シャイラの日本での日常
読んで頂いてありがとうございます。
私はシャイラ三嶋、三嶋健司の妻です。三嶋は日本では一般人ですが、ジャーラル帝国の伯爵のケンジ・デラ・ミシマでもあるから、私は帝国伯爵夫人でもあります。もっとも夫の場合は領地を貰うのを断っているので、領地を持たない法衣貴族になっていて帝国政府から年金を受けとっている。
年金は帝国金貨1万枚だから、現状で日本円と帝国通貨マルの交換レートだと2千万円程度であり、首都ジャーラにある屋敷の人件費を含めた維持費で消えてしまう。ちなみに、ジャーラル帝国は、主としてハウリンガ通商を通した日本との通商と技術援助に基づく、インフラ整備で空前の経済成長を遂げつつある。
ハウリンガ通商は、三嶋が山下社長に常々言い聞かせているように、余り利益を上げることは考えていない。重力エンジンとAEE-発電、EXバッテリー他で莫大な特許収入があるので、ハウリンガ世界での活動は赤字を出してもいいのだ。だからジャーラル帝国に関しては、利益度外視して付き合っている。
100人からの専門家を雇って、社会制度、経済制度、農業を含む産業政策や基盤となるインフラ開発に関してアドバイザーを帝国政府に送り込んでいる。そして彼らによって、様々な改善・将来計画を作成させて実施を行っている。
三嶋がこんなことをやっているのは、別段自分の財産を作ろうなどという気はないということがある。今のところ夫との間に子はないが、私との間に子が出来ても、その子に大きな財産を残したってろくなことはないと彼は言っている。
更に言えば、ハウリンガという世界とその素朴な人々を夫が気に入っているからだ。ハウリンガは人口規模から言えば地球の500年前の世界で、文明の発達度から言えば200年~300年の社会であると言う。そこに、地球の技術とノウハウを注入すれば、無理なく人々の生活レベルを地球の現在程度に持っていくことは可能であるらしい。
日本政府が、ハウリンガに多数の国民を送り込んで第2の日本を作ることで、地球の人口爆発、資源などによる閉塞感を打破しようとしているようだが、それはそれでいいと夫は思っている。これは彼自身が、自国民であることもあるだろうが、日本人を気に入ってからだと言う。
だから、日本政府はハウリンガにある程度日本人が渡ってきて、開発にめどがついた段階で地球世界の国々に門戸を広げようといているようだ。だが、夫はそれについては応じるつもりはないらしい。政府がどう思おうが夫がゲートを閉めればそれまでだから。
ジャーラル帝国で今やっているのは、産業とインフラ基盤の整備で、その基礎になる大型製鉄・製鋼所、肥料の製造工場、化学工場、セメント工場やコンクリートの製造設備等である。もちろん電源としてAEE発電所が必須だから、それを10か所同時に建設している。
さらには、道路網の構築、鉄道の敷設、港湾の整備と共にトラック、乗用車等の自動車の組み立て工場、鉄道車両の組み立て工場、鋼製の造船所の建設に既に着手している。そのために、莫大な資材が日本から送られているが、その資金は1兆円を超えている。
むろん、機材だけ送っても役には立たないわけで、エンジニアを中心に1万人強の日本人労働者が帝国に入っている。そして、彼らの家族を含めると2万人に近い人々がアミア大陸各地に散って住んでいる。また、その半数以上が最終的にジャーラル帝国に住みついて国民になったと言う。
この金額は、流石に現状のハウリンガ通商にも金額が大き過ぎたが、ジャーラル帝国では金が大量に取れており、国庫には5千トンを超える金塊が貯蔵されていた。ジャーラル帝国は顧問団による様々な研究・指導及びレクチャーで供給される機材の重要性を良く解っている。
だから、そのうちの千トン足らずを支払うことに躊躇いはなかった。これらの主としてインフラ・工場の建設及び、農業等の改善等の結果として、ようやく計測できるようになってきたジャーラル帝国のGDPは、年率で10%を超える成長を始めている。
ちなみに、旧イミーデル王国のシーダルイ領などジャーラル帝国に鞍替えした諸領は、帝国に合同した時にはハウリンガ通商のテコ入れによって、すでに基本的なインフラが整いつつあった。さらにシーダルイ領の石油の開発が始まっており、これによる大規模なインフラと設備の建設が進行している。
ハウリンガ通商のこの世界における最初の始点がシーダルイ領にあることもあって、帝国本土よりむしろ開発は大きく進行しており、経済成長はさらに早い状況にあった。中でも私の実家のあるロリヤーク領は、俺の集中的なテコ入れもあって、すでに農業と木工でそれなりの経済基盤を築いている。
ロリヤーク騎士爵家は、さらにハウリンガ通商を使った工作もあって、帝国への鞍替え時に男爵に陞爵しているが、帝国の一般的な男爵家に比べてもかなり豊かな方である。
男爵家の嫡男である私の弟であるカミールは、私の結婚を機に一気に改善された家の経済を背景に13歳であった当初はイミーデル王立学園に通っていたが、2年後の15歳には自分の家のジャーラル帝国への鞍替えに伴って、ジャーラの帝国学園の一つに通っていた。
3歳下の妹のミランダは、初等・中等教育は近くのカロンの学園に通っていた。これは、カロンではシーダルイで始まった地球の知見を加えた教育が始まっており、純粋に教育という意味では、ジャーラに行くほどの意味はないと考えたからである。
そして、2人とも私から与えられたタブレットで、日本の教科内容を自主的に勉強するように指導されていて、定期的にテストもされている。私も自ら望んで同じことを自分に課しており、そのことも2人に伝えての指導であるので、弟妹の抵抗は少なかった。
18歳になったカミールと15歳のミランダの教育をどうするか、ロリヤーク家では家族会議を開き、私の勧めもあって2人とも日本に留学することになった。これは、今後少なくともジャーラル帝国は急速に変わっていくが、その変化の方向は地球の文明に近い形になることは間違いない。
そうした場合に対応する教育はジャーラではできないので、当面日本の学校教育を受けるなかで、日本のみならず地球社会の在り方を学ぶということだ。日本留学となれば、学校選択の面では東京が便利なのは当然で、私達のマンションの中の空き部屋を買って2人を住ませた。
基本的には私が2人の面倒を見るようにするということになるが、ハウリンガ通商社長の山下一家が同じマンションに住んでいるのが頼もしい。私もだいぶ日本に慣れてはきたが、今のところ日本に住んでいるのは延べで1年ちょっとだから、まだまだ不安はある。
カミールは、夫の顔の効く都内のM大学に聴講生ということで入学した。カミールとしては別段日本の大学の卒業資格に意味は見出しておらず、この入学は純粋に知識の吸収と日本の大学を味わうためのものである。このため、大学も難しいことは言わなかったが、実際には学力的に大幅に入学資格には足らなかったようだ。
日本語はかなり集中してやっていたので、会話はかなりできるが、読み書きは精々中学校以下レベルである。学業について、科学系はほぼ日本の高校生レベルであるが、その他は基本的な常識も足りない科目が多い。幸い、アミア大陸共通語でありアミア語と日本語の辞書と自動翻訳機は出来ているので、努力をすれば授業についていくことは可能である。
カミールとしては、大学の単位を気にせずに必要と考える科目を選んで授業を受けることになっている。ただ、怠けて学力不良になるようであれば、すぐにロリヤーク領に呼び帰すことになっている。だが、私の弟妹は優秀で、努力をすれば周りについていくのは難しいことではないと判断されている。
ミランダはM大付属高校に入学することにした。彼女の場合は、下駄をかなり履かせてもらっているが正規に入学して、普通に授業を受けることになっている。彼女はカミールより語学は却って優秀で、ほぼ日本語を不自由なく喋ることが出来て、学業も中学の範囲はほぼカバーしているので、高校の授業に対応出来るだろう。
彼らの部屋は私達の部屋と同じ階の2軒隣であり、食事は私達の部屋で取ることになっているので、姉である私の監視付きということになる。私と弟妹は勿論ラジオすらない環境で育っている。
私は、いわば田舎者の自分が情報にあふれ、見たこともない商品であふれ、人が押し合いへし合いしている東京に住むという経験を思いだした。元々好奇心の強い私は、商店街、ショッピングモールなどを歩き回り、家では初めて視聴するテレビを四六時中見ることになった。
テレビについては、最初は言葉がはっきりと判らず、それでも映像だけでも興味深くのめり込んだが、意味が解らないために1~2ヵ月で飽きてしまった。しかし、日本語が判るようになるとまたテレビのドラマなどにのめり込むようになったが、2年ほどで自分を抑えて1日1~2時間の視聴で済むようになった。
私の場合は、日本においては特にノルマ的なものが無かったので実害はなかったが、学校に通う弟妹は、そのような刺激に負けると必要な学業を積むことはできない。だから、自分が監督して日本の文化に余り耽溺しないように導く必要があると決心しているのだ。
東京の町は、私にとっては興味の尽きない場所であり、盗賊や魔獣のいるハウリンガに比べると考えられないほど安全である。残念ながら、マナ濃度が非常に低い地球では得意の魔法はほとんど使えないが、身体強化はできるので体格に劣っても男にも負けるとは思わなかった。
それにマジックバッグがあるので、護身具として念のために夫が用意してくれたジュラルミンの棒を持っている。だから、私はよく一人で街を出歩いたものだ。何しろ、東京は地下鉄網を把握してカードを持っていればどこでも簡単にいける。歩くか馬車しかなかったハウリンガに比べると、その便利さにはまってしまう。
私が日本にいるのは、原則として夫が日本に居る間だけど、彼が普通は朝8時頃出かけて、夕刻の7時から9時ごろ帰ってくるので、その時間は家にいるようにしているが、その他の時間は半分くらいの頻度で出かけていた。また、彼が不在の時は足を延ばして、新幹線で大阪、京都、名古屋や仙台などに出かけたこともある。
私は自分が女として美しいことは自覚があった。子供の頃から多くの男に声をかけられていたが、辺境の貧乏貴族であったために、高位貴族とは付き合いがなくそれほど強引に求婚されたことはない。
16歳の成人の後には、家の借金を返すために冒険者の仕事に励んでいたが、そこで声をかけられるような男に、真面に相手にするようなものはいなかった。その意味では異世界人である夫の三嶋は特別だったことになる。
日本に来ても、男の視線が集まるのを嫌でも感じざるを得ず、その密度は人が多いだけにハウリンガに比べると遥かに高いが、相手に同胞意識がないのでそれほど気にはならない。それに、日本の男はハウリンガの荒くれ男のように、舐めるように全身を見回すようなことは滅多にないから、それほど不快感はない。
その中で、知らずに少々物騒なところを歩いくことはあり、危ない視線を感じることもある。だけど、相手が武器を持っている訳でもなく、周囲に人影が絶えることは殆どないので、それほど危ないとは感じずに済んでいる。
それでも、それなりに危なかったケースを思い出している。その日は演劇を見に行って、帰りに駅までの近道を通っている時だった。ほんの200mほどの狭い道路で、まだ人通りはぼつぼつあって街灯で暗くはないが、11月で午後6時半の夜空は真っ暗だ。
夫の帰宅に間に合わせるように私は急いでいた。私の服装は動きやすさを重視して、かつ人目を惹かないように灰色のパンツルックにコートで、靴は踵の低いブーツだ。その路地から駅への道に曲がったときにはっと気配を感じて私は身構えた。
そこには、5人の男が半円に広がって、にやにやして立っている。皆、いろんな色に染めた変な髪形をして、妙な模様のジャンパーを羽織り、ズボンを摺り下げた格好であった。そのような連中を夫はチンピラだと言っていた。そして、弱いけど馬鹿だからすぐに刃物を出すので危ないとも。
彼らの少し後ろに、黒っぽい車が止まっていて、ライトを消してエンジンが唸っている。連中の車だろうが、あれで連れ去るつもりのようだ。男たちは明らかに私を待ち構えていたようだが、女一人と甘く見て皆素手だ。先ほどからなにか変な気配を感じていたので、こいつらが私の歩いてくる路地を覗いていたのか。
しかし、背は私より高いが、足も手も細く胸板も薄くて鍛えていないのが見えており、眼光もどろりとしていて、まさに夫が言っていたチンピラそのものだ。単独ではないが、獣や盗賊に向き合って命がけの戦いをしてきた私にとって、このような相手には苛立たしさはあっても恐怖は殆ど感じない。
「よう、ねえちゃん。こんなところを一人で歩いちゃいかんなあ。せっかくだから付き合ってもらおうか」
正面に立っていて、黄色の髪をピンピン尖らせた髪の目つきの悪い若者が、顔を斜めにしてだらしのない口調で言う。それに対して、私は黙ってマジックバッグから、ガメン(闘魂)と名付けた銀色の棒を、かざした右手に取り出し、同時に体内魔力を巡らして身体強化をしている。
街灯を反射する長さ1.5mのその棒が、何も持っていなかった私の手に急に現れたことに若者たちは目を剥く。
「な、なんだ。こいつ。いやマジックバッグか!マジックバッグを持っているのか!」
連中が口々に何か言っているなかで、正面の男はそう言って慌てて腰の後ろから短い棒を取り出すと、ビンとナイフの刃が飛びだす。夫に見せられたことがあるが、あれはジャックナイフと言っていた。正面の男がとりわけナイフを取り出すのが早かったが、他の者はまだもたもたしている。
私は皆が構えるのを待ってはいなかった。私の父は、剣については名人と言っても差し支えないほど使えたので、その手ほどきはされている。ただ私は基本的には魔法使いであるため、冒険者時代は魔力を使いやすい長さ1mほどのスタックを常用して、それによる突き・打撃の技を身に着けている。
日本に来てからは、週に3回~4回棒術の教室に通っていて、身体強化の効果を合わせれば10年ほど修行した男と同等の実力がある。なにより、私の場合には修羅場に慣れているという面で、日本人の男性に比べても精神的に強みがある。
私が実戦から学んだことは、中途半端は禁物であり相手を容赦してはいけないということだ。私は、自分が日本において剣や槍でなく棒を使っていること自体で、十分な相手に対する配慮をしていると思っている。そして、今相手は自分に刃物を向けている。
私は、棒術の師範に習ったように棒を意識して柔らかく握って、強化されて素早さを増した筋肉で大きく踏み出して正面の男の腹を突いた。身体強化により加速されたその速さは男たちには対応はできない。華奢な腕ではあるが、強健な男に匹敵する筋力とそれに勝る早さで相手の腹に棒を突き込む。
相手の男は「グエッ!」という声を立てて、腹から2つ折りになってへたり込んだ。さらに、私は突いた棒を横に振って、隣の男の顔を叩いた。横面と言う奴だが、叩かれた男は取りだしたナイフを手からこぼして横にばったり倒れた。
私は更にそれを見もせず、叩いた反動で棒を反対に振って、へたり込んだ男の上を通して別の男の横面を叩く。するとその男は棒の勢いに隣の男に倒れ掛かる。僅か2秒足らずの早業であり、残っているのは横面で倒れた仲間にのしかかかられて、ばたばたしている男と倒れた仲間を避けた男の2人ある。
2人はナイフを出しているが、唖然として腰が引けてもはや戦える状態ではない。私は面倒だからそのまま去ることも考えた。しかし、この連中はいかにもこうした行動に手慣れているし、しかも簡単に刃物を出した。多分過去彼らの毒牙にかかった女性がいるだろう。そうなると、逃がすわけにはいかない。
倒れた仲間を見て迷ったものの、逃げ出そうとした残りの2人であるが、踏み込んでの私の突きを腹に食らって同じく倒れ伏す。私はため息をついて、教えられたように110番で電話し、かつ夫の健司を呼んだ。気が付くと周りには5人の野次馬が目を丸くして立っていた。
私は彼らににっこり笑って言ったわよ。
「大丈夫です。警察を呼びましたから」
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2025年、12/19文章修正。




