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【2巻3/24】辺境領主令嬢の白い結婚 〜殿下の命をお守りするために結婚しましたが、夫は毎日楽しそうにお過ごしです〜【コミカライズ】  作者: 藍野ナナカ
番外編

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乗馬(後)


「幼い頃はいろいろ乗っていたと聞いていたが、やはり鞍に座るのには慣れているね」

「あ、あの、トゥル様!」

「馬も君も落ち着いているんだから、もう少し先に進むべきだよ。……でも、さすがに横座りしか無理かな」


 今日は馬の近くに行くだけのつもりだったから、普段通りのドレス姿であることを気にかけてくれたのだろう。

 そっと馬のたてがみを触る。

 少しだけ振り返った馬は、私の指示を待っているようだ。その目はとても静かで、嫌悪の表情はない。……そう見えるのは私の願望だろうか。


「お嬢様。念の為、ベルトを締めますよ」


 今ではトゥル様専属の護衛となっている騎士のグレムが、手早くベルトを閉めてくれた。

 通常の乗馬ではこんなベルトは使わない。でも私は何かあれば軽くなってしまう。ふわふわと揺れて鞍から浮いてしまわないように、飛行騎獣用の騎乗具を取り付けていたようだ。

 つまり……最初から、私を乗せるつもりだった?


「ごめんね。でもオルテンシアちゃんなら大丈夫だと思ったんだ。怖くはないよね?」

「——はい」


 私は大きく頷いた。

 ぎゅっと手綱を握り締め、それから横座りのままだと思い出した。

 貴族の女性たちは、横座りで馬に乗る……らしい。

 王都ではそれでいいかもしれない。でもここは辺境地区。横座りだけで対応できるとは限らない。私は思い切って鞍を跨いだ。

 一瞬、馬を撫でていたトゥル様の手が止まる。

 でもグレムは少しも慌てない。それどころか懐かしそうな顔をした。


「懐かしいですね。お嬢様は何度令嬢らしい乗り方をと言われても、いつもそうしておいででした」

「安全な方法をとるのは当然でしょう?」

「それでこそお嬢様です」


 グレムは笑った。

 トゥル様は少し驚いた顔をしていたけれど、私のドレスの裾をさり気なく足に被せてくれた。


「……君は、思っていた以上に大胆なんだね」

「私は領主の娘ですから」


 急に恥ずかしくなって、ついそんな言い方をしてしまう。

 でもトゥル様はなぜか面白そうな顔をした。


「グレム。昔のオルテンシアちゃんは、いつもこんな感じだったのかな?」

「私の口からは言えません。ただ……ご想像の通りかと」

「そうか」


 トゥル様は納得したように大きく頷いた。


(……幻滅されてしまったかしら)


 不安になってトゥル様の表情を伺う。

 トゥル様はなんだか硬い顔をして、目を逸らしていた。でも気のせいでなければ目の輝きはとても楽しそうだし……硬く結んでいる口元も不自然に動いている。


「もしかして、笑っていますか?」

「笑っていないよ」

「嘘です。私の目を見ていません」

「そ、そうだったかな」


 トゥル様は少し慌てて私に目を向けた。

 私がじっと見ていたから、パチリと目が合う。目があった途端に、トゥル様がすぐにまた目を逸らしてしまった。


「……やっぱり笑っていませんか?」

「いや、その、何というか……活発な君はかわいいなと思っただけだよ?」

「そ、そう言えばごまかせると思っていませんか!」

「そんなことはないよ。さあ、この子が待っているから少し歩いてみよう!」


 トゥル様はいつもより早口でそう言うと、馬の手綱を軽く引く。

 引っ張るとまでいかないくらいの動きだったが、馬は従順に歩き始めた。

 馬の背に座る私の体が揺れる。バランスの取り方が思っていた以上に難しい。揺れすぎると、私の体は落下とみなして変異してしまう。急いで座る位置を変えてみたけれど遅かったようで、体がふわふわと揺れ始めてしまった。


「しっかりつかまっていれば大丈夫だよ。馬の負担にならないからちょうどいいと思って、気楽にいこう」


 トゥル様がそう言ってくれたから、姿勢とか考えずに鞍に体を寄せるようにしがみつく。美しい乗り方ではないけれど、馬の負担にならないと思えば確かに気が楽だ。

 しばらく振り回されるように感じる。

 でも体が慣れてきたのか、体重が戻ってきたのか、やがて揺れはそんなに気にならなくなった。

 恐る恐る背筋を伸ばして座ってみる。久しぶりだったけれど、馬の揺れ方に体を合わせるコツを掴むことができた。


「慣れてきたようだね」

「はい。少し走らせてみたいです」

「そうだな……君、オルテンシアちゃんを頼めるかな?」


 トゥル様は私の耳元で揺れるカートルに声をかける。銀色の魔獣は、チリーン、と鳴いて大きく揺れた。

 もう一度微笑んだトゥル様は、手綱から手を離した。私は緊張しながら、控えめに指示を出す。不慣れな指示を、馬は正確に受け取ってゆっくりと走り出した。


 がくん、がくん、と何度も大きく体が揺れたけれど、その度にカートルが網のように体を広げてバランスを取ってくれる。私も体の使い方を思い出したから、もう怖くはない。

 もう少しだけ早く駆けさせると、周囲の風景があっという間に流れ始め、体に風を強く感じた。

 乗馬場を二回りしたところで、馬を止める。うまく指示を出せなかったけれど、馬が慣れているからか、カートルが何かしてくれたのか、すぐに止まってくれた。


 ほっとして降りようとする。でも手が強張ってよく動かない。それに体が微妙な変異を起こしているようで、揺れが残っているようだ。

 もたもたしている間に、トゥル様が手早く固定ベルトを外してくれて、そのまま軽々と下ろしてくれた。


「どうだった?」

「馬はとても用心深く走ってくれました」

「そうではなくて、君自身のことだよ。……感想は?」


 私はトゥル様を見上げた。

 まだ体が揺れる感覚は収まらない。トゥル様に支えてもらっていなければ、座り込んでしまいそうだ。

 久しぶりの馬の背はとてもよく揺れた。でも風を感じたからか、本格的な疾走ではないのに馬車より速く感じた。


「……とても楽しかったです」

「そうか。よかったね」


 トゥル様は笑った。

 とても楽しそうだけれど、ほっとしたような顔だ。


(心配しながら見守るのは、私の役割だったはずなのに)


 久しぶりの騎乗だったから、体がまだ強張っている。腕も疲れたし、背中もお腹も筋肉が痛い。いろいろ疲れた。本当に疲れてしまったけれど。


「馬に乗ることは、とても楽しいですね」


 もう一度、口の中でつぶやく。

 どうやら私は、馬車の中から見る光景より、風を受けながら見る光景の方が好きらしい。

 今は二周しただけで精一杯でも、そのうちもっと長く乗れるようになるかもしれない。そうなったら——トゥル様と一緒に出かけることができる。


「トゥル様のお供ができるように、これからもっと練習したいです」


 そういうと、トゥル様はじっと私を見つめ、それからふわりと微笑んだ。


「シアは、かわいいね」

「……えっ?」


 一瞬、息を呑む。

 でもトゥル様の微笑みは変わらず優しいままで、乱れていた私の髪をそっと撫で付けてから、ひらりと手を振って離れていく。

 グレムが馬具を通常のものに換え、トゥル様も丁寧に確認してから身軽に騎乗する。

 気がつくと、屋内練習場には複数の障害物が用意されていて、トゥル様はそれらに向けて馬を走らせた。


 特に競技用の調教を受けているわけではないなのに、トゥル様が跨った馬は忠実に、軽々と障害物を飛び越えていく。

 人馬一体となった姿はとても美しい。でも私は、いつものようにうっとりと見つめることができなかった。

 ——トゥル様に、とても優しく「シア」と呼んでもらえたから。


 軽やかな蹄の音が幾重にも重なって響く。でも私の耳には、まだトゥル様のささやきが残っている。

 いつまでも動揺している私を心配したのか、耳元のカートルが、チリ、チリ、と鳴いた。



   (番外編 乗馬 終)



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― 新着の感想 ―
2巻が楽しみでなりません 番外編読んで更に更に楽しみになりました ありがとうございました!
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