エピローグ(終)
「私には財産がないから、こういうものしか贈れなくてごめんね」
そう謝ってくれるけれど……この世界に、ドラゴンの幼体の鱗を装飾品にしている人間なんて、存在するのだろうか。
……いや、本当を言えば、そんな希少性すら私には些細なことに思える。
トゥル様が私たちの結婚した日を覚えてくれていて、私に贈り物をしたいと思ってくれた。
私たちの結婚は細かな契約事項があって、私への贈り物は不要であると始めに決めている。だから本来は全く気にしなくていい。もしかしたら、この地での生活を円滑に続けるための、深い意味のない配慮かもしれないけれど。
配慮をしてくれるくらいに、今の生活に少しでも満足していただいているのなら……私はとても嬉しい。
「さて、そろそろ食事に行こうか」
「……いつもと逆ですね」
「うん。たまには、新鮮でいいだろう?」
トゥル様は私に腕を差し出す。
私はその腕に、そっと手をかけた。
王都風の服はトゥル様が着るととても優雅に見える。でも柔らかい布の下に隠れている腕は、見かけよりしっかりとしている。魔獣すら切り伏せ、銀鷲を乗りこなす人なのだ。
私より背が高いのに、トゥル様はバランスを崩しやすい私に合わせてゆっくりと歩いてくれる。だからこうして腕を借りると、いつもとても歩きやすい。
どこまででも歩いていけそうだ。
でも……私はふと気付いた。
結婚して一年が経ったと言うことは、国王陛下に依頼された「白い結婚」の期間の残りは二年になった。私は何年でもお守りするつもりでいるけれど、トゥル様にはドラゴンの幼体が懐いている。
今のところ、まだ居着いてはいないけれど、そのうちトゥル様のそばにいつもいるようになるかもしれない。あの懐き方なら、そうなる可能性は高い。
そうなれば、私たちがお守りしなくても、暗殺者におびえることなく生きていけるようになるはず。
もしそうなったら、トゥル様はこの地を離れるのだろうか。二年を待たずにもっと早く去るかもしれない。
……それとも、もう少しここに残ってくれるだろうか。
トゥル様の腕にかけた手に、不自然に力が入ってしまった。
きっと、私は動揺を隠せていない。和やかな朝の光を楽しむ余裕はなくなっている。
でも、トゥル様は何も気付いていないかのように廊下の窓から空を見上げ、穏やかに笑った。
「いい天気だね。ここに来る前に中庭を見てきたけど、アバゾルが気持ちよさそうにしていたよ」
「……食事の後に、中庭に行きますか?」
「君が一緒に来てくれるなら」
お一人でも十分に楽しめるはずなのに、トゥル様は私も誘ってくれた。私を覗き込む顔はとても優しい。
そんなトゥル様を見ていると、強張りかけた全身から力が抜けた。心の奥底で蠢いた不安も、いつの間にか薄らいで消えていく。
「では、私もお供しましょう」
気を取り直した私がそういうと、トゥル様は明るく笑い、それからそっと私の耳元に顔を寄せた。
「知っているかな? 私はこの地の生き物が気に入っているけど、君と一緒に歩いて、話をする時間はもっと楽しいんだよ」
「…………それは光栄です」
「それだけ?」
「他にどんな答えがあるのでしょうか」
吐息が耳をくすぐる。トゥル様の甘い香りに酔ってしまいそうだ。
頬が熱くなって、つい言葉が素っ気なくなってしまう。
トゥル様は、そんな私をじっと見つめていたようだ。
足をとめ、ブレスレットをつけたばかりの私の左手を取り、手の甲にゆっくりと口付けをした。
いつかのようなかすめるだけのものではなく、柔らかな唇がはっきりと触れている。
驚いた私がトゥル様を見上げると、青と緑を混ぜたような目と合う。楽しそうな目の輝きは、まるで悪戯を仕掛ける子供のようだ。
「私はこの地が好きだよ。死ぬまでここにいたいと思っている。許してもらえるだろうか?」
「……殿下がお望みなら」
「おや、急に固い呼び方になってしまったね。君のそういうところ、とてもかわいいと思うけど…………ん? あれは……?!」
からかうような表情だったトゥル様が、何気なく外を見た途端に声を上げた。目を輝かせながら私から離れて、窓から身を乗り出すようにして空を見上げる。
長い毛をなびかせる翼竜が、上空を通り抜けていくところだった。
「あの翼竜はとても美しいな。色が緑色ではないように見えたよ!」
「……あれはお母様です」
「伯爵夫人? では、あれが伯爵夫人の噂の翼竜か! だから金色を帯びていたんだね。ああ、遠ざかる姿もキラキラ輝いていて素晴らしい。それにとても速い!」
トゥル様は興奮したように早口になっている。
いつものトゥル様だ。
間近から覗き込んでくるトゥル様は、とてもおきれいでドキドキしてしまうけれど……私はまだ、いつものトゥル様を見ている方が安心する。
目を輝かせている明るい横顔を、心ゆくまで見ることもできるから。
一年前より表情が豊かで、周りのことを忘れてしまうくらいにくつろいでいて、いろいろな顔を私に見せてくれる。
「ごめん! また待たせてしまったね」
翼竜を見送ったトゥル様は慌てて戻ってきて、改めて私に腕を差し出した。
こみあげる笑いを堪えて軽く咳払いをした私は、精一杯のすまし顔で腕に手をかける。歩きながらちらりと見上げると、トゥル様は少し照れたように笑った。
トゥライビス殿下は、今日も朝から楽しそうにお過ごしになっている。
———きっと良い一日になるだろう。
◇ 終 ◇
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