17
湯浴みを終えた俺は、休みを与えられた午前中に宿屋の食堂でテーブルに突っ伏していた。
つい先日ダル達とカードゲームをした席である。時々横を通りすぎる自警団の面々の足音も気を使ってくれているのか、声をかけずにそっとしておいてくれていた。
テーブルに置かれたコップの中にはミレイが半身浸かり、文字通りクタリと項垂れて居る。時々見かけるが俺の真似をして寛いでいるらしいそうだ。
ふむ?俺ってそんなに暇そうにしてみえるのだろうか?
そして、頬に当たる日光の暖かさに、次第に眠くなってきて抗うことも出来ずまどろんでいた。
「……ふふ、お疲れなのですね?」
「ん?」
俺は掛けられた声に身を起こす。すると向かいの席に見かけない女性が座っていた。いや、どこかで見たことが有る様な気もしていたが、はて、会った事があっただろうか?
周囲に居たはずの村人達さえ居なくなっていることに俺は気付く事は無かった。
「2回目ですよ?」
「え?」
「会うのは2回目です。前も同じようなまどろみの中で」
そう言われればその様な気もする。しかし、美しい人だ。同年代の20歳位に見えた。ローブの様なゆっくりとした服装は体型を隠してはいるが、目鼻立ちは凛々しく彫刻の様に白く輝いている。それに薄い蒼色の神は腰までと長く印象的だった。
「そんなに見ないでくださいね」
きゅっと胸元を隠すように握ると僅かに顔を赤らめて伏せる。そんなつもりは無かったが、そんなに見つめていただろうか。しかし、こんな綺麗な女性が自分に話しかけてくる理由も思いつかなかった。
「今日は聞きたいことが有り来ました」
「聞きたいこと?」
「はい、勝手にこちらの世界へ連れてきた事は身勝手だとはわかっていました」
「え?連れてきたって……」
「私は女神ユルキイア。貴方をこの世界へと導いたのは私です」
ああ、これは確実に夢なんだなと気付いた。何せ女神様の登場である。夢の中で夢だとわかる、白昼夢というやつだろうか。ん?この話前にも聞いたか?
「ふふ、そう夢です。でも、私と貴方との間では現実……」
「はぁ、それで?聞きたいことって?」
「タモトさん、単刀直入に聞きますね。元の世界に戻りたいと思いますか?」
戻りたいと言えば戻れるんだろうか。しかし、女神と言う女性の視線は出来そうだと言う印象では無い、出来るという確信を抱かせる。
「……もし、戻ったらどうなりますか?」
「どうにもなりません、こちらでの記憶もあるまま貴方は元の生活に戻るでしょう」
「それじゃあ、キイア村の人達は?」
「村もこのままです。しかし、貴方の存在が元の世界へと戻る際、空いた存在を埋めようと世界はするでしょう」
「それは、どういう事ですか?」
「貴方に関係した人達は貴方の存在を忘れてしまいます」
俺はその言葉に絶句してしまう。それでは、元居た世界の両親は俺の事を忘れている事になる。どちらか一方の世界に留まる限り、どちらかが俺に関係した記憶を失うのだ。
以前、両親は一人娘だった俺の妹を事故で亡くしている。その上、俺の存在まで無くなっているとしたら。両親2人だけで寂しく無いだろうかと思ってしまう。
「そして、次の転移を起こせば、再び行き来する事は難しいでしょう。本当は元の世界に戻ることさえも世界を歪めてしまう原因になりかねません」
「今、答えなければいけませんか?」
「いえ、選択して欲しいわけではありません。ですから、お聞きしたい事だったのです」
「でも、なぜ夢の中なのです?直接これからも話せないんですか?」
俺の質問に女神は悲しそうに顔を伏せる。
「私達女神は、昔互いに直接世界に関わることを禁じる事を成約しました。そして、世界から姿を隠し見守るだけにしたのです」
すると女神は自らの額を指差す。
「今、貴方へ授けた言葉、貴方達が言う神痣でしたね。それを通してのみ会話ができるのです」
「言葉?」
「はい、いびつな傷に見えるかもしれませんが、その傷の形は『始まりの文字』の中のひとつです」
爪痕にしか見えなかったが、文字と言われてもピンと来なかった。
「話を元に戻しましょう。心づもりが決まった時には強く念じてください。タモトさんがどの様に結果を願おうと私は誠意を持ってお答えします」
「わかりました」
「貴方を起こしに来た人が居るみたいですね。それでは、また」
そう笑顔を向けると、女神は外を眺める。俺も強くなった日差しに外へと視線を向けると、差し込んだ太陽の光が視界を真っ白に染めた。
「お兄ちゃん、起きて?」
「ん、ぅん」
肩を揺すられ、次第に意識が覚醒していく。遠慮しながらも、申し訳程度に揺すられマッサージされているようで気持ち良い。
「起きないよ?……」
ぼそっ呟く声は誰かに相談しているんだろうか、不意に揺すられていた手が離れる。
「ダリアちゃん、こういう時はね良い起こし方教えてあげる」
声だけでは、誰かは分からないがコソコソと耳打ちしているのが聞こえる。しかし、今が一番日も暖かく気持ち良いのだあと10分位で良いから寝かせて欲しい。
「ね?やってみて」
「ほんと?それだけ?」
「うんうん」
さすがに耳元などで大声を出されたら堪らないと起きようと覚悟したとたん。
「ふぅぅ、ねぇおきて?」
耳元に息を吹きかけられ、「おきて?」と一言ずつ耳たぶに吐息がかかる。
「うおぁ!」
寝起きに響いた言葉が頭を痺れさせ、背筋をゾワゾワと駆けていく。
「あっ起きた!」
「ひゃははは、起きた起きた。ほんとに起きたよ!」
「もう!サニー、変な事をダリアに教えないで……ぷっ、ふふふ」
俺は目を見開くと、目の前に満面の笑みのダリアがいた。その後ろにはサオとサニーが居る。
「ダリアかぁ。もうビックリしたよ」
「えへへ、楽しいかも」
「いやいや、誰にもやっちゃダメだから。ねっ?」
俺は驚かされたお返しのつもりで少し強めにダリアの頭を撫でてあげる。ダリアも撫でられるのが嬉しそうにされるがままになっていた。
「あら?ユキアの次は、まさかダリア?」
「タモトさん、ダリアはまだ8歳ですよ?」
後ろに控える二人の視線が冷たいのは気のせいだろうか?
「はっ?」
「かぁー!自覚ねえかあ」
「自覚ありませんね……」
やれやれと言う風に、サニーとサオは顔を見合わせている。
「ところで、何か用事だった?」
ダリアの顔は楽しさのあまりに忘れていたといった表情だった。
「あっ!ユキアお姉ちゃんが呼んでる!急いでって」
大事な事を頼まれていたのを、忘れていた照れ笑いのダリアに腕を引かれて立ち上がる。
連れて行かれた先は、宿屋の傷病者の為に使われている部屋だった。
「もう大丈夫だ!ユーは大袈裟すぎる!」
「駄目!アー君!傷が開いちゃう!駄目、駄目だって!」
扉の外まで二人の声が漏れ出していた。扉を開けなくても何が起きているか一目瞭然だった。俺はやれやれといった感じで部屋の中へと入る。
「タモトさん!遅いです!」
「ちっ、なんでお前まで来てんだよ!」
「それはこっちも同じだ。アロニス!腹に剣が突き刺さったんだぞ!もう少し寝てたらどうさ?」
「くそっ剣も握れないお前に何がわかる!」
「タモトさん、アロニスって今回の件で一番怪我してる回数が多いんですよ。それで、ユキアちゃんに気が有るから、ワザと怪我して治してもらってるんだろうって他の自警団員にからかわれてて、ふふ」
「サオ姉!余計なこと言うな!」
なるほど、アロニスは微妙な男心で頑張っているだけみたいだ。それに、余計にユキアが静止するから火に油を注いでいたわけだ。
「なるほどね。まあ、大丈夫って本人が言うなら自由にすれば良いって思うしね。ただ、動いても部屋の中ってのは守れよ?」
「あ、あぁ」
てっきり反対されると思っていただろうアロニスに、最低限の部屋の中での安静を守らせることを約束させる。こういう男は、自分で言った事には逆らえないはずだ。
「え?タモトさんが言ったらなんで聞くの?」
「フン」
後は、自然とさりげなく監視するだけだが、それがバレないよにするのが大変である。
「ダリア、ダルを連れてきて皆でカードゲームしようか?」
「うん!」
「へえ、おもしろそうだね」
ダリアの後ろにいたサニーも、合いの手をうってくれる。
こうなれば不自然さも無いだろう。しばらくするとアロニスの病室にダリアやダルも含め7人が集まりババ(バンパイヤ)抜きゲームが始まった。
「くそ!うるせえ!静かに休ませろ!!」
しばらくすると、あまりの賑やかさにアロニスの絶叫が宿屋の一室から宿中に響いた。
キイア村に振り続けた雨も完全に晴れ、雲一つない快晴を見せていた。宿屋の前にはジメジメとした湿気を打ち消すように子供達の活気と笑い声が再び聞こえ始めている。
その中、俺は宿屋の入口の段差に腰掛け空を眺めていた。
「タモトさん、ようやく晴れましたね?」
「あぁ、ユキアか。長かった雨だったね」
ユキアも同じ様に俺の横へと腰掛ける。
「タモトさん、どこかに行ったりしませんよね?」
急に何を言い出すのかとユキアを見直した。しかし、ユキアの表情は不安で占められていた。もしかしたら、両親の事を考えていたのが分かってしまったのかとも思う。
「……どこにも行かないさ」
見ず知らずの俺を受け入れてくれたユキア達への恩返しもまだなのだ。それに、家を失ったサオや村人達への手助けもしてあげたい。
「本当ですか?」
ユキアは俺の目を見つめ尋ねてくる。わずかにその目が違う輝きに潤んでいることに気付く。もしかすれば、先日の女神様とのやり取りを巫女の勘で気付いていたのかもしれない。
「あぁ、約束する」
俺は自然とユキアの掌を握り見つめ返した。
「ハイ」
俺達の間には言葉はこれ以上必要では無かった。互いに信じるだけだ。
「ねぇねぇ、ウチの事忘れてない?いや、いいんだよぉ?どうぞ、どうぞイチャイチャしちゃってさー」
ミレイがポケットの中から申し訳程度に顔を出し、ひらひらと手を振って手で目を覆う。しかし、微妙にその手の隙間からつぶらな瞳が見つめているのが見える。
「ばっ!ミレイ、それ隠せてないし、見る気満々だろ!」
「ミレイちゃん!もう!」
二人の甘い雰囲気を和やかに崩し、互いに見つめていたことに顔が赤くなる。
俺がこの世界でやるべき事はまだ沢山ある。しばらく迫られた選択は保留ですと、思考の中で女神様へ返答する。
すると、遠くでため息と共に、女性の優しい笑い声が聞こえたような気がしたのだ。
魔陣の織り手 召喚編『終了』




