レオンハルトの降参、女性管理官の賞賛
その1.レオンハルトの降参
迷宮討伐軍を率いる将軍レオンハルトとその弟ウェイスハルトの兄弟仲は、大貴族という跡目争い激しめな家柄とは思えないほど良好だ。
シューゼンワルド辺境伯家の領地は広大で、有する資産は大貴族の名に相応しい。それゆえ通常ならば跡目を継ぐ長男と、その予備である次男の間には立場の差に起因した確執のようなものが芽生え、時には骨肉の争いさえ起こりかねない。
けれど、シューゼンワルド辺境伯家の領地には迷宮都市という爆弾がある。
地脈ごと魔物の手に堕ちた迷宮都市に生きざるを得ない人々にとって、迷宮の存在は不幸以上の何物でもないが、この地を人の手に取り戻すという悲願は、幸いなことにこの地に生まれたすべての人をまとめ上げる要となった。
命を賭して戦う日々に、迷宮討伐軍の兵士たちはもちろんのこと、ウェイスハルトも類まれな武とカリスマを持つレオンハルトを軍神のごとく頼りにしたし、レオンハルトもまた、賢く魔術の才に長けた弟に大いに支えられていた。
二人は血を分けた兄弟であり、志を同じくする同胞であり、仲間で相棒で腹心で盟友で朋友で、まぁ、見た目以上に仲良しこよしな兄弟なのだ。
そんな仲良し兄弟だから、レオンハルトはウェイスハルトを誰よりも信頼しているのだけれど、今日この日に限っては目の前に置かれた防具の試作品を前に少々思案に暮れていた。
台の上に一押し商品のごとく広げられているのは、迷宮第54階層『海に浮かぶ柱』討伐用に作らせた、水中戦闘用の防具だ。一瞬子供用かと思ったほどに、防御面積が足りていない。
(なぜ、半ズボン……)
幼さの残る少年ならばともかく、自分たちはいい大人だ。
だというのに、置かれたズボンの丈は何回見ても膝上だ。つるりとしたあどけない少年の膝小僧は人目にさらすと微笑ましいが、迷宮討伐軍の男どもはスネに毛を持つガチムチだ。隠したほうが誰にとっても良いだろうに。
「ウェイスよ、このズボンはずいぶんと丈が短いようだが、下履きだろうか?」
それとなさを装いながらレオンハルトは弟に尋ねる。
「いえ、兄上。ポリモーフ薬で魚人に姿を変えると、足はヒレに変わるそうです。また、個人差があるようですが、脛のあたりから、者によっては膝あたりまで鱗が生えるそうで、鱗部分は水にさらす作りが機動力の面で望ましいとのことです」
「なるほどそうか」
今回は、初の水中戦闘だ。ポリモーフ薬は貴重で予行演習さえままならないのだから、得られた情報をもとにポリモーフ薬の恩恵を最大限引き出せるほうが良いだろう。賢い弟、ウェイスハルトの説明に、レオンハルトは納得する。
(半ズボンは分かったが、腹部が丸出しではないか……)
置かれた装備はセパレートタイプで、とってもお腹が冷えそうだ。
いや、お腹が冷える冷えない以前に、攻撃されたら内臓を守れないではないか。胸部は鎧を着用するから心臓部分は守れるけれど、その鎧もサイドが切りあがっていて肋骨のあたりが無防備だ。何よりへその少し上から腹部は丸出しで、攻撃を受けたら腸が飛び出してきそうだ。
女性がくびれたウエストをさらすならば理解できる。もっともこれは防御力うんぬんではなくて、単に見たい、見たくないの話であるから、あまり分かると声を大にして言うわけにはいかないのだが、妻を持つレオンハルトはその辺の良さを年相応に理解している。例えば薄絹を纏った異国の踊り子が、白い腹をくねらせ躍る様は、なかなかに良いものだから、女性がこの鎧をまとって戦うのなら、却下はするが内心評価もしただろう。
だがしかし。男がこれはないんじゃないか。
「ウェイスよ、腹部をさらす理由はアレか?」
しばらく妻と逢っていないせいか、少々思考が乱れてしまった。
アレってどれだ、と思いながらも内心を誤魔化しながら話題をふるレオンハルトに、ウェイスハルトは「その通りです」とばかりに笑顔で答える。
「はい、兄上。ポリモーフ薬を飲むと、肋骨の隙間にエラができますからね。ここを開ける必要があるのです。なんでも肺の仕組みが変化するそうで、口から水を吸い込み、エラから排出するのだとか。水中での呼吸を可能とするという点が、この薬の効果の最も素晴らしいところだと思うのです。ヒレといった外面の変化もさることながら、いまだ十分な解明がなされていない、人体の内側の仕組みを変革せしめるとはまさに魔法薬。人知を超えた……」
「あ、あぁ、わかった、わかった」
自分の世界に入りかけたウェイスハルトをレオンハルトが引き留める。防具の仕様設計など、普段は部下に任せるところまで熱心に取り組んでいると思ったら、ポリモーフ薬による人体の変形は、彼の好奇心を大いにくすぐっていたらしい。
(それはさておき)
レオンハルトは置かれた装備をもう一度見る。
やはり全体的に保護面積が足りていない。
(このズボン、浅くないか? せめて下腹部は防御すべきだろう)
多少なりと鎧を纏える上半身はまだしも、下半身。ズボンは革製ではあるが、よく見ると生地が足りなかったかのように丈だけでなく股上も短い。うっかり脱げてしまうほどではないが、出向く先は戦いの場だ。リゾートの場で、水着の女性がバストをポロリは稀によくある事象だと聞き及んでいるが、切った張ったで内臓ポロリは極力避けたい点である。
「ウェイスよ、やはり下腹部の防御を犠牲にせざるを得ないか?」
「はい、兄上!」
とてもいい返事だ。
お腹くらい隠そうぜ、というレオンハルトの心の声は、弟ウェイスハルトには届いていないようだ。
「なんと、ポリモーフ薬を服用することで、魚の側線に当たる器官が形成されるそうなのです。その位置は個人差が大きいようで、脇腹だけに生じる者もいれば、背側にできる者もいるとのこと。側線によって、水中での平衡感覚が補強されるだけでなく、深度や速度、敵の物理攻撃の接近までも水流によって感知できるということです。まさか魚類の感覚を体験できる日がこようとは。ポーションというのは実に素晴らしい物ですね」
魚人体験に期待を膨らませるウェイスハルト。反対にレオンハルトの心はしぼむ。
(そもそも前衛と後衛では装甲の厚さに差があるのだが……。いや、ウェイスがそんな根本的な点を見逃すはずはないな。それに今回は水中戦。前衛とて金属鎧など持ち込めず、機動力重視にせざるを得ない。その点で、機能的な装備というわけか……)
レオンハルトがぼやかした質問に、いちいちきちんとした理屈を持って答えられてしまった。
半ズボン、腹出しのどうにも気恥ずかしい装備を変更することはかなわなそうだ。
「いかがでしょうか、兄上」
ウェイスハルトが兄に問う。いつもよりも一段階はいい笑顔だ。目がキラキラ輝いている。
笑みを浮かべ、レオンハルトをじっと見つめたまま次の言葉を待っている。
子供のころから共に研鑽してきたレオンハルトは知っている。これはほめて欲しい時の顔だ。
(……ほめられる前提でこの装備を持ってきたのか――)
ほんのちょっぴり頭が痛い。
だがしかし、レオンハルトは将軍だ。人の上に立つ人間だ。生まれの遅い早いだけで、己より賢く生まれた弟を配下に置くのだから、それなりの度量を見せねばなるまい。
「さすがはウェイスハルトだ」
「ありがとうございます、兄上」
ほめるということは、半ズボン腹出し装備の着用を承認するのと同義である。作戦上は最善であっても心理的にはちょっと抵抗はある。だが、ここまで来ては仕方あるまい。
(迷宮討伐軍、選抜者の30名よ、許せ。せめて、本作戦に於いて女性の動員は却下しよう)
うむ、と頷くレオンを見て、満足してもらえたと誤解したウェイスの顔に、さらにいい笑顔があふれた。
その2.女性管理官の賞賛
「これは……!!」
迷宮討伐軍の女性担当官は納品された水中装備を前に震える。
これを納品したドワーフのことはよく覚えている。変わった皮革を扱わせたら右に出る者のいない『極地戦闘服店』の兄弟ドワーフの片割れだ。素材の一部としてバジリスクの皮を渡したところ、舐めんばかりの勢いで喰いつき、バジリスク革から始まって一般的な革の素晴らしさを熱く語り始めたインパクトは忘れられない。
(あれは変人を通り越して変態でしたが、これほどの品を納めてくるとは、さすがは迷宮都市ですね)
ドワーフの皮革フェチぶりに思いっきり引いたことは記憶に新しいが、これほどの品を納めてくるとは評価を上方修正せねばなるまい。
女性担当官は納品された製品の素晴らしい点を指折り数える。
まず、上下セパレートタイプのアンダーユニット。
ドワーフは水棲魔獣の皮革を使い、水の抵抗を最小限に抑えつつも防御力をうんぬんかんぬんと説明していたが、そんなことよりセパレートなのが素晴らしい。
(形状もさることながら、ボディーラインがきっちり見える皮革の薄さ。これはもはや防具というより水着ですね)
もっとも、急所である腹をさらしたデザインは、エラだとか側線だとかいう魚人の身体構造に起因する、機能性の面で合理性のあるデザインらしいから、賞賛を贈るべき相手は魚人のポリモーフ薬を開発した古の錬金術師、いや、魚人の体をそのようにデザインした創造神かもしれない。さすがは神。分かっていらっしゃると女性担当官は心の中で称える。
(それにしても、半ズボンですよ、半ズボン。しかも、肉体にぴったりフィットする素材)
心の声がこの女性担当官の嗜好を如実に表す。彼女は筋肉フェチなのだ。
皮革フェチのドワーフに対する当たりが強いのは、同族嫌悪なのかもしれない。
ちなみに、彼女は自分の嗜好を隠し、日々涼しい顔で仕事にいそしんでいるのだが、迷宮討伐軍に籍を置く女性の武官や技官――戦えない女性職員の中には、彼女の同好の士たる隠れ筋肉フェチがかなりいる。
迷宮都市には冒険者が集まる。街中で石を投げれば筋肉に当たるだろう程には、マッスルがマッシブな街ではあるが、それは戦うための筋肉だ。ポーションのない迷宮都市では負傷は避けるべきもので、当然マッシブなマッスルは防具によって隠されている。
隠された秘宝が白日の下にさらされる場所、それが迷宮討伐軍なのだ。
具体的には、訓練後の水浴びタイムとか。
(見せすぎないところが素晴らしいです。へたにビキニタイプなどにされてしまうと、恥じらいを持って目をそらさざるを得ませんから)
迷宮討伐軍のツートップ、レオンハルトとウェイスハルトは貴族だけあって品行方正で、訓練の後、兵士たちが上半身裸でそこいらを闊歩するといった品位に劣る行為を禁止している。女性管理官からすると、実に余計なお世話ではある。
見せる方が隠すのだから、見る方もうっかりを装わざるを得ないではないか。
迷宮討伐軍は一流の戦士の集まりだから、向けられる視線を感じる術にもたけている。おかげでうっかりを装うことにかけては、女優の域に達したほどだ。「女はみんな女優なのよ」とはよく言ったものだと女性担当官は思う。
(なによりも至高なのが、このアンダーユニットの微妙なローライズ具合ですね)
素晴らしい。
素晴らしすぎる。
これでは腹斜筋が丸出しではないか。
(これは出撃が楽しみです。何とか理由を付けて同行をもぎ取りましょう。まずは治療部隊の同志に相談を……)
アガッテきた。これは頑張らざるを得ない。
頑張るというのは同行をもぎ取るのもだが、仕事をだ。能力のない者の意見など、どこの世界も通りはしないのだから。
女性管理官たちと彼女らの視線を喜ぶ一部の兵士たちにとっては大変残念なことに、腹もスネもさらす今回の装備に羞恥を覚えたレオンハルトが設定した動員条件によって、今回の出撃は男性限定のものとなった。
レオンハルトは知らない。
ウェイスハルトが細かな仕様を決定した水中戦闘装備が、一部の女性職員に大うけだったということを。
迷宮討伐軍の女性管理官たちは、割と不純な動機に支えられ、今日も優秀かつ献身的に業務を全うしている。




