祝福の日(3)
周囲が寸劇を見ていることをいいことに、私は隣に座る殿下にこっそり目を向けた。
でも、殿下も私を見ていたようだ。目が合ってしまった。
思わず視線を逸らそうとしたけれど、その前に殿下が少し照れくさそうに笑った。
「オルテンシアちゃん、今日はとてもきれいだね。濃い紅色は君によく似合っているし、その真珠のネックレスもとても似合っている。まるでアマレの花のようだね!」
周囲が騒々しいから、殿下は少し顔を寄せて囁く。
殿下が着替えている間に、私も身支度の仕上げをした。青い宝石を金で囲んだいつものネックレスをつけるつもりだったけれど、私は真珠を多用したものに変更した。
……殿下が、アマレの花をほめてくれたから。
髪も既婚女性らしく全てあげてしまうのではなく、あげるのは半分だけにして、残りは少し緩やかに垂らしてみた。真珠の飾りもつけている。
耳元にも、真珠を使った。カートルがその耳飾りに馴染んでくれるか少し心配だったけれど、カートルは真珠を取り巻くような形に変わってくれた。
だから、殿下にほめてもらえて嬉しい。
その意図まで見抜かれてしまったけれど、メイドたちも似合うと言ってくれたから、きっとそんなにおかしくないと思う。
こんなに自分の身を飾りたいと思ったのは初めてだ。見てくれる人がいることが、こんなに嬉しいものだったなんて知らなかった。
お父様とお母様と、巻き込まれてしまった騎士たちの寸劇は間も無く終わりそうになっている。
筋書きなどすでに跡形もなく、研いでいない模造剣を振り回しての……剣舞、のようなものになっている。
私のような若い娘たちが見ても困らないような、それなりに品のあるものではあるけれど、殿下は呆れていないだろうか。
おそるおそるまた殿下に目を向けると、殿下は楽しそうに笑いながら拍手をしていた。私がじっと見ていることに気付くと、そっと私の耳元に顔を近付けた。
「ここは賑やかで、とても楽しいね」
「……いつも以上にはしゃいでいるようで、お恥ずかしいです」
「そうなの? でも私のことを誤魔化すためだろうし、君の祝福の日なら、あのお二人がはしゃいでいることはいいことだと思うよ」
そう言って笑って、でも殿下はふと真顔になった。
周囲が拍手と歓声で騒々しいから、さらに私の耳元に顔を寄せた。
「本当は、ここに戻ってくるべきではないとわかっている。でも君の誕生日は祝いたかった。君に何か贈り物ができればよかったんだけど、私は財産らしい財産は持っていないからね……肩身が狭いよ」
「そんな、気にしないでください。殿下が来てくれただけで嬉しいですから!」
「そう言ってもらえると、心が少し軽くなるよ。銀鷲を乗りこなせなかったら諦めるつもりだったから、出欠の返事もできないままだった。ごめんね」
「それは、かまいません」
耳元のすぐそばで聞こえる声に、私の心臓はいつもより忙しく動いている。
ひときわ大きな歓声が上がった。
お母様がアンコールの剣舞の披露を始めたせいだ。
トゥラビス殿下も笑顔で拍手をしたけれど、また私の耳に顔を寄せた。
「私が銀鷲を使うことは、もう知られてしまった。だから、別荘へはすぐには向かえそうにない。少しの間、ここにいていいだろうか」
耳に、殿下の唇が触れそうな気がする。
そう錯覚するくらい、顔が近い。
私は落ち着かない気持ちを押し殺し、できるだけ平気な顔を作って笑った。
「もちろんです。その間、殿下のことは私がお守りします」
「ありがとう。でも、私のことは、前のように『トゥル』と呼んでくれると嬉しいな」
殿下は笑ってくれた。
ささやきは、ひどく耳に近い。吐息がかかる。
仕方がないのだ。剣舞なのか模範剣技なのかよくわからないものが騎士たちによって披露されていて、剣を打ち合う音と歓声と拍手と笑い声で周囲がとても騒々しいから。
私は思い切って顔をあげた。
すぐ近くにある殿下の顔には、優しい微笑みが浮かんでいる。私は含みのないまっすぐな目を——青色と緑色の中間のような目を見つめた。
「……私のことは、気持ち悪く思わないのですか?」
「別に、何も思わないな。ただ、今後はあんな無茶はしないでくれると嬉しい。……あの時、あの瞬間、私は本当に恐ろしかったのだから」
トゥライビス殿下の手が、私の頬に触れた。
穏やかで美しい顔から微笑みが消えていた。
「私がここを離れたのは、これ以上君を巻き込みたくないと思ったからだ。でも、この屋敷は賑やかで、楽しくて、いろいろなものがあって、君がいる」
頬に触れた手が離れた。
代わりに、緩やかに垂らした髪に触れる。まるで戯れるように指先で髪の房に触れ……恭しく唇を押し当てた。
「君と結婚できたことについては、義母上のおかげと感謝したい気持ちになるよ」
「い、命を狙われているのに、ですか?」
「うん、それはとても困っているんだけどね」
そっと髪から手を離した殿下は、ため息をついた。
拍手と歓声が少し落ち着き、お父様とお母様がこちらに歩いてくるのが見えた。これから、本格的な祝宴が始まる。
立ち上がってお父様たちを迎えた殿下に、周囲の視線が集まっていく。あれが次期領主の婿だ、と囁き合っているのも聞こえる。
そんな好奇心ばかりの視線を受けても、殿下は少しも気負いを見せない。当たり前のように受け流し、挨拶を受けては和やかに談笑に応じる。
さすがは、王子殿下だ。
そう感心しながら、私は殿下の真剣な視線と髪への口付けを忘れようと必死になっていた。
……結局、ほとんど忘れることはできなかったけれど。




