第三百二十二話・お市ちゃんのお出かけ
Side:お市ちゃんの乳母
「かじゅまー、えるー」
姫様は今日も久遠様と大智の方様のことをお探しして、城の中を走り回っておられます。ですがいくらお探ししてもお二方はおられません。
もともとお二方が清洲城にお越しになるのは月に数日くらい。先日まではお役目で度々お越しになられておられましたが、近頃はお役目も落ち着き、清洲城へお越しになることも少なくなりました。
お忙しいお二方ですので仕方ないことと存じますが、姫様は日々お二方をお探しして時には城の大手門近くで待っておられるのはさすがにお可哀想になります。
「ちちうえだー!」
今日も居られぬとご理解されるとしょぼんと落ち込んでしまわれましたが、殿がお姿をお見せになると一転して嬉しそうな表情を見せてくださいました。
「なんだ。また一馬を探しておったのか?」
「あぃ!」
近頃ではすっかり清洲城内で評判となり、守護様のお耳にまで届き、笑っておられたとか。殿も少し困った表情をなされておられます。ご猶子ですし、殿と久遠様のご関係は良好ですが、さすがに姫様のために日を置かずに清洲城に来いとは命じられないのでしょう。久遠様にもお役目がございますし。
ほかの殿のお子様たちも、久遠様がお越しになるのを楽しみにしておられますが、姫様は何分まだ幼く物事の分別がつかないお歳です。
何故、居られぬのかご理解されておられないことが、なんともお可哀想になります。
「たまにはこちらから会いにいくか?」
「かじゅま?」
「うむ。一馬の屋敷に行くか。籠で行ってもそう遠くないからな」
姫様が外出されたのはお宮参りの時だけです。それは特におかしなことではありませんが。まさか、幼い姫様を那古野までお連れするのでしょうか?
「すぐに支度をいたせ。それと一馬に先触れも出しておけ」
「はい、ただいま」
どうやら本当に久遠様のところへと姫様をお連れになるようです。殿ご自身もよく久遠様のところへ行かれておられるので珍しいことではありませんが。
常ならば家臣の屋敷を頻繁に訪問することはございませんが、殿は鷹狩りや遠乗りと称され、久遠様の屋敷に訪問されるのは有名です。お方様が『殿方はいいですね』と、少しご不満を口にされてからはお土産が増えたほどです。お土産を用意する久遠様も大変でございましょうが。
同行する方々が増えました。お方様を筆頭に奥方様方とほかのお子様たちも同行されるようです。
それほど大げさな支度は必要ありません。那古野はご嫡男の三郎様の領地でございますし、久遠様はご猶子です。とはいえ警護の者や私たち乳母や侍女は大変ですが。
ご名目は那古野の学校のご視察だとのことです。あそこは領民ならば身分や男女問わず無償で学べるところです。日ノ本には多くの者が学べる学び舎はあると聞きますが、本当に誰でも学べるところはここ以外にはないと聞きました。
「姫様、それは置いていかれたほうが……」
「や!」
皆さま久々の外出にお喜びのようです。ただ、姫様はどうしても犬のぬいぐるみを持っていかれると聞き分けてくださいません。貴重なものですので、汚したりなくしたらと思うと困るのですが。
さすがにこれは駄目だとお方様が説得してくださいました。
私は姫様と一緒に籠に乗ります。私はそんな身分ではないのですが、姫様おひとりでは退屈されてしまいますので。
ゆっくりと進む籠の窓から姫様は楽しそうに町を眺めておられます。城の外は姫様にとっては見知らぬ処です。珍しいのでしょうね。
あまり興奮されて騒ぎすぎないようにして頂かねばなりません。
Side:久遠一馬
九州から知らせが届いた。裏表問わず宣教師とカトリックの危険性を周知させる活動はそれなりに上手くいっているらしい。
まあ本物がいないので説得力がない部分もあるが、少なくともなにも知らぬままの史実よりはマシだろう。とはいえ戦国大名も宣教師の教えを信じたと言うよりは、南蛮貿易がしたくて布教を許したとも言うしね。ただ、カトリックの危険性を周知させるときに、加賀の一向一揆が役に立つのは何とも言えない皮肉だな。宗教の危険性を現実のものとして体現してくれたからね。
それでも、大友とか肩入れする者は現れるだろう。そしていつの間にか、信じる者は必ず出ると思う。なんというか洗脳みたいに感じる。
ただ、宣教師の来日は史実よりは確実に遅れそうだ。白鯨やクラーケンの影響だ。馬鹿高い建造費が掛かる南蛮船がどんどん沈んだり破損したりしてるんだから、船主なんかは立場上、教会勢力を敬遠するに留めているが、命に直結する船乗りに宣教師はかなり警戒されている。
宣教師の乗る船を優先的に沈めて、宣教師は海に嫌われていると少し噂を流しただけなんだが。効果は抜群らしい。
インド洋と東南アジアも船や宣教師の数は確実に減っている。エルはスペインの破産と没落が早まると言っているが、日ノ本にはあまり影響はない。
疑心からはより深い疑心が生まれる。船乗りの噂は南蛮人から現地人にまで広がり、宣教師の布教活動までが停滞し始めている。
海の恵みで生きている人達から海に嫌われる宣教師の教えに疑念が生まれ始めているためだ。
人の信仰心なんて様々だ。信心深い人もいれば、そう見せかけてそうでない人もいる。この時代の欧州はカトリックの教えに反するだけで罪人となることもある。堂々と逆らう者は庶民にはいないかもしれない。だからみんなが信心深いなんて単純な世の中じゃないからね。
カトリックは史実だと二十世紀後半くらいまでなるとそう悪くないんだけどね。現実と信仰のバランスを取っていたから。ただしカルト集団はいつでも湧くが。
とはいえそれは世界が欧州とアメリカ中心で、所謂白色人種社会に余裕があったからかもしれないと思う。史実より苦しい立場になったカトリックはどうなるんだろうね。
悪いけどウチはどうしても本物の南蛮人と貿易をしたいわけじゃない。欧州は遠いし基本は放置のままでいいだろう。
「殿ーっ!」
「ん? なんかあった?」
「はっ、清洲より早馬がまいりましてございます。これより大殿と土田御前様、お連れのご子息、ご息女の皆様がおいでになるとのことです!」
この日は庭の畑に野菜の種を蒔きながら考え事をしていたが、慌てた様子の資清さんが走ってきた。
何事かと思えば。ウチになにしに来るの? 工業村か学校でも見学に来たのかな? それなら信長さんの那古野城でいいはずだよね。
「わかった。すぐに着替えるよ」
うーん。汚れてもいい服装で農作業をしていたが、さすがにこの服装で信秀さんたちを迎えるわけにいかないよなぁ。いつもは来ない先触れが来たのは、『体裁を整えろ』のサインだろうし。
おっと。その前に畑で走り回って泥んこになったロボとブランカを洗ってやらないと。このまま屋敷に上がられるのはさすがにね?
「かじゅまー! えるー!」
家臣のみんなも慌ただしくお出迎えの支度をしていると、馬や籠に乗った信秀さん一行が到着した。
それはいいんだが、嬉しそうなお市ちゃんが手を振りながら走ってくる。危ないよ。転んだら大変だ。
「あっ!?」
とてとてと走って来たお市ちゃんは出迎えたオレの前で見事に転びそうになるが……。
「危ないですよ。姫様」
そのままオレにダイブする形で飛び込んでくる。本当に危ない。みんなの見てる前で受け止め損ねたらどうするんだ。
「あそぶの!」
うーん。反省してないし、下手すると自分が躓いた事も気づいてないね? 一緒に遊ぶことで頭がいっぱいらしい。
「くーん?」
「クンクン……」
ああ、ロボとブランカも興味津々な様子でお市ちゃんにそんなに近寄ってこないで。泣かれたら大変なことになる。
「だれ?」
ただお市ちゃんは不思議そうにロボとブランカの二匹を見てキョトンとしてる。ああ、犬を見るのも初めてか。
「ウチの家族です。ロボとブランカと言います」
「そっくりだ!」
うん? そうか。ロボとブランカのぬいぐるみとそっくりだと言いたいのか。お市ちゃんは怖がる様子もなくロボに手を伸ばすと、ロボはお前誰だと言いたげにクンクンと匂いを嗅いでる。
とりあえず立ち話もなんだから信秀さんたちに屋敷に上がってもらわないと。
「ろぼ! ぶらんか!」
放っておくとそのまま二匹と追いかけっこでもしそうなんで、お市ちゃんを抱きかかえて屋敷に上がってもらうか。
あれ? みなさんの視線が集まった。もしかして抱き上げるのはまずかった?
「かじゅま、あそぶの!」
ただ信秀さんは特に問題視しないで屋敷に上がってるし、わざわざ聞く必要はないよね。一応妹みたいだし問題ないはず。
お市ちゃんは遊びたくて、うずうずしていて、それどころじゃないらしい。














