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【2巻3/24】辺境領主令嬢の白い結婚 〜殿下の命をお守りするために結婚しましたが、夫は毎日楽しそうにお過ごしです〜【コミカライズ】  作者: 藍野ナナカ
番外編

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渡り鳥(前)

本編『薬草園の鳥たち』と『街への外出』の間から始まる番外編です。

(WEB掲載版用に書きましたが、書籍版の直後の話としても読むことができるようになっています)


 辺境地区には、スオロという鳥がいる。

 かつてブライトル家の主要収入源だった羽毛はこの鳥のもので、魔の森を越える渡り鳥だ。


 私たちにとっては、毎年訪れる身近な存在なのだけれど、トゥル様にとってはとても不思議な鳥らしい。

 今朝も屋敷に隣接している薬草園に出掛けて、折り畳み椅子にのんびりと座っているトゥル様は、親鳥を見ながら「なぜこの体形で飛ぶことができるのだろう」と首を傾げている。


 スオロの体つきは、鵞鳥ガチョウという家畜種に似ているそうだ。

 鵞鳥ガチョウは家畜種なので肉付きがとてもよく、飛ぶことはできない。

 なのに、スオロは飛ぶ。

 飛ぶ姿はガンと似ていて、でも顔や首の形状はカモそっくりなのだという。


 私はトゥル様が知っているカモを知らない。

 でも、スオロの青色のヒナはとても可愛らしいから、小さなスオロのようだというカモはきっと可愛らしいのだろう。


「……私も、カモを見てみたいわね」


 トゥル様の靴の上に乗っては滑り落ちるスオロのヒナを見ていた私は、ついそうつぶやいてしまった。

 周囲のスオロの鳴き声に紛れただろうと思ったのに、トゥル様には聞こえたようだ。にっこりと笑った。

 その笑顔のまま、膝の上に乗って服の紐を引っ張っていたスオロのヒナを両手で持ち上げて地面に戻した。


 手のひらに乗るくらいだった青いヒナたちは、どんどん成長している。

 まだ靴の甲の上に乗るくらいの小さなヒナもいる一方で、もっと早く卵から孵ったヒナは猫くらいの大きさになった。ジャンプ力も増していて、座っているトゥル様の膝の上に乗りたがる。


 池の周りのぬかるみを歩き回るスオロだから、膝に乗れば泥がつく。

 少し離れたところにいる従者や私のメイドたちは、ヒナがトゥル様の膝に乗るたびに声にならない悲鳴をあげていた。

 なのに、トゥル様は泥だらけになってもちょっと困った顔をするだけで、少し遊ばせてから膝から下ろす。


(あんなに甘やかせて、大丈夫なのかしら)


 スオロのヒナはもっと大きくなる。

 成鳥と同じ大きさになれば、それなりにずっしりと重くなるはずで、その重さのものが膝や肩、頭に乗りたがるようになったら大変だ。

 そんな心配をしていると、足元から、ピー、と鳴き声がした。


 慌てて下を見る。

 私のスカートの裾の周りに、ヒナがいた。

 一羽二羽ではなく、もっとたくさんのヒナがいて、私が体を動かした拍子に揺れたドレスの裾をじっと見ている。池の近くまで行くことも想定してドレスの裾が少し短くなるように着ているから、ちょうど裾がヒナたちの目の高さにあるからだろうか。

 それに、何羽かは私を見上げていた。


「…………えっ?」


 私は鳥には好かれない。

 だから邪魔をしないようにトゥル様から離れたところでお待ちしているし、自分から近付く鳥なんていないと思っていた。

 なのに、ヒナたちがいつの間にか私の周りにいる。


(……どうして? 一体何があったの?)


 戸惑っていると、周りや池の方を見ていたトゥル様が私を振り返った。


「オルテンシアちゃん。最近、親鳥の数が減ってきた気がする。どうしたのだろう?」


 トゥル様の言葉に、私は我に返った。

 私はそっと周囲を見た。その動きだけでくるぶし丈のスカートが揺れてしまったけれど、動きを控えめにしたから裾がヒナたちに当たることはない。

 ちらっと下を見てホッとしてから、もう一度周りを見てトゥル様へ向き直った。


「ヒナが大きくなったので、旅立ったのかもしれません」

「旅立つ? もしかして……もうここを離れるということかな?」

「はい。スオロは渡り鳥です。ここに立ち寄るのは子育ての時期だけで、ヒナが自力で飛ぶことができるようになると、親鳥は先に旅立つのです」

「ということは、ヒナたちは置いていかれるのかな?」

「そうですね。でも時がくれば、そのヒナたちも旅立ちます。追跡したこともあるそうですが、ヒナたちは迷うことなく親鳥たちと同じ方向へ——魔の森を越えていくのだそうです」


 追跡調査をしたのは私の叔父だ。距離を置きながら、翼竜を使って追ったらしい。

 その話を聞いていなかったら、私も追いかけてみたかもしれない。……今はそんなことはできないけれど。

 ふと胸の奥に浮かんだ寂しさを振り払うために、足元で歩き回るスオロのヒナたちに目を向ける。私の周りにいるヒナたちの多くはトゥル様を見ていた。

 まるで、トゥル様の声を慕っているように。


「……あ、だからかしら」

「ん? どうしたの?」

「いいえ、なんでもありません」


 私のつぶやきを聞き落とさずに不思議そうなトゥル様に、笑顔を返した。

 今も、ヒナたちはトゥル様の声に反応した。

 スオロは、親鳥もヒナもトゥル様のことが大好きだ。絶対に人に懐かないと言われていた鳥なのに、餌がなくてもトゥル様のそばに寄っていくようになっている。親鳥たちは用心深さを保つけれど、ヒナたちは無邪気に足や膝に乗る。

 トゥル様がのんびりと声をかけてくれるから、スオロのヒナたちは私に対する警戒を解いてくれるのだろう。


 それでも、親鳥たちは私には近付かない。

 だから今は私のスカートの裾を目で追っているヒナたちも、空を飛ぶようになれば離れていくのかもしれない。

 きっと今だけだろう。

 今だけでもいい。こんなに鳥に囲まれたのは久しぶりだ。子供の頃に戻ったようで、私はとても楽しい気分になっていた。



     ◇



 ホバ池周辺は、緩やかに変化していく。

 朝、トゥル様をお迎えに薬草園に行くたびに、大きな白い鳥の姿が減っていくのがわかる。でもその隙間を埋めていくように、ヒナが大きく白くなっていく。


 卵は全て孵ったようで、青くて小さな姿を見なくなって久しい。

 親鳥と同じくらいの大きさになったヒナは、白い羽根がほとんど伸び揃っていた。ところどころに青い産毛が残るスオロは、池に浮かびながら、あるいは地面をかけながら大きく羽ばたかせる。


 それを、トゥル様は穏やかな微笑みを浮かべて見ていた。

 高く長く飛ぶことができるようになっても、ヒナたちはよくトゥル様の周りに集まる。まるで褒めてもらうのを待っているように。

 あるいは、別れを告げているように。


 そして——ついにヒナたちも旅立ち始めた。



 その日の朝、私が迎えに行った時は十羽ほどの若鳥が高く飛び始めたところだった。

 スオロはその丸い体に合わず、とても高いところを飛ぶ。今年生まれた若鳥たちもその習性通り、ホバ池の上空のはるか高いところまで飛んで行こうとしていた。


「……あの子たちは、旅立つんだね」


 空を見上げていたトゥル様がつぶやいた。

 独り言かもしれないと思ったけれど、私は思い切ってそばへ行った。

 まるで藻をつけているように青い産毛が残る若鳥たちが周りにいたけれど、少しだけトゥル様のそばから離れた。

 私を嫌がって逃げたのではなく、まるでトゥル様の近くの場所を譲ってくれたようだった。


「トゥル様。あのヒナたちは立派な成鳥となりました。あの高さまで飛ぶことができる鳥は、辺境地区でも多くはありません」

「……うん、立派になった。でも、旅立ちはもっと一斉にするのかと思っていたが、思っていたより少数だね。あんなに少数では危険に思えるな。若いスオロの生存率は低いのだろうか」

「どうでしょうか。毎年たくさんのヒナが旅立ちますが、ここがスオロであふれることはありませんから、途中で命を落とすものも多いのかもしれません。でも、ホバ池以外にも繁殖地はありますし、翼竜隊から上空で合流しているという話も聞いています」

「ああ、なるほど。若い鳥たちは空の上で、未来の繁殖相手と出会っているのかもしれないのか」


 空を見上げたまま、トゥル様は微笑んだ。好奇心と称賛があふれている。同時に、とても優しい。

 私へと視線を向けてくれても、まだ微笑みは残っていた。

 でもその微笑みの中に憂いが混じっているようで、私の心が痛んだ。


「その、お寂しいですか?」

「寂しいね。でもとても嬉しい。どうやら、私はヒナたちの親か兄にでもなった気分でいるようだ」

「毎日見ていますから当然です。でも来年、また戻ってきますよ」

「……そうだね。渡り鳥だから、来年また戻ってくるかな」


 トゥル様は足元にいる若鳥たちに目を落とし、それから首を傾げた。


「君たちは、来年まで私を覚えているのだろうか」


 まるで人に対するように、スオロに話しかけている。

 すっかり大きくなったヒナたちは一斉に、ガー、ガー、と鳴く。まるで疑われたことへの抗議のようだ。

 一羽のスオロが、バサリと羽ばたいてトゥル様の肩に乗った。

 きっとずしりと重いだろうに、トゥル様の体は少しも揺らぐことはない。いつものようにちょっとだけ困ったような顔をして、それから柔らかく笑った。



 ——その一週間後、最後のスオロが飛び立った。

 トゥル様は、その姿がはるか上空で見えなくなるまで見送っていた。



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