第二千百八十六話・信濃滞在中・その三
Side:斯波義信
「従う者故、難しいな」
一馬らは常に、愚か者であっても生きる場を残すことを重んじる。それが時には面倒も起こす。此度のように。
わしは、残る寺社の使者をまとめて広間に呼ぶように命じて、しばし待つことにする。
使者らに話す内容を尾張介と一馬らと考えておると、イザベラが数人の信濃衆を連れて来た。小笠原民部大輔、諏訪竺渓斎、木曽中務大輔、村上左近衛少将か。当主でない者もおるが、信濃四将が揃うて参るとは穏やかではないの。
「この者らが、若武衛様の代わりに寺社の使者らにひとりひとり謁見はしないことを申し渡すと言ってございます。いかが致しましょう?」
そうくるか。一馬とエルを見ると少し苦笑いを浮かべているのが分かる。
「あまり大事にしとうないのじゃが?」
一馬ほど愚か者を救いたいなどと思わぬが、一馬が進める道を潰したくはないのじゃが。
「若武衛様、我らの失態は我らで始末しとうございます。決して騒ぎには致しませぬ」
淡々と語る民部大輔に他の者も同意しておるのが分かる。尾張介と一馬らを見るも異論はないか。
「よかろう。そなたたちに任せる」
「ははっ!」
機会を与えることは悪うあるまい。いかになったとしてもな。一馬らは、やらせてみせることを好む。必ずしも上手くいかぬと察しておってもな。
四将が下がるとイザベラが頭を下げた。
「まことに申し訳ございません」
「よい、仔細は聞いておる。かようなこともあろう」
イザベラは我らの信濃訪問を家中の外に漏らすなと命じた。また過剰な挨拶も無用故、寺社の使者は呼ばぬとも決めた。ところがだ、信濃衆は信濃の外には漏らさなんだが、親しい寺社には漏らしてしもうた。
なんということはない。信濃衆とその配下にとって、親しい寺社は身内なのじゃ。留守にする故、後を頼むという者もおれば、慶事故、祝いの者を出してはと助言した者もおるとか。
イザベラが寺社に対して名指しで来るなと命じると、寺社の立場がないと配慮したことが仇となった。
知ってしまったからには挨拶に出向いて当然、挨拶に出向く者と出向かぬ者では、後者が不興を買うことが多い。それも事実じゃ。
真相は分からぬがの。そういう体裁で多くの寺社が使者を出した。そこには他が使者を出せば出し抜かれるという恐れや、褒美でもあるかという打算があろうが。
そもそも土地と民を見て政をするなど、他ではやっておらぬからの。かの者からすると顔と、名を売って利を得ようとしか考えずともおかしゅうない。
悪意なき敵となりうるか。
「戻り次第、なにかしらの策を検討致しまする。これでは戦になった際に懸念となる故」
「寺社は身内ではないからの。津島や熱田など僅かな者を除けば、外に内情を漏らして当然か」
尾張介はこの件を懸念と受け取ったか。やはり乱世の陰に寺社ありということであろうな。困ったものよ。
Side:村上義清
此度のこと、戦でなくて良かったと安堵したわ。戦の際に寺社に漏れ、それが敵方に漏れたなどとなれば、我らも腹を切らねばならぬかもしれなんだかもしれぬ。
「寺社か。竺渓斎殿の前で言うべきではないかもしれぬが……、厄介だな」
民部大輔殿がそこまで口にして、ため息を漏らした。
「武士が寺社より信を集め、世の安寧をもたらそうとしておる。にもかかわらず、寺社がその妨げとなるならば、滅ぶべきならぬのかもしれぬ。少なくともわしは、その覚悟があるつもりだ」
諏訪家の者がここまで言うとは。
されど、もっともなことだ。寺社とはいかにあるべきか。仁科三社や神宮の動きで、祈り世の安寧のためにあるべき寺社が、堕落して己の利を求めるようになった今の世において、寺社はいかにするべきか。問われ始めた。
「そう思い詰めずともよかろう。それに此度来ておるのは、左様な覚悟もない者ばかりであろう?」
その覚悟に民部大輔殿が閉口すると、木曽中務大輔殿が場を緩めるように声を掛けた。
「であるな。諏訪神社と仁科三社が失態を演じたことで、斯波と織田に取り入ろうとした者はおろうが。一々、罰を与えるわけにもいくまい」
古くは頼朝公が庇護を与えた善光寺もある。若武衛様と若殿と内匠頭殿が遇すると一気に寺社の立場が上がると考えた者はおるはずだ。
まさか不興を買うとは思うてもおるまい。
ともあれ、寺社の者らには確と言うておかねばならぬ。
Side:木曽義康
居並ぶ寺社の使者らは、我ら四人が姿を見せて名を告げると驚き頭を下げた。
信濃四将などと言われることもあるが、公の場で席を共にすることはまずない。もっと早う力を合わせておれば……。
そこまで考えたところで使者らが頭を上げた。
「皆が、馳せ参じたこと、若武衛様も織田の若殿もお喜びであられる。されど、此度は代官殿の懐妊を祝い、顔を見に来られただけなのだ」
互いに顔を見合わせ、事前に話した通り民部大輔殿が口を開いた。数人の愚か者は理解出来ぬという顔をしておるが、すでに話す様子から察した者もおるように見える。
「若武衛様、織田の若殿、内匠頭殿には、苦難が多い信濃の地を直に検分していただきたいのだ。そのため、我ら信濃衆も挨拶は皆でまとめて済ませた。遠路はるばる参った者には申し訳ないが、寺社からの使者もまとめて謁見することにしたい。理解してくれ」
そこまで話すと、民部大輔殿と我らは僅かに頭を下げた。
戸惑う声がする。打算や欲を出した者もおるようだが、これほど集まりしわけは恐れであろう。仁科三社が代官殿の不興を買い、それが神宮や熊野を巻き込んだ大騒動になった。
斯波の御屋形様と織田の大殿は神宮と熊野と事を構えることになっても、代官殿の面目を守ると示したとさえ言われる。それにより神宮と熊野は要らぬと突き放された。
この者らは、挨拶に来ぬことでなにをされるか分からぬと恐れたのだ。
「一切、承知致しました」
ひとりの使者が頭を下げると、残りの者も続いた。幾人かは不満げだがな。この場で騒ぐほどの度胸も覚悟もないと見える。
すべては信濃のため。信濃四将などと勝手ばかりした我らの愚かさが、この国を乱しておったのだからな。
これ以上、恥の上塗りだけは避けねばならぬ。
神宮のように天下に傲慢さと恥を晒すのだけは御免被る。














