白の仔ら-⑮ 商人の信用
今回は2話更新です。
2話更新のもう1話は、シリーズものじゃないSSです。
「……普通のクッキーだろうな?」
帝都の商人がいなくなった後、ガーク爺が口を開いた。
マリエラが皿に移したクッキーを手に取り、まぶした粉砂糖を人差し指と親指で擦り広げて観察したり、少し齧って様子を確かめたりしている。
まるで毒見だ。完全に疑いの眼差しだ。
似たようなことが前にもあったなと思いつつ、マリエラは口をとがらせ抗議する。
「ただのクッキーに大げさだよ。それ、材料は小麦粉とナッツの粉と砂糖とオリーブオイル。粉砂糖は錬成糖だけど、講習会に参加してくれた薬師の人がくれたやつだから。『木漏れ日』でも出す、簡単美味しいクッキーだよ」
マリエラだって学ぶのだ。
『錬金術菓子』のシリーズは、完成した菓子自体が要注意だとちゃんと理解したから、外に出したりしないのだ。
もっとも、人前で錬金術を使わないから発覚していないだけで、《ライブラリ》に載っている、錬金術を使用した料理や日用品のレシピが、 “人前で使うな禁止”の物ばかりだということは、いまいち理解していないのだが。
ともあれ、最近は、そそうなんてしていないはずなのに、今日のガーク爺は神経質ではなかろうか。
「あの商人に何かあるのか? 馬車にエンブレムがついていたが」
マリエラのふんわりした疑問を、ジークが質問に変える。
「まぁ、悪人じゃぁねんだがな……」
ガーク爺の説明によると、あの商人は高級品の運搬を専門にしているらしい。
馬車にはポーション保存の魔道具が積んであって、魔物除けポーションを使いながら魔の森を抜けるのだそうだ。
保存の魔道具があっても、取り出した瞬間からポーションの効果は薄れる。魔物除けの持続時間もその地脈で作られたものよりずっと短い。魔物が付いてこられない高速で移動し、襲われた時に使うのだろう。
魔物除けのポーションはさほど高いものではないが、魔道具は高価だし、保存に魔石を消費する。普通の素材を運んだのではとてもじゃないが採算が取れない。
キングバジリスクの素材のような、めったに出ない素材なら話は別で、そういうレアリティーの高い素材は金を積めば手に入るというものではないから、政治的な取引に使われたり、そうでないものは競売にかけられ、目が回るような高値で取引される。
あのエンブレムは、帝都でも有数の、オークショニアのものらしい。
「そういう高級品を運ぶ連中に必要なものは何か分かるか?」
「うーん、保証能力とか?」
そんな感じのことをリンクスが言っていたような気がする。
「間違っちゃいねぇが、どっちかっつうと、“信用”だな」
一体どう違うのだろう。保証能力があるから信用されるのではないか。
首をかしげるマリエラに、ガークが言葉を続ける。
「黒鉄輸送隊もそうだが、有名どころの輸送隊は魔の森の魔物に襲われても迎え撃てるだけの戦力を持ってんだ。異常事態で、魔の森の奥から竜種でもでてこねぇ限り、魔の森を生きて抜けられる。そんだけの戦力が運んでんだ、襲うような間抜けな盗賊はいやしねぇ。割りに合わねぇからな」
ふむ、なるほど。とマリエラはうなずく。安全なのはいいことだ。それは信用ではないのだろうか。
「でも、荷が値のつかねぇようなレアもんだったら? 割にあう、あわねぇじゃなく、金を積んでも手に入らないもんを欲しがるやつならどうするかって話だ。さっきの商人が運ぶのはそういうもんで、戦う相手も人間なんだよ」
「え、じゃああの商人さんて、めちゃくちゃ強いの?」
そうは見えなかったけれど、あの商人は黒鉄輸送隊が束になってもかなわないほど強いのだろうかと、マリエラは驚く。
「いいや。もちろん弱くはねえぞ、魔の森を抜けんだからな。でも周到な準備をした人間相手なら勝てねぇな」
「じゃあ盗られちゃうじゃない」
「問題は、盗られたあとどうするか、だ。あいつらの組織は、襲撃者を逃さねぇんだ。輸送隊が皆殺しにされ、目撃者がいなくても、どうやってかは分からんが、必ず犯人を特定して荷を取り戻す。十二分に対価を支払わせてな。奴らはそういう組織で、奴らの“信用”ってのはそういうもんだ」
だから彼らを襲うものはいない。彼らの馬車に積み込まれてしまえば、どのような荷物も、必ず目的地に届く。
「あいつは値のつかねぇレアもんに鼻が利く。厄介ごとを避けてぇんならおかしなものを持ち出すんじゃねぇぞ」
ガーク爺の視線は、マリエラを通り越し、シュッテとアウフィの方に向く。随分静かだと思ったら、大きなコップに入れてもらったジュースをくっぴくっぴと飲んでいた。走り回って喉が渇いたのかもしれない。
「ぷっはぁ、シュッテ、ジュースおかわりー」
「けっぷぅ、アウフィも、ジュースおかわり」
「よくのむなー、おなか、ぽんぽこじゃねーか」
お腹をぽんぽこりんに膨らませた双子をみて、ガークは顔をほころばせる。ここまで無邪気が服を着たような子供は迷宮都市では珍しい。
天真爛漫を通り越し、天真ランランといった感じだ。いつでもハッピー、素晴らしい。
そんな二人の様子に、『木漏れ日』の常連客は大いに振り回され、そして癒されている。マリエラだってその一人だ。
いつの間にか、いるのが当たり前になっていて、こんな時間がずっと続くようにも思っていたけれど。
「……ねぇ、目的地があるんでしょ、行かなくていいの?」
飲み物を取りに行ったガーク爺には聞こえない小声で、マリエラが二人に聞く。いつもと違うマリエラの様子に、いつもは茶化して逃げ回る双子は二人で視線を交わして黙る。
ほわほわほわ。
ゆるゆると上体をゆらしながら、白い双子はキャッキャと笑う。一体、何を思い浮かべているのだろうか。
「んー。シュッテね、楽しいの」
「んー。アウフィも、楽しいの」
「おーい、チビども、運ぶの手伝ってくれ」
「はーい」「わーい」
店の奥からガーク爺が呼びかける。
その声に中断された双子の答え。
けれど、ぱたぱたと走り去る双子が互いを見やってつぶやいた言葉は、マリエラとジークに届いていた。
「だからね」「もう少し」
マリエラに言葉はない。ただ、今を大切にしたいと小さな手をきゅっと握った。
当たり前の平穏が、当たり前には続かないことを、彼女は身をもって知っているから。
*****
「何の変哲もない焼き菓子ですね」
シュッテとアウフィが差し出した不格好なクッキーを一口齧ると、帝都の商人がつぶやいた。
整った顔立ちと立ち振る舞いのせいだろう、馬車の中、紅茶を楽しむ姿は、携帯用のカップであっても、優雅で様になっている。それも、帽子を取った頭部に覗く、尖った耳を見ればうなずける。
商人は、迷宮都市どころか帝都でさえ珍しい、エルフと呼ばれる種族であった。
遠い森に棲むというこの種族は、獣の血肉を嫌うという。
こんな商売だ。この商人は、獣の肉や卵、乳も口にする。けれど、美味しいと思わないのも事実だ。
その点に置いて、このクッキーは好ましい部類であった。
使われている素材は悪くない。迷宮都市ではまだ高価なはずの錬成糖がふんだんに使われているし、ナッツの粉が練り込まれていて風味もどこか懐かしい。何より、獣のバターを使わずにオリーブオイルを使っているところが、彼にとっては好ましかった。
形はずいぶんひどいものだが、幼い子供が作ったのなら仕方あるまい。
裕福な家の子供の手作り菓子。
素材は好ましくはあったが、眼も舌も肥えた帝都の商人からみても、この菓子にそれ以上の価値は見いだせなかった。
「やはり、迷信は迷信ですか」
どれほどの価値を持つかも分からない、珍しい商品と出会う幸運と、帝都へ運ぶ危険性。迷信やまじないを妄信する性質ではないが、こんな商売をしているぶん、ゲンは担ぐ方だ。
白い髪、白い肌をした双子を見て、とある話を思い出したけれど、ただのアルビノだったのだろう。双子を連れた娘は記憶に残らないほど凡庸だったが、護衛らしき男を連れていた。男の服装も安価な平服だが、腰に履いた剣はおそらくミスリル。悪くない品物だ。
おそらく裕福な家の子供たちで、目立つ双子の安全のため、護衛をつけていたのだろう。つまりは、ただの街の住人だと、商人は結論付けた。
「まだ出立には時間がありますね」
そうつぶやくと、温かな紅茶をゆっくり楽しむ。
これもまた、魔の森に入る前のルーティーン。運行が上手くいくゲン担ぎのようなものだ。お決まりの茶を楽しむ商人の馬車へと、近づく二人組の姿があった。
冒険者だろう。馬車の窓から見える二人の装備品は、商人から見れば安物だ。
「なぁ、あんたら、帝都まで行く運び屋だろ? いい儲け話があるんだ」
「他所を当たれ。荷は足りている」
商人の邪魔をさせないよう、追い返そうとする御者に、冒険者たちは強引に話を続ける。
「そうじゃけんにすんなよ。こっちもまだ荷物は用意できてないんだ。いい馬車だな、たいして傷もついてない。そのエンブレム、確か帝都で見たことあるぜ。俺らの話、聞いて損はないだろう?」
「ちょっとした荷物を運んで欲しいんだ。……生き物なんだが、世話は俺たちがする。運び賃はちゃんと払うし、護衛も手伝ってやるから悪い話じゃないはずだ? そう、めんどくさそうな顔するなよ。安心しな、荷物は迷宮都市を出てから積んでくれりゃいい」
「代金は帝都についてからだが、……ここだけの話、届け先は貴族様だ。信用してくれていい、取りっぱぐれることはない。代金だって、他所より色を付けてくれるはずだぜ。な、悪くないだろ」
御者に向ける言葉から、見識の浅い者たちであることが知れる。エンブレムを見たことがあるだけで、この馬車が、どこの所属か、どういったものを運ぶのか、分かってはいないのだろう。
「そこをのけ、出発の時間だ。うちに頼むなら支払いの証を持ってきな。話はそれからだ」
「ちっ。お高く留まりやがって。後悔したって知らねぇぜ。……まぁ、気が変わったら声かけてくれ。その時に、運び屋が決まってなきゃ、だけどな」
話にならないと手を振る御者に、男たちはあっさりと引き下がる。おそらく、他の輸送隊にも声を掛けるのだろう。
「……“信用”ね、簡単に言ってくれる」
馬車の中、二人が去った先に目をやる商人。
余計な邪魔が入ったせいで、すっかりお茶が冷めてしまった。
これはよくない兆候だ。こんな時は、予定通りに運行できないことがある。
「少し早いが、出立しましょう」
商人が、御者へ合図を送ると、馬車はゆっくりと走り始めた。
先ほどの冒険者たちの脇を過ぎ、迷宮都市の大門へと向かっていく。
「しかるべき対価を頂けるなら、どんな荷だろうとお届けしますよ」
それがエンブレムの持つ“信用”。
軽やかに大通りを行く馬車からは、冒険者たちの姿はとうに見えなくなっていた。
いつの間にか、「いいね機能」なるものが実装されていたようで、
遅まきながら設定してみました。
よかったら、「いいね!」お願いします。




