違いない。遊んでやるのも大変そうだ。
(人間だったら、きっとあんな感じの……)
ジークが思い浮かべたのは、毎日『木漏れ日』を掻きまわす、突風のような白い双子だった。




