第二千百八十八話・信濃滞在中・その五
Side:ジュリア
松尾城から少し離れたところにある病院と学校にアタシは来ている。ケティとすずとチェリーと市姫様たちとね。
堀と塀に囲まれており、尾張ほどでないにしても立派な建物がある。戦時の籠城はあまり想定されていないが、近くには天竜川があることもあり、災害時の避難所としての役割はある。
ヒルザは代官としての役目もあり、病院は主に織田家の医師免状がある者が診ている。ヒルザ自身が診るのは重病人に限っているようだけど、意外に上手くいっているのは病院の雰囲気で分かるね。
松尾城下と近隣一帯を合わせると、二万を超える人口がいる。半分以上、織田家の関係者になるけどね。その分、病人が出ることもあって信濃では一番の医療体制が整っている。
まあ、アタシは病院のほうはあまり分からないんだけどね。ケティは院内を見て回り、いくつか質問したりしている。
「どうだい?」
「うん、みんなよくやっている」
ケティの満足げな顔に、案内役の信濃医療奉行殿が安堵したのが分かる。
織田家の医師たち。いつからか、織田家医衆と呼ばれている。日ノ本で最高峰の医療集団だ。北条、北畠、六角と友好関係のあるところに派遣することもあり、織田領以外でも名が知られているほど。
医師と看護師で免状持ちは、すべて織田家家臣になる。ケティの名が売れて以降、あの手この手でウチと織田の医師を求める者は後を絶たない。中には脅迫や身分を笠に着て……なんてのもあるのさ。
その対策の一環ですべて家臣として召し抱えている。それが一番手を出せないからね。
余談だが、職人衆、忍び衆、医師衆、商人衆など、織田家家臣の業種はいろいろとある。医衆筆頭は医療奉行でもあるケティで、看護衆筆頭はお清だ。
お清もね。最初会った頃は、そこらの娘と変わらなかったのに……。今だと評定衆待遇になっているほど。エルとメルティの補佐をしている千代女ともども、アタシたちに見劣りしない働きをしているんだよねぇ。
「うわぁ……」
そのまま学校のほうを視察すると、校庭で遊ぶ子供たちに市姫様が喜ぶ様子で声を上げた。
「みんな楽しそうでござるな。感心感心」
「『よく学びよく遊べ』なのです!」
すずとチェリーの言う通り、織田学校の基本方針のひとつには遊ぶこともある。それは司令が強く望んで加えた理念のひとつなんだよね。
司令とアタシたちを見ているせいか、追いつき追い越せとがむしゃらになる者が尾張にはそれなりにいる。ただ、司令は子供たちには子供らしい時間をという考えを持っている。
一気に世の中を変えることを望まない。今の人たちで出来る範囲で変えつつ、次の世代もまた変えていけるようにと望んでいる。
ほんと、松尾城近辺は信濃にあって信濃じゃない。そう聞いた通りだね。まるで尾張にいるようだよ。
Side:ケティ
楽しげな子供たちを見ていると、感慨深いものがある。
領国、地域を越えて同じことをする難しさ。それはここ数年の私たちにとって大きな課題だった。
そういう意味では、信濃と奥羽はテストケースでもある。ここの統治を参考に近隣では飛騨、甲斐、駿河、遠江などで生かされている。
そもそも、ウルザとヒルザは指揮官タイプではない。そんなふたりが、この時代にて学び成長をして信濃という難しい地を変えた。私たちもまた成長して変わっている。信濃に来て以降、そんなことを思うようになった。
「へぇ、結構大がかりだね」
学校内の施設を見学しているとジュリアが驚いた。
「はっ、近隣の牧場は少し遠いため、ここでは学校内に学びのための牧場を作ってございます」
学校内に家畜小屋とため池があるからだ。家畜小屋では馬・牛・イノブタ・ヤギ・ロバ・鶏などを育てており、ため池では鯉の養殖をしている。
信濃織田学校という名称で親しまれているここは、正しくは尾張の学校の下部組織になるものの、運営は独立している。指導内容は現地に即した学校ということで、農業と畜産業の人材育成を重視したと聞いている。
病院と学校は領国にひとつ拠点となるものを造ることを目指しているが、人材確保とノウハウの有無などから実現出来ているのは今のところ信濃だけになる。
美濃・三河・伊勢に関しては、尾張の病院と学校の傘下として診療所や分校が存在はするものの、信濃の病院と学校のように独立した形での運営はしていない。
奥羽以外の他の領国には分校や診療所があり、医師と看護師の巡回による診察を定期的に行っている。この時代では露天市でさえ月に数日しかなく、医師の診察も月に数回あれば感謝されるのが実情だ。
信濃は優遇されている。同時期に臣従した甲斐、駿河、遠江と比較すると。
無論、それらの地域で最初に臣従したという理由があればこそ、優遇して試していると言えるが。
「皆、よくやっているよ。こういうのは難しいからね」
ジュリアの言う通りだ。
ウルザとヒルザが統治もしていることで、学校と病院の管理者は織田家家臣になる。ふたりの監督があるとはいえ、尾張とほぼ変わらぬレベルで両施設が上手くいっているのは現地の者たちの努力の賜物だろう。
寺社に頼らずここまで形にするには、いかほどの苦労があっただろうか。
「畏れ多いことでございます。鶏などは扱いが楽で餌もそこらの草でいい故、信濃でも一気に増えております」
信濃の課題は、山国ということで動物性たんぱく質が限られること。野生のイノシシなど狩猟はしているものの、松尾城近辺ほど人口が増えるとそれだけだと足りない。
一般の領民も、村や家庭で鶏を飼うなどして鶏肉や卵を食べているらしい。
尾張もそうだけど、肉食を避ける文化はこの世界では主流にならないだろう。誰かが言い出しても、主にセルフィーユが反対することで間違いなくそうならない。
もっとも、この時代は史実の江戸時代ほど肉食を避けることはないが。このまま食文化は尾張主導で独自に発展させるべきかもしれない。
史実が悪いとは誰も思わないが、そんな余裕はないということだ。
すでに領地の内外で作物の不作傾向だという報告が上がっている。この時代の農業は天候不順に弱い。
信濃は、飢えずに乗り越えられるだろうか?














