蛇と毒と惚れ薬-④
「でも師匠、解呪も解毒も効かなかったんでしょ。本当に惚れ薬なんですか? そうだとして、私、上級が作れるようになったばかりですよ?」
姫君を治すポーションなんて作れるだろうか。マリエラは師匠に訴えた。
「つがいの蛇を使ったんだろうさ。金さえ積めば素材も、外道なポーションを作る錬金術師も手配できる。
ホーカイン侯爵領には双蛇が治める迷宮があってね、あそこの地脈に変化があった。討伐されたって噂も聞こえてきたよ。成長をやめ、人の欲を満たして永らえた迷宮だったのに、ホーカイン侯爵とやらも思い切ったものだ。あそこの迷宮がなくなれば大損害だろうに」
「迷宮の話ですよね?」
成長をやめるとか、永らえるとか。まるで迷宮に意思があるように師匠は話す。これでは姫君よりも迷宮の主の方が被害者だと言わんばかりだ。
「……迷宮の双蛇は、ただ、つがいとともに在りたいと願ったんだろうね。そんなものを使われたんだ。特級を用意したって祓えるもんか」
特級ポーションも作れないマリエラに、師匠がハードルを爆上げしてくる。
「どうしたら……」
「どうしたい? マリエラはこの話を聞いてどう思った?」
「可哀そうだなって。ポーションで心を変えられたお姫様もだけど、……ポーションを作るために倒されたつがいの蛇も」
お姫様は目覚めるたびに、「あのひとにあいたい」と泣くという。自分たちを殺した人間を恨むのではなく、ただ、「あいたい」と。
師匠の話が本当ならば、姫君に宿った蛇を解放してあげたいとマリエラは思った。解放し、相手のところに還してあげたい。
「エンダルジア王国の端に、ホーカイン侯爵領へ続く水脈があるよ」
マリエラの思考を見透かしたように師匠は言う。道はあるのだ。しかも、魔の森と同じ地脈のマリエラが作ったポーションが使える場所に。
蛇はとっくに死んでいる。姫君の体から解放されれば、きっと自力で帰ってくれる。そのためには、ほんの一瞬だけ死ぬほどの衝撃を与えてやれば……。そんな偽薬の話を、ついさっき聞いたはずだ。
「惚れ薬……!!」
「あぁ。それも飛び切り強いやつがいい。材料なら用意させてるよ。バジリスクの王のやつをね」
キング・バジリスクの血と肉と骨。乾燥して長く保管されたそれらであっても作られたポーションは強力だ。
ポーションの等級をねじ伏せるほど強力な毒に、飲んだ瞬間、心の臓は止まり、瞬きするよりわずかな時間で再び息を吹き返す。
毒と解毒の配合をわずかにでも間違えば、毒は効かず、あるいは本当に死んでしまうだろう危険な薬だ。
強い毒蛇の血と肉と骨。
使われた素材が姫君の体にとらわれた蛇の、仮初の肉体となって、蛇がちゃんと帰れればいい――。
そんなことを考えながら、マリエラはまるで素材に導かれるようにして作り上げたのを覚えている。呪い蛇の王が哀れな蛇のつがいの為に力を貸してくれたようだった。
ポーションが完成した数日後、マリエラは夢を見た。
水音の響く闇の中、たおやかな女性の腕が躍るように空を掻いていた。
大切な物に伸ばされるような、柔らかいその動きと、腕の白さが、まるで地を這う蛇のようだと思った瞬間、暗い水の中を白い蛇が泳ぎ去っていくのが見えた。
数日後、マリエラが教わったのは、お姫様が正気に戻ったという話だけだったけれども、可哀そうな蛇もまた、つがいの元に帰れたのだとマリエラは思っている。
***
「……えぇと、“賢者が”作った“なんかすごい”ポーションのおかげでお姫様の体に巣食っていた蛇の呪いは、つがいの元へ帰っていき、正気に戻ったお姫様は王子様とめでたく結ばれましたとさ。めでたし、めでたし」
マリエラがポーションを作ったことはもちろん、使ったポーションが惚れ薬であったことさえ伏せて話を締めくくる。
悪い侯爵に惚れ薬を飲まされたお姫様を助けるために、王子様が危険な森に住む賢者の元を訪れて、奇跡のポーションを得、お姫様を助ける。
これは、そういうお話だ。
お姫様を助けるための試練として、王子様が強い魔物をやっつけるとか、そういうエピソードがあれば、もっと盛り上がったかもしれない。
「王子様はそのお姫様と結婚したんだろ? 強メンタルじゃね?」
浮気された思い出が蘇ったのか、エドガンがぼやく。
「お姫様は“ホーカイン侯爵のところへ行きたい”とはいっても、“ホーカイン侯爵が好き”だとか、“王子が嫌い”だとは言わなかったらしいですよ。きっと呪いにかかっても、王子様のことが好きなままだったんじゃないですか?」
「まぁ、ステキ。真実の愛が呪いに勝った物語ですのね」
「めでたしー」
「めでたしー」
キャロラインがステキな笑顔でうふふと笑い、つられてチビッコ二人も大喜びだ。
お姫様は王子様と結ばれ、呪いにされた蛇もつがいの元に帰ることができた。マリエラもハッピーエンドのステキな話だと思う。
女子組がキャッキャと感想を述べあう後ろで、エドガンがジークに小声で話しかけた。
「なぁジーク、オレ思い出したんだけど」
二人にしか聞こえない小さな声だ。
「ホーカイン侯爵変死事件って話、あったよな」
マリエラの惚れ薬の話は初めて聞いたが、こちらは有名な話だ。多少の脚色はあるのだろうが事実に基づいているという。
ホーカイン侯爵がある日突然変死体で見つかった。場所は自室で、来客はなく、犯人は不明というものだ。
死因の調査に騎士団が立ち入ると、屋敷にはホーカインの妻や愛人のはく製が見つかった。ホーカインは残虐な男で、何人もの妻や愛人を美しいまま保存するため、殺してはく製にしていたとか。彼の変死は殺された女たちの怨念によるものだとか。
まぁ、よくあるホラーな話ではある。
「ホーカインの死体って、ヘソから上、上半身が左右真っ二つに裂けて発見されたんじゃなかったっけ。腕は自分の体を抱きしめるようにきつく絡みついていたって。裂けた上半身を繋ぎ合わせるように、って聞いた気がするけど……」
先ほどのマリエラの話を思い出す。ホーカイン侯爵はつがいの蛇の呪いを使った。姫君がホーカインの元へ行きたがったということは、片方のポーションはホーカインが飲んでいたことになる。そして呪いは返され、姫君の体を離れた蛇はつがいの元へ帰ったはずだ。つまり、ホーカインの元へと。体のない、哀れな蛇の情念だけが。
裂けた上半身をそれぞれ一つと見做したならば、自身を抱きしめるその様は、再会を喜ぶ熱い抱擁のようにも思える。もう二度と、分かたれたりはしないように。
「……俺も思い出した。ホーカイン侯爵領にある迷宮、今も生きてなかったか? 確かボスは双頭の蛇、頭が二つで尾が一つの魔物だとか」
迷宮にいるという双頭の蛇。それは再会を果たしたつがいの蛇か、それとも魔性に転じたホーカイン侯爵なのか。
世に不思議は尽きないけれど、思わぬところで真実の一端に触れてしまったようだ。
エドガンとジークは、視線を交わして頷き合うと、それ以上の会話をやめて、それぞれの仕事へと戻っていった。




