第七十四話・弩と肉まん
side・久遠一馬
佐治さんに船の改良案と設計図、それと木綿製の帆を送ったら、さっそく試してみると文が届いた。
木綿製の帆は現状の尾張や知多半島では生産できないので、ウチから買ってもらうしかない。値段は安めにしたけど、帆に関しては次回以降は購入してほしいとお願いしたら快諾してくれた。
何でもかんでもタダというのもおかしいので、今回は試供品扱いでタダにし、羅針盤や帆に動滑車などは次回以降は買ってもらうことにしたんだよね。
三河の問題は信秀さんに報告した。松平領から来る流民は、当面は三河の矢作川西岸で働かせることに決まった。
まずは三河の戦で荒らされ、放置している田畑の復旧をさせて定住させる予定だ。その上で余るようなら、知多半島の開発に人を回すことになる。
当面の目標は西三河の復興と開発だね。
「今日は一段と寒いのに、みんな頑張るね」
それにしても戦国時代の冬は寒い。那古野は雪がほとんど降らないからいいけどさ。もっとこう、断熱効果のある家にするべきじゃないだろうか。半纏が欲しくなるよ。
こんな寒い日にもかかわらず、今日は庭で今年に入って雇った百名の兵の訓練が行われている。
「禄がいいうえに食事も出ますから。彼らも必死なのですよ」
指導者は鬼軍曹と化したジュリアと、冷酷軍曹と化したセレスだ。でも私的な差別をしたり、暴力を振るうわけではないので、この時代では不思議と評判がいい。
滝川一族や信長さんの悪友と違い、あまり鍛えられてなかったので集中的に訓練しているらしい。
「それにしても、かず。またこんなものを持ってきおって」
「南蛮や明にある弩ですよ。昔は日ノ本でも使われていたようですが、今は見かけませんね。利点はあまり訓練しなくても射てることです。欠点は次の矢を込めるのに少し手間がかかることです」
庭から聞こえる男たちの少し暑苦しい声を聞きながら、信長さんと資清さん、一益さんに見せたのは、クロスボウだ。
その昔には日本にもあったらしいけど、廃れてしまい今では知る人ぞ知る武器になっている。
廃れた理由は諸説あるし、様々な原因があるんだろう。
かつては武士と郎党による戦だったものが、今では領民を動員した総力戦に移行している。クロスボウは今の情勢には合うんだけど、いかんせん特性が鉄砲と共通してる部分が多い。
「とりあえず試しに使ってみるか」
「石を投げるよりはマシですよ。ただ当然ながら安くはありませんし、整備に専門技術が必要です。まあ雨の中でも使える利点はありますが」
信長さんも資清さんたちも、使える武器だとは思ったようだけど。問題は費用対効果だよね。
人の命が安い戦国時代では、織田家以外では使える武器じゃないだろう。それに史実のように雨の中でも火縄銃が使えるように改良すれば、更に出番は減る。
でも少数を前線に配備するのは、現時点では悪い手ではないはず。三河安祥城にでも送って使わせてみたいところだ。
ああ、佐治さんに焙烙玉のこともそのうち教えないとな。炮烙玉自体は既に知っているとは思うけど。
「おっ、肉まんか？」
「ええ。今日は寒いので作ってみました。若様もどうぞ」
火鉢で暖まりながら話をしていたオレたちのもとに、エルが侍女さんと一緒に蒸したての肉まんを持ってきた。
懐かしいな。冬の寒い日に外で食べた、コンビニの肉まんの温かさと美味さは忘れられない。
「肉まん？ 饅頭のことか」
「ええ。明では普通に肉を食べるので、中身に肉を入れるらしいです」
さすがに信長さんは饅頭を知ってたか。饅頭の歴史は知らんけど大陸から伝わってるんだろうね。資清さんと一益さんは知らないようだから、一般的じゃないんだろう。
湯気が出てる肉まんを手に取り、熱々のままかぶり付く。
柔らかくふっくらした小麦の生地の食感がたまらない。中身は元の世界でお馴染みの肉まんだ。でもコンビニの肉まんよりは、ちょっと高級感があるかな。
肉と野菜の旨味が、噛むとじゅわっと口の中に染みだしてきて美味い。
本当は煎茶が欲しいけど、まだこの時代にはなく御披露目もしていないから代わりに温かい麦茶だけど最高だ。
外で訓練してる人たちにも、休憩を兼ねて振る舞ったんだろう。驚く声がここまで聞こえる。
「八郎殿。口に合いませんでしたか？」
「いえ、大変美味しゅうございます。ただ。亡き両親に食べさせてやりたかったなと。申し訳ありませぬ」
日本人の冬の定番の一つだった肉まんは、信長さんたちにも好評らしい。信長さんなんか早くも二個目に突入している。
ただ資清さんだけは一口食べて止まったまま、複雑そうな表情で肉まんを見つめていた。
少し気になったのかエルが声をかけると、資清さんはゆっくりと味わうように二口目を頬張り理由を教えてくれた。
「甲賀は貧しい土地でございまして、父や母も苦労して生きておりました。冬の寒さから身を守るために、家族で身を寄せて食べ物を分け合っていたのでございます」
ぽつりぽつりと語る資清さんの昔の話。それは歴史ではなく現実の厳しさを、オレやエルに改めて感じさせる話だった。
燃料の薪や炭すら満足に使えぬ時もあれば、食べ物がなく食べられる物は何でも食べたこともよくあったそうだ。
「年寄りが殿や奥方様に手を合わせるのは、その過去が忘れられぬからでございましょう」
信長さんも神妙な面持ちで話を聞いている。裕福な尾張の織田弾正忠家の嫡男である信長さんも、そこまで困窮した話は意外に聞いたことがないのかもしれない。
「せめて飢えぬようにしてやらねばな」
「そうですね。これがなかなか大変なんですけど」
資清さんの昔話に信長さんは、自分に言い聞かせるように一言呟いた。
やはり、少しずつ変わってきてるね。オレたちと一緒にいるせいか、武士や戦国時代の価値観から、元の世界の価値観に一部近い部分が出てきた気がする。
以前は戦で勝って天下統一。恐らくそんな理想を描いていたんだろう。ただ最近は戦以外の時にいかに領地を治め、戦になった時に備えるかを考えていると思う。
史実だと信秀さんが亡くなってから、だいぶ苦労をしてそれを学んだはず。
よく環境が人を育てると言うけど、信長さんもそうなのかもしれない。
「先はまだ長いな」
「現状だと尾張で試すべきことが、まだまだたくさんありますからね」
「山の村も早めに場所と人を選ばねばならんな」
オレと信長さんは、具体的な話が決まってない山の村について話をして、春までには具体的な計画を進められるようにしようということになった。
椎茸栽培に炭焼きや蚕の飼育による絹の生産とか、試すべきことはかなりある。炭焼きに関しても、この時代だと大半はかなり雑な方法で作ってるようで、きちんとした炭焼き窯による炭焼きや森林の管理もやらせてみたい。
問題は任せる人だよね。
