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左手手首を失ったガールは激痛に右手で庇うように押さえ身構える。何も効果を生み出していない今でさえ服となった魔陣を維持するため魔力は消費されて行くのが分かった。早く決着を付けなければ、魔力切れで昏倒してしまう事を考えてしまう。女神が助言として言っていたことはこの事なのだと理解する。
「ふぅ」
「くそ!変な魔陣を使いやがって」
「降参しますか?」
「なわけねえだろうが!」
ガールは一気に駆け寄ると再び残った右腕で殴りかかる、様に見えた。いや、実際は体が2重に重なって見えた。その姿は、ガールの体を1m程ずれて映し出す。しかし、突然の視界の変化に自分は驚く事も少なく理解した。片方はガールの未来の姿を見せているのだ。
「魔陣を出させるわけねえだろうが!」
自分に現れ始めていた変化は、ユルキイアから授けられた『知る』能力の変化が増大した魔力によって起きているのだと、女神から与えられた知識によって教えられた。
そう思うと、今まで不思議だったこの世界の言葉を理解出来た事や、今まで見てきた夢の内容が唯の悪夢では無かった事、そして、戦闘の初めにガールの拳に咄嗟にステップを踏んだ事など思いもよらなかった様々な映像が能力の現れであったことを知った。
「そういう事か」
「死ねえ!」
ガールが叫び殴りかかってくる間、周囲の盗賊達の注意が自分とガールへ向いている事が分かる。それに、ガールの後方には盗賊達とシス達が対していて大きな破壊効果のある魔陣は誤射しかねない事も『知る』能力は教えてくれる。
しかし、その万能の知覚も増大した自身の魔力から徐々に消費されており、枯渇によってその能力も消失するのだと分かった。
「タモト君!避けるんだ!」
俺が呆然と立ち尽くすように見えたのか、オニボ団長が叫び回避を促す。しかし、ガールの狙いが俺の顔を狙う様にして、傷ついた右腕である事を知っていた。そのため、俺は軽く足を引き見えるガールの未来の姿から逃げれば良いのだ。
「クソ!」
ガールは一撃を避けられた後は、がむしゃらに素早く撃っては近づき間合いを開かせない。
「ハハハッ、この速さにはついて行くのにやっとだろうが!」
ガールは俺が紙一重でかわし、魔陣の反撃が無い事で勘違いをしていた。俺は反撃が出来ないのではない、何を使えば魔力を効果的に使用しガールを倒せるかを考えていたのだ。恐らく、神の魔陣は、今の自分の魔力の残りからは2発以上の連発は恐らく難しいはずだと感じる。
「炎で吹き飛ばすか?いや、後ろにはシスさん達も居るし。同じく水も影響が大きいんじゃないか。凍らせるか?んーあんな全身凍らせられるのか?」
「何言ってやがる!」
「でも、同じく腕や足をどうにかして、この戦意は無くなるのか?」
俺が小声で自問自答する姿に激怒しながらガールは攻めをやめようとはしない。そして、考える方法に他の周囲の仲間へ影響の少ない方法を考えなくてはいけない。
「まずはガールだけでも、どうにかすれば。」
ユキア達への影響を少なく気を配るならと、知っている魔陣を考えていく内に、一度だけ見たユキアの魔陣の事を思い出す。あぁ、あれがあったか。
「ミレイ?いるかい」
「ぅ、うん!うんうん!」
ミレイは俺と盗賊達との間で戦闘が始まってから、ポケットの中で必死にしがみついていた様子だった。あらかじめ避難させておいたほうが良かったなと後悔したが、今は身近に居てくれた事を嬉しく感じた。
「ユキアに伝えて。次に魔陣を使う時に直接魔陣を見ない様に伝えてくれ」
「わ、分かったよ、おにぃちゃん」
ミレイはガクガクと頷くと俺の大振りな回避動作の折に、ポケットから抜け出しユキア達の所へ向かう。その後ろ姿は、さながら恐怖に泣きながら飛びついたと言う表現の方が正しいだろう。
後は、自分の左手の手背に描かれた神の魔陣の水の紋様を変化させていく。変化と言うよりも意識で織り直すのだ。それはガールの攻撃を回避しながら行われ流線型の水滴模様が正三角形に変化していく。編みこまれた魔力の銀糸の間を糸が移動し魔陣を別の姿に変えていく。
(まるで変身ヒーローの気分だな)
起きた変化は手の部分だけだが、水の魔陣の時と比べ魔力の衣服に鋭角さが際立つ。魔陣の衣服だけに「モード(ファッション)!チェーンジ!」とか叫びながらポーズでもした方が良いのか?と冗談にも考えてしまう。それだけの余裕をガールからの攻めを躱しながら苦笑した。
「ふざけるなあぁ!!」
ガールの攻撃を2度3度と躱していくうちに、まぐれでは無く動きを見切られている事にガールも気がついていた。その上、独り言や最後には苦笑された事で、ある一定の怒りの線を超えていた。
動きの先が見える今ならば、うまく利用すれば反撃も容易だと感じる。そして、実際に足と腰をガールの体捌きに入れ込み反撃を開始する。
「ぐぁっ!」
ガールの巨体が俺による足払いと体重移動の支点をずらす事で、反動により宙に舞い上がる。そしてそのままガールの自重と共に地面へ叩きつける。合気道や柔道などは全く知らない俺にとって、ただ単に打撃よりも投げ技に近い方が効果的だと思った行動がこれだった。
「凄い」
「何だ!どうしたんだ?」
巨体が宙に舞う印象と地面へ叩きつけられる衝撃に、盗賊も自警団員も皆が動きを止めわずかに静寂が支配する。
「皆!目を閉じろ!!」
魔陣を身に付けた左手を、衝撃に見開くガールの両目ごと額を掴み魔力を開放する。
(光よ!!)
手背の魔陣が輝き、意志とともに光の魔陣の力が解放される。俺自身もかろうじて動く右腕で目への可視光を遮る。あらかじめ伝えておいたユキア達も何とか指示通りに見ないでくれている様子だった。
「ギャアアアアア!」
静寂の中にガールの絶叫が響く。俺の狙いは戦意を奪うことだった。もちろん盗賊達を討伐する時に生死に気を使っている余裕は無かった。しかし、こちらもこれ以上の魔力の消費は避けたかったからだ。そして、ガールの戦意を絶ち無力化するには五感の内の視覚を奪う他考えつかなかった。
左手を失ってもなお、先ほどの攻めを繰り出して来た相手なのだ。強力な光の魔陣によって日食性網膜炎以上に確実に視力を奪う必要があった。周囲に輝く光の魔法は、明かりと言うには優しくない、閃光の兇器と言えるほどの光量で周囲を照らす。
後日その時、村の高台から村を眺めていた人達は、夜に太陽が出たかのように光で村を一望できたという。
「ァァァ」
ガールの絶叫も小さくなり、念のため魔陣の最後の魔力を温存する。ゆっくりと瞼から手を離しても直ぐにはガールは起き上がろうとはしなかった。
「オニボ団長!ハントさん!今のうちに」
「わ、分かった!」
「うん!」
盗賊も自警団員も呆然と見守る中、二人へ合図を送る。二人は一気に盗賊達を制圧すべく自警団員達へ指示を飛ばしている。俺はガールを見下ろすと、意識まで絶ったのか何も言わず倒れていた。徐々にガールが居た事での盗賊達の気持ちのゆとりが失われたのか、自警団員達が優位へと傾き始める。
オニボ団長の指示なのか、二人の自警団員が俺の所まで来てガールの身柄を拘束する旨を伝えてくる。俺はその二人に任せ、ユキア達の居る所へ向かう。その間、意図的に神の魔陣は腕までの炎の魔法陣を解除する。すると、神の魔陣もまた織られた状態から解け、銀糸となって消えていった。
「タカさん!大丈夫ですか!?」
「あぁ、何とか終わりそうだね」
「そうじゃなくて!あんなに強力な魔陣を使って」
「そうだね、正直しんどい」
まだ左手にのみ残る神の魔陣を見つめ、先ほどよりも魔力の消費が少ない事を自覚する。
「それが、魔陣ですか?」
「うん、本当のね」
俺の言葉に不思議そうな表情のままなユキアを止めて、今はユキアにゆっくり説明をしている時間は無いように思えた。後、俺がするためにユキア達の元へ戻って来たのは、ダルの様子が気になったからだった。
「おにぃじゃん、すごいや」
「うん、ダル。今は話さなくていい後でゆっくり話そう」
「うん」
俺はユキアが良く病気を知るために使っていた魔陣を思い出す。しかし、今は折角に左手に神の魔陣が有るのだ。魔力が残り少ないとは言え、ダルのためにやれる事をやりたいと思う。女神ユルキイアがくれた知識の中には、病気を知るための魔陣は無かったが、先ほどの光の魔陣と同じように使えるはずだ。
そう考え、俺は先ほどとは違い、左手の模様を治癒の魔陣へと織り変える。そして、まずは自分の右腕を治すくらいには魔力の余裕はあるはずだ。
(治れ)
左手を当て意識として念じるだけで、右腕の痛みが引いていく。やはり、知っている魔陣であれば神の魔陣を素にしても効果がある事を実感する。光の紋様で分かってはいたが、どうしても、女神達の属性より外れる人が考え出した魔陣がうまく作用するかは知らなかったからだ。
「「凄い」」
ユキアと左肩へ座り見つめていたミレイが呟く。周囲にはサオや意識を取り戻したサニー達も居たが、共に感嘆の声を上げていた。
そして、もう一つ治った右手へと神の魔陣を織り始める。これから行う事は、全くの未知の行為だった。右手でダルの状態を知る病識の魔陣を使い、左手で治癒の魔陣を使うのだ。そして、両手をかざしながら、治療を開始した。
「ダル、楽にしてて」
ユキア達は、既に俺が何をしようとしているのか理解するようにじっと成り行きを見つめている。右手にかざす魔陣の輝きからは、次第にダルのダメージが情報として流れ込んで来ていた。
(頭部:急性硬膜下血腫、後頭部脳挫傷、少量出血持続。胸部:異常なし。腹部:脾臓損傷、出血被覆状態。骨折:右手前腕橈骨骨折、同じく上腕剥離骨折……)
あまりの情報の多さに、一瞬めまいを起こしそうになったが、その状況の酷さに歯を食いしばる。このままでは頭部の状態が一番に酷い、意識があるのか不思議なくらいだ。恐らく、ユキアが治療したという効果なのだと理解する。
「どうかあったら言うんだぞ?」
コクンとわずかに頷いて返事をするダル。俺は左右の手でダルの頭部を支えながら治れと願う。光の魔法とは違う淡い光が周囲を照らしだす。
(徐々に脳内での出血が止まり、脳挫傷で傷ついた微小血管が治っていくのが伝わる)
しかし、骨折や脾臓の損傷を治した時点で、治療が行き詰まる。脳内で貯まってしまった出血を逃しようが無いのだ。傷は治すことが出来た。しかし、出てしまった出血は体内へ戻るような逆再生ではない。腕を失う様に、漏れ出た出血は頭蓋内で脳を圧迫し後遺症を残す可能性がある。
「お兄ちゃん、楽になった」
「そうか、手は握れそうか?」
俺は意図的にダルの左手を握る。出血が脳を圧迫している後遺症が無ければ、問題なく握れるはずだ。
「あれ、おかしいな。うまく力が入らないや」
「そうか……」
「タモトさん。ダルはどうですか?」
サオは心配そうに聞いてくる。ダルの苦痛の表情が和らいだ為、先程までの悲痛なまでの不安な表情は和らいでいたが、俺のすぐれない表情に質問せずにはおれなかったのだろう。
「ひどくはならないとは思うけど、再び歩けるかどうか後遺症は残るかもしれない」
「そうですか。でも、もう大丈夫なんですね」
俺はこれ以上やれることは無いかと考えながら、やはり思いつかない事に頷いてサオに返事を返した。
「タモト君、魔陣でもこれ以上治せないのか?」
「サニーさん、失った腕の様に一度流れた血は戻せません。でもそれ以外は大丈夫です」
「そうか」
ダルを取り囲む一同は命の危機は去ったが、後遺症が残るらしいと言う事に喜べない雰囲気が占める。俺は、両手の魔陣を解放しもう魔力の残りが殆ど無い事を感じた。やはり、魔力の消費を抑えて良かったと納得した。
「後はダルの頑張りと奇跡を願うしかないか」
俺の呟きに俯く女性陣が頷く中、見上げるダルだけが明るい声が上がる。
「うわぁ、綺麗なお姉さん。見たこと無いけど誰?」
「フフフ、内緒です」
『村と村人を救ってくれた感謝の証です。足りませんけど』
俺は不意に思考に響く声にエッ?っと顔をダルから上げると、俺の右肩越しにダルへと手が差し出されているのに気付く。その霞むような文字通り透き通る女性の腕はダルの頭を撫で、ダルもされるがまま女性を見上げていた。
周囲のユキア達女性陣も突然の出来事に呆然と俺の後ろに居る女性に見惚れている様子だった。しかし、俺からは真後ろに居る為にその姿を見る事は出来ないが、思い浮かぶ存在は直ぐに思いつく。
「誰?」
「嘘!手が透けてる!」
「お化け?」
三者三様にサオ、ユキア、サニーと呟き、俺はハッとして振り返ろうとするが既にその姿は消えてなくなっていた。まさか、でもそんなに頻回にこちらに現れて大丈夫なのかと、逆に心配してしまった。
「女神様、かな」
「「「はぁ?」」」
「へえーそうなんだー」
ダルだけが、すんなりと理解していた。もう魔陣を使うまでも無い。恐らく奇跡は起きたのだ。
「ダル手を握って」
「いいよ」
今度は、力強くダルは左手を握り返してきた。まったく、優しい女神様だ。
そして突然、俺達後ろの方から自警団員達の悲鳴が上がる。
「ぐあ!」
「大人しくしろ!」
「ちくしょうっ!チクショウッ!畜生ぉぉ!燃えろ!全て無くなっちまえぇ!」
そこに居たのは自警団員にうつ伏せに組み敷かれながら、それでもなお抵抗するガールの姿だった。視覚を失った目は虚ろに宙を睨み。
「クソ野郎!どこに行きやがった!見てろ!後悔させてやる!ハハハハッッ!!」
ユキアはガールの姿に息を飲み、サニーは痛い傷でも見るように顔を背ける。しかし、俺の目に入ってきたのは、ガールが今まさに口に含んだ輝く物の正体だった。あれには見覚えがある。俺が前に見たのは淡い蒼色だったが。ガールのそれは真紅の輝きだった。
「おにぃちゃん!あれって」
「あぁ、魔宝石だ」
次の瞬間、魔宝石を飲み込んだガールの身体は炎に包まれ劫火に焼かれる。しかし、その炎は意思を持つように四方へ飛び村に家々に飛び火した。
「クソ!そこまでやるのか!」
俺は燃え動かなくなるガールの姿を睨みつけた。




