妻への贈り物(前)
コミカライズ1巻発売記念SS。
本編エピローグの直前くらいの話です。
王都と辺境地区では、植生がかなり違う。
異界からの空気が流れ込むために、出没する魔獣の数も桁違いだ。
だからだろうか。この地と王都では人々の風習が違う。
多少の方言が混ざるものの、言語としては同じだし、人種もほぼ同じ。同じ王国の中で価値観も共通しているというのに、細かな風習の違いに戸惑うことがある。
その一つが、結婚記念日についての考え方だ。
私トゥライビスは、王都にある王宮で生まれて以来、一度として王都から出たことはなかった。だから私が知っているのは、王都の風習だけだ。
私の十歳の誕生日は、王の子として荘厳な儀式が執り行われた。
王宮での日々は、華やかさの裏に命の危機が潜んでいて、気の休まる時間がほとんどなかったが、乳母メリアは私の節目の祝いを欠かさなかったし、メリアが動けなくなった後は乳兄弟のロイスがいろいろ準備をしてくれた。
十五歳の祝い。二十歳の祝い。ささやかだがとても温かかった。
二十五歳の祝いの日は、私からメリアとロイスに贈り物を用意した。
私には自由になる財産はほとんどない。ただ時間だけはあったから、よく彫金の真似事をしていた。メリアには私が作った銀製の首飾りを、ロイスには私が鞘の装飾を施した剣を贈った。
その頃にはほとんど寝たきりだったメリアは、私が贈った首飾りをいつも手元に置いていた。あの首飾りは今も棺の中にあるはずだ。
ロイスの剣は、父上に相談して取り寄せた刀身だった。そのおかげか苛烈な襲撃の中でも折れることなく、ロイスの命をギリギリで守ってくれた。
王宮を去る時、私が持ち出したものは多くはなかったが、二人から贈られた品々は全て持ってきている。片付けを手伝ってくれたメイドたちは、ささやかな品々を不思議そうに見ていたな。乳母たちからの贈り物だというと、笑顔で「それは大切なものですね」と美しい箱を用意してくれた。
この辺境地区でも、親しい存在からの贈り物は大切にしていると確信できて嬉しかった。
しかし、辺境地区では「結婚記念日」という概念は希薄らしい。
いつも護衛をしてくれているグレムにそれとなく聞いても、よくわかっていなかった。王都から戻ってすぐにロイスの様子を伝えに来てくれたクレイド君は、ロイスからの言付けを伝えてから「ところで結婚記念日ってどんなことをするんですか?」と首を傾げた。
私は辺境地区のブライトル家にいる。
だから、辺境地区の風習に従うべきだと思っているが……これだけは気持ちが収まらない。
私を一生懸命に守ろうとしてくれる「妻」に、感謝の気持ちを伝えたいのだ。
「奥さんへの贈り物かぁ。なんか、かっこいいですね! どういうものを贈るものなんですか?」
「相手が喜ぶ物が一般的だと思うよ。王家では記念になるような物のようだった。父上は義母上に毎年宝石を贈っている」
「なるほど! あの怖い王妃様、宝石は似合いそうですものね! でもシアはどうかな。あいつ、子供の頃は花より魔獣の卵の方が喜んでいたし……あっ、シアじゃなくてオルテンシアですね! 失礼しましたっ!」
クレイド君は、ハッと気がついて慌てて言い直した。
ブライトル家では、従兄弟は本当の兄弟のように一緒に育つものらしい。それがわかってきたから、オルテンシアちゃんの従兄にあたるクレイド君が「シア」と親しげに呼んでいても、今は気にならない。
それでもクレイド君は気を遣おうとしていて……私も、少し気になった時期はあった。
自分の心の狭さに、つい苦笑してしまう。
だがその間も、まっすぐなクレイド君は真剣に考えていたようだ。うーんとうなって、大きくうなずいた。
「昔のオルテンシアは弟たちと似たような感じだったけど、最近は大人っぽくなっていますからね。トゥル殿下からの贈り物ならなんでも喜ぶと思います。もし花が必要なら、俺がいっぱい探してきますよ!」
「クレイド。こういう場合、君が探しても意味がないのではないのか?」
「え、そうかな……そうかもしれない!」
グレムの指摘に、クレイド君は頭を抱えてしまった。
私が花を探しに出歩くことはできないから、クレイド君が探してくれることは全く問題はない気がする。そう言ってあげようとした時、グレムが咳払いをして進み出た。
「殿下。先日見せていただいた、アレはいかがでしょうか?」
「アレとは……ああ、あれのことかな」
少し考え込んだものの、すぐに思い当たった。
クレイド君が不思議そうにしているから、私は机の引き出しから小箱を取り出して手渡した。
「グレムが言っているのはこれのことだと思う。あっているかな?」
「はい。私も初めて目にしたものですから、お嬢様もお喜びになるのではないかと」
「……トゥル殿下、とてもきれいですが、これは何ですか?」
蓋を開けて箱を覗き込み、クレイド君は首を傾げている。
なるほど。美しいから集めていたが、クレイド君でも実物を見たことのない、とても珍しいものだったらしい。
「パージェの鱗だよ」
「鱗? パージェ? ……ああっ、もしかしてあの小さなドラゴンの鱗ですか!」
手に取っていた箱を落としそうになったクレイド君は、しっかり持ち直して改めて箱を覗き込む。とても熱心に見ているから、一枚を取り出して渡すと、手のひらにのせてまじまじと見つめた。
「薄いな。でも触った感じはとても丈夫そうだ。これがドラゴンの鱗か……きれいですね!」
「ドラゴンと言っても幼体なんだが、やはり珍しいんだね」
「珍しいなんてものじゃないですよ! 幼体は目撃例も稀なんです。普通の翼竜類との見分け方だけは知られていますが」
「そうか。これを装飾品にしてみるのはいいかもしれないね。どう思う?」
「シアなら、オルテンシアなら絶対に喜びますよ!」
小さなドラゴンを撫でている時に落ちた鱗は、私の目から見ると宝石にも等しい美しさだった。グレムやクレイド君から見ても極めて珍しいものらしい。
ならば「妻」への贈り物として悪くはなさそうだ。
「加工の相談をしてみたい。彫金師を紹介してもらえるかな」
「すぐに呼んできます!」
クレイド君は、箱を丁寧にテーブルの上に置くと、そのまま走って部屋を出てしまった。
「……別に、今すぐというつもりではなかったんだが」
「クレイドはああいう子です。すぐに動きたがっている時なら、自由に動かしてやってください」
領主一族に連なる青年であっても、グレムにとってはかわいい弟分のようだ。
急ぐつもりはなかったが、結婚記念日まで日数が少ないのも事実。
クレイド君の好意はありがたく受け取ることにした。




