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【2巻3/24】辺境領主令嬢の白い結婚 〜殿下の命をお守りするために結婚しましたが、夫は毎日楽しそうにお過ごしです〜【コミカライズ】  作者: 藍野ナナカ
本編

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十歳の望み(2)


「乳母は父上が手配してくれた薬のおかげで、毒の進行は緩やかで、苦痛もかなり減らせていたようだった。……今年亡くなったよ」


 トゥル様は静かにそう言って、目を閉じた。

 でもすぐに目を開いて微笑んだ。


「とにかく、私はどこにも逃げることができないと思ったから、十歳の特別な願いとして植物図鑑を望んだんだ。正しい植物の姿を知り、二度と毒を見逃さないように。……ありがたいことに、父上は私の望みを聞き入れてくれた。王都近辺の植物を全て網羅した図鑑のおかげで、些細な異常も見分けられるようになったよ。でも、父上はよほど私を心配したのだろうな。植物だけでなく、追加で動物や虫についての図鑑も作ってくれたよ。そちらは、まだ新しいから写本を大量に作っている最中なんだけどね」


 そう言って笑ったけれど、私は思わず手元の図鑑を見てしまった。

 この美しく詳細な図鑑は、追い詰められた幼いトゥル様が必死で求めたもの。国王陛下が第二王子トゥライビス殿下のために作った図鑑だったのだ。

 そんな大切なものを、私が見ていいのだろうか。


 私は迷った。でも、トゥル様は見ていいと言ってくれた。綺麗だと褒めると、困ったような顔をしつつ、嬉しそうでもあった。

 だから見てもいいはずだ。図鑑の由来を話してくれたのは、トゥル様が知って欲しいと思ったからのはず。写本をたくさん作っていると言うことは、トゥル様は他の人にも見て欲しいのではないだろうか。たくさん見て、役に立てて欲しいとお思いなのだ。

 そっと息を吐いた私は、植物図鑑より少し簡素な表紙のものを手に取った。


「……こちらは、動物の図鑑ですね。見てもいいですか?」

「うん。そちらも色がついていないけどね」

「ありがとうございます」


 お礼を言った私は、そっと開いた。




 正直にいうと、動揺した気持ちを落ち着けるために眺め始めたつもりだった。でも私は、いつの間にか夢中になってページをめくり進めてしまっている。

 この図鑑を読む限り、犬は王都でも犬で、猫も同じ猫だとわかった。でも王都近辺の子鹿は、背中に青い斑点を持っていないらしい。

 昔、お祖母様の部屋で見た子鹿の毛皮は、白い斑点だった。あれは、古くなって青い色が抜けたからではなかったのだ。


 しばらく読んでいた私は、ふと昆虫の巻を探した。

 肉眼ではよく見えないほど小さな昆虫の絵ばかりが並ぶページを開けて、私は顔を上げた。

 トゥル様は壁際にある机のところにいた。引き出しを開けて、何かを探している。そのうち、目的のものを見つけたのか、紙挟みから数枚の紙を取り出して、またテーブルに戻ってきた。


「……トゥル様。それは何ですか?」


 思わず聞くと、私の向かいに戻ってきたトゥル様は、少しはにかんだ笑顔で持ってきた紙を見せてくれた。


「これはね、私が書き留めていたメモだよ。ロムラを見た時に気付いたことや、浮かんだ疑問などを書いていたんだ。その時の疑問点が、この古い記録を見ると分かりそうだと思って」


 走り書き風なのに、柔らかくてきれいな文字が並んでいる。お父様の走り書きはもっと線が太く、お母様の走り書きは読み解くのが難しい。でもトゥル様の文字は、後から誰かが見ても分かりやすそうだ。

 思わず文字に見惚れていると、首を傾げたトゥル様が身を乗り出してきた。


「ところで……オルテンシアちゃんは、虫が好きなのかな?」


 私が虫のページを広げていることに気付いたらしい。

 驚いたような表情をしている。私は手元に目を落とし、可愛らしさとは無縁の、迫力のある蜂の絵ばかりが並んでいるのを見て、少し慌てた。


「好きというほどではありません。その、トゥル様が時々見かける羽虫というものは、どんな姿をしているのかと思って。もしかしたら、トゥル様のいう『羽虫』は私が思っている羽虫と違うかも知れないので確認していました」

「ああ、覚えていてくれたのか」


 トゥル様は、なんだか嬉しそうだ。

 持ってきたばかりの紙をテーブルに置き、ぐるりと回って私の後ろに立った。

 どうしたのだろう。

 そう首を傾げかけた時、トゥル様は私の背中越しに手を伸ばして図鑑をめくった。


「羽虫と言っても、こういう虫とは違うんだ。大きさは、そうだな、このミツバチくらいなんだけど、羽の形は……明るい日に見た時には、どちらかというと虫っぽく見えなかったんだよ」

「……虫っぽくない?」

「羽だけを見ると、コウモリに似ているというか。小さいから分かりにくいけど、ああ、この絵に似ているかな」


 背後からトゥル様が別の図鑑を引き寄せて、私の前で開いていく。

 両手を使っているから、私の体はトゥル様の腕の中にいるような状態だ。絵をよく見るために屈んだのか、私の首筋に緩やかに波打つ金髪が触れた。


「私は、ずっと羽虫と呼んできたけど、あれは虫ではなくて魔獣の一種かもしれないと思い始めている。コウモリというのはこの動物なんだけど、こういう翼を持つ魔獣は知っている?」


 考え込んでいるせいか、トゥル様の顔がとても近い。穏やかな声は耳元で聞こえる。体温まで感じる気がした。


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