飛翔機本格運用開始
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20〇〇年10月1日、日本において一般にハヤブサ型と呼ばれる飛翔機の本格運用が開始された。そのための法律も制定されて、その中で開発段階ではハヤブサと呼ばれていた機の正式名称が飛翔機となっており、1型と2型、さらに2型の強化タイプに分かれる。
1型も2型も、日本列島に電子的に張りめぐらされた3次元ルートを通る必要があり、これは自動車が道路以外を通れないのと同様である。そして、そのルートは常時電子的に監視されている。それを外れるとこの3次元交通網を管理している3次元交通管理システム、通称“はるか”から警告・指示を受ける。その指示に従わなければ罰金と違反点数の減点をうける仕組みだ。
このシステムを開発するために、国交省は1兆円の経費と3年の歳月をかけている。むろん、道路上を走る地上走行車は残っているが、内燃機関をエンジンとする車両は環境面の配慮から、5年以内の電動車かまたは重力エンジン駆動の飛翔機への転換が求められている。
また飛翔機の場合にも出発点と目的点が地上である以上は、特定の地上離陸点と着陸点からの移動は地上走行になるので、地上走行は無くなることはない。
飛翔機によってこの交通網を使う場合には、その占有時間に応じて課金がなされ、これは高速道を使うのと同様である。それは、飛翔機を用いた3次元交通網の活用によって、高速道路は地上走行車の消滅とともにその役割を終えることになる。そして、その償却が済んでいない部分の費用負担を担うことにもなる。
飛翔機を使うことのメリットは、何と言っても3次元運動を行うことによって、限界に達した2次元運動の自動車交通の渋滞改善である。また、飛翔機の通行ルートは基本的には道路上が望ましい。ただ、日本の場合には、電柱が乱立し道路をまたいだ数多くの標識などの構造物によって路面から10m以内の空間は使えない。
しかし、飛翔機の1型で最大100mの通行高度であるから、十分に道路上の空間を通行ルートに使え、また交差する場合にも上下で通過が可能である。さらに、飛ぶという機能を活用して、水面上や山など道路がないところをショートカットすることも可能で、実際そのようなルートも選定されて通行可能である。
このように、高度を選ぶことで空間を重層的に有効活用できるので、実際的に渋滞がなく交差点の停止も必要がない。さらには野山や水上などのショートカットによって、実際の移動の距離が短くなることもあって、街中の中心街では最高速度は80㎞に制限されているものの、移動時間は自動車に比べて大幅に短縮できる。ただ、街中では走行ルートは道路上に制限されるので、通過距離は地上走行と大差はない。
この点で2型は、地上近くの1型のルートを飛行する場合は1型のルールに縛られるが、別の街に行く場合などは、千m以上の高度で時速500㎞の高速で移動できるので大幅に速い。2型の飛翔バスも、すでに製作されていて、長距離路線も計画されているので、長距離を走る高速鉄道である新幹線や、国内線の航空便は実際上競争力を失うと言われている。
長澤信一は、山に囲まれた田んぼに向かって伸びをした。空気がうまい。背後には自分が育った築100年の大きな旧家があり、その前庭に750万円をはたいて買った、T自動車の飛翔機2型サイシャのつややかな白のボディが光っている。住所は長野県の○○市の字住野1203であり、田舎であるが、小・中・高校と子供たちの学校には比較的近い。
信一は42歳、40歳の妻洋子と14歳の長男翔、10歳の長女さつきがいる。彼はIT業界大手会社の部長職にあり、職場は本社のある東京である。信二の年収は2千万円を超えており、妻はイラストレーターであるが稼ぎは年間100万円足らずだから趣味の領域である。
彼らは、3年前に飛翔機の事を知ってから、着々と長野の実家への移転の準備を続けてきた。信一の実家には彼の両親が住んでおり、そこから5㎞の距離には妻の洋子の両親も住んでいる。信一には姉がいるが、嫁いで名古屋に住んでおり、洋子の兄は東京に住んでいて、どちらも故郷に帰ろうとは思っていない。
最初はハヤブサと呼ばれていた飛翔機の2型が時速500㎞、東京の職場から長野県の○○市まで180㎞である。だから、東京での2型の飛翔ルートに入るまでのロスを見込んでも、所要時間は35分足らずである。従って、東京に住んでいた賃貸マンションからの通勤時間の45分と比べてもむしろ早い。
この通勤のためのACバッテリーの充電費用は月に2万円足らず、それに会社近くの駐車料金月6万円を加えて、月に8万円である。これは、いささか大きいが、会社の通勤費の上限2万円の支給と現状の収入であれば楽に賄える。それに信一と洋子は育ちもあって基本的には田舎の環境が好きで、子供も両親の故郷を気に入っている。
無論とりわけ子供は、都会の刺激から全く離れるのはためらいがあるが、東京まで1時間以内で行けるということになれば、実質いつでも行けるのだ。
そういうことで、彼ら夫婦は信一の両親とも相談して、1千万円をかけて旧家の電気、水道、キッチン、風呂、内装を大改装して旧家の形はそのままに快適な生活を送れるようにした。また、当然夫婦共に1年前にRG2種免許を取得して、飛翔機運用システムの試験運用中は試験機の試乗も何度も経験している。
「信一、どうだ。近所に家が建ち始めただろう?」
後ろから68歳の父晃の声が聞こえ、信一は振り向いてそれに応じる。
「ああ、父さんか。うん、そうだな。あそこの伊藤さんの家、それからあちらの神居さんは新築しているし、中川さんが改築だな。いずれにしろ、ほんとにあちこちで新築やら改築をしているな」
「まあ、それでもお前のように、東京の真ん中から帰るものは少ないようだな。結局、長野県内に住んでいた者が多いが、東京でも西よりの八王子、さらに山梨などに住んでいたものが親と同居するというケースが増えたな。
県内に住んでいたものは、距離は大したことはなくても、渋滞やら道が悪いやらで時間はかかるからな。それに雪が降るとどうにもならんかったからのう。わしらもそうじゃが、皆子供や孫が一緒に住むようになるということで喜んでいるわい。それにしても、車が空を飛んで、東京から30分足らずで通えるとはなあ」
「ははは、重力エンジンのおかげだよ」
「しかし、翔も近所の中学校が残って良かったのう。というより、お前たちのようにこっちに移ってきた家族のおかげで、片平中学校の廃校が免れたからな。お陰で翔も自転車を使えば10分で学校に通える。まあ、さつきの通う住野小学校はもともと大丈夫だったが、さつきのクラスは生徒が増えて1学年35人になったらしい」
「うん、その点は俺も気にしていたんだ。それで、市の教育委員会にいる同窓の寺尾に聞くと、やっぱり今年には小学校、中学校、高校共に1割から2割生徒数が増えるらしい。それも皆、飛翔機で通えるようになったために親の元に帰る子供、というかそれぞれに親だけど、そのお陰らしい。
まあ、一般道で100㎞の道だと実質通うのは難しかったからね。それが、飛翔機の1型でも100㎞離れた野山の中でも1時間あれば通えるから、それぞれ親のことも心配だしそりゃあ通うわな。
3月の時点で、RG免許の取得者は1類が1200万人、2類が35万人、それに強化型の特類は10万人らしいな。それで飛翔機の1型の販売台数は350万台、2型は8万台、強化型は7万台らしい。ただ予約がその2倍あるらしいから、自動車会社はウハウハだな。もっとも重力エンジンを独占しているRGエンジニアリングこそウハウハだけどね」
「うん、それで、家の新築は親元に帰るものだけでなく、また別荘地が売れているらしいぞ。まあ、ここらだと東京から1時間かからずこれるからのう。結局一時ブームだった別荘が廃れたのは、来るのに時間がかかるからだったなあ。長い休みの時は特に渋滞でいつ着くかわからんかったからの」
「そりゃあ、一つには飛翔機も当初の予想より、値段が下がったからなあ。1型で400万円以上と言われていたけど、実際には最低で200万円になったし、2型は1000万以上と言われていたけど、俺が買ったのは750万だったからな。
それに、飛翔機の方が、地上車よりうんと自動化が楽だしね。そもそも、電子的に構築された障害物が全くなくて、障害になるのは他の飛翔機だけのルートを通るだけだから、自動化が楽なのは当たり前だ。それに何と言っても、5年後には全電動の重力エンジン機かまたはモーター走行かの2択だからね。
わざわざ今更内燃機関エンジン駆動の車を乗る奴はいないし、効率が悪いモータ駆動の地上走行車は特殊な用途のみに限られている。ただ、そのために廃れるというか、用をなさなくなったものも多いな」
「ああ、廃れるものは例えば国内線の空路だし、新幹線もそうだし、高速道路もほとんど使う必要がなくなるなあ。すぐにではないけど、5年も経てばほとんど廃れるなあ………」
そこに子供たちが走ってくる。
「「パパ、おじいちゃん!」」
それにすぐ笑顔になって振り向くのは、おじいちゃんの晃である。
「おお、翔、さつき!ご飯は食べたか?」
「うん、美味しかったよ。おじいちゃんが作ったコメの御飯が美味しいね」
さつきが答えるが、一家の東京での朝食はパンだったが、この家ではコメの御飯だ。コメは晃が耕している5反の水田で作っているが、年間2千㎏以上は取れるので、大部分は地元の農産物の直売店で売っているが、なかなか評判が良い。信一も久しぶりの米飯にこんなにも美味しかったのかと改めて思ったものだ。
「おお、そうか、ハハハ。ところで、通いだした住野学校はどうかの?」
「うん、楽しいよ。担任の山口さとみ先生が優しいし、登校途中の道のそばに花がたくさん生えていて綺麗」
「そうか、そうか。翔は中学の2年生だが、中学はどうかな?」
「うーん。まあ、普通かな。でも嫌な奴はいないから良かったよ。自転車通学はいいよね。朝気持ちがいい。あとでどこかに行くのも簡単だし」
「ほお、普通か。こっちでの勉強はどうかな?」
「うーん、東京から転校して来た生徒も1人いるけど、まあ普通の成績だな。前からいる子だと梶山君ができるなあ。でも、たぶん僕の方が出来ると思う」
「ああ、お前らのお父さんの信一はいつも一番だったぞ。高校も5番以内で入学している。この○○市の高校は県立が2校、私立が2校で近い高校は市内では一番難しいから、成績が悪いと遠い高校に行かなくちゃならんぞ。勉強も頑張らなくちゃな、それと東京でやっていたサッカーはどうだ?」
「スポ小のサッカーは、あまり強くないね。東京で入っていたクラブと比べるとだいぶ落ちるよ。でも、おかげで僕でも頑張るとレギュラーになれると思う」
「ははは、翔は俺と同じでスポーツはあまり得意ではないからな。まあ精いっぱい頑張ればいいさ」
父の言葉に複雑な表情の翔であったが、活発でスポーツも得意なさつきが言う。
「私は、やっていた女子サッカーのクラブがないので困っているけど、ソフトポールをやろうかと思っているわ。隣の6年生の佐知ちゃんもやっているから」
「うん。スポーツは出来るだけやった方がいいよ。父さんも運動神経は鈍くて、走るのは女の子に負けていたけど、高校でラグビーをやって人並み以上になったからな。なにより、健康に良い」
そういう会話をしながら、思い切って地元に帰ってきて本当に良かったと思う信一だった。妻も同郷だし、子供も嫌がってはいないし、なにより両親が生き生きとしてきた。築100年の家も、内装と設備を改装すれば、十分快適に暮らせるし、ほとんど自動で運転できる飛翔機での通勤も、満員電車に乗らなくて良い東京の生活に比べればずっと楽だ。
社員に聞くと、電車も心なしか空いてきたと言うが、統計的にもはっきり東京及び近郊から長野、新潟、茨木などを含む近県への転出の傾向が表れていると報道されている。ネックになるのは、オフィス近くの駐車料金であり、月5万円から10万円の負担は小さくはない。
とは言え、最も便利な交通手段としての車が飛翔機に代わって、大幅にあらゆる地点へのアクセス時間が短縮されると、電車からのアクセスに便利の良い地価の高いところへの立地に意味がなくなるわけである。
それよりは、地価の安い所に、社員の駐車場を備えた立地がむしろ望ましいという考えも生じてくるわけである。だから、信一の会社も貸しビルの今の本社を、八王子の郊外に移転する計画を本格化させている。そうなると、まったく価値がなくなっていたアクセスの悪い過疎地にも、それなりの価値が出てくることになる。
さて日本においては、飛翔機は世の中を大きく変えようとしていたが、日本と概ね並行して重力エンジンを導入したアメリカ合衆国においては、インパクトは小さめであったと言えるだろう。これは、広大な国土という条件から、相対的に渋滞などの発生頻度と重篤さは日本に来れば控えめであり、移動距離そのものが大きい。
だから、飛翔機(flyer)1型、2型及び2型の強化型という分類は同じであったが、制限速度1型は時速250㎞、2型は同800㎞と異なる。また、電子的な3次元の交通網の構築は都市近郊に限定しているために、その網羅している面積は国土面積の15%に過ぎず、残りは野放しである。
アメリカでは、都市近郊以外の飛翔機の飛行は2年前から許されていたので、飛翔機の販売は日本より1年早く2年前から始まっている。従って、現在までの累積機数は1型が450万台、2型が120万台であり、強化型は15万台である。
重力エンジン製造は㈱RGエンジニアリングのみで行っているために、アメリカにもエンジン工場があってすでに製造に入っている。㈱RGエンジニアリングのエンジン工場は日本に3、アメリカに3の他はイギリスとドイツ、フランスにそれぞれ1工場設立しているが、増築を繰りかえしており、最終的には年3千万台で動いている。
2025年、12/17文章修正。




