第二千百八十五話・信濃滞在中・その二
Side:諏訪満隣
若武衛様らが来られたことで松尾城は大忙しだ。そんな中、寺社奉行配下として勤めるわしは、とある報告を持ってお方様の下に参上した。
「竺渓斎殿、ご使者殿たちはいかがかしら?」
「はっ、多くは大人しゅう待っておりまするが、待たされておることに不満を持つ者もおりまする」
イザベラ殿に問われて、あるがまま報告をすると、居並ぶ文官衆や武官衆らがなんとも言えぬ顔をした。
信濃中から集まった寺社の使者。それの応対に時を使うことに不満が出ておるのだ。
「信濃者は口が軽いな。何故、内々に来たことを漏らした? 内匠頭殿が夜殿と共に子が出来た喜びを分かち合うのを邪魔する気か? それとも信濃の地を見聞される時を減らしても寺社の者と会えというのか? わざわざ来られたというのに、この地を見聞されずして、いかがする?」
黙るイザベラ殿とヒルザ殿の代わりに、警備奉行である佐々殿が叱責すると信濃衆の多くが申し訳ないと謝罪した。
実のところ、此度は寺社に使者を求めておらぬ。若武衛様らを歓迎するために信濃衆を集めた際に、信濃衆から旧知の寺社へと漏れたことで慌てて挨拶の使者を寄越した。
邪魔者扱いするわけではないが、若武衛様らは夜殿の懐妊を喜んで顔を見に来ただけなのだ。寺社と話すために来られたのではない。
「今回は不問とするわ。ただし、これが戦だったらどうなったのかしら? さらに若武衛様と若殿の所在が軽々しく漏れて、帰路で襲われたらどうなるか分かるでしょう? 所領がなくなり戦や小競り合いが減ったことで少し気が緩んでいるわよ。気を付けなさい」
悪気もなく悪意もない。故に罰は与えぬか。
されど、イザベラ殿は明らかに不満げだ。尾張者は寺社というだけで信じておらぬからな。若武衛様らの動きが漏れたことで警備奉行と武官に属する者らが慌てておったほどだ。
「皆で歓迎するのも悪くないのよね。ただ、私たちは若武衛様や若殿には少しでも信濃を見ていただきたかったの。申し訳ないけど、寺社の使者殿と会うなら尾張でも構わないでしょ?」
ヒルザ様が此度の一件への思いを語られると、ただただ申し訳ないとしか言えなくなる。
信濃は山深いうえ、北信濃に向かう街道も整っておらぬ。さらにあの地にはまだ不満を持つ者もおろう。それ故、此度は行けぬが、少しでも信濃の地を見ていただこうと皆で支度をしておったというのに……。
お方様がたは、まことに信濃という国の明日を考えておられた。
にもかかわらず、多くの信濃者は旧知の寺社の面目しか考えておらなんだ。その事実がなにより重い。
「あと諏訪とか善光寺など使者が来ていないところには、私たちから弁明と謝罪の書状を書いておくわ。せっかく遠慮してくれたのに、申し訳ないと」
この件で厄介なのはお方様のお考えを理解していた者らは、旧知の寺社に使者を出すのを止めたのだ。中には松尾城下まで来てから帰したところもある。
結局、図々しく謁見を望んだところのみ会うことになるか。会うたところで心証は悪うなるというのに。
わしも諏訪は止められたが、末社のほうは止められなんだ故、同罪だがな。会うて当然、会わねばならぬと譲らぬ者が大勢いた。
所詮、わしは諏訪神社の者ではないからな。
使者を出して馳せ参じれば、厚遇されぬ現状が変わると思うておった者があまりに多い。
この件はなんとかせねばならぬ。
Side:久遠一馬
イザベラとヒルザから報告受けているが……。
争いが消えてうまくいきつつある信濃。それは喜ばしいが、新しい問題もある。それもまた人の世の性だろうか。
せっかく信濃まで来たのに、寺社の応対に時間が掛かり過ぎなんだ。信長さんや義信君たちには、もっといろいろと現地を見てたくさんの人とふれあってほしいのに。
挨拶の使者を断ると角が立つからと、ふたりは挨拶を受けているけどさ。
「次からは寺社に使者を出すなと事前に言わないと駄目か」
寺社も新しい体制の下で問題なくやっているところはあるが、明確に規制しておかないと予期せぬ形で困らせることも多い。
特権はだいぶ削いでいるが、寺社が領内にある独立組織であることに変わりはないんだ。それ自体は構わないけど、厚遇していかないとやっぱり不満なんだよね。寺社って。
言い方を変えると使者を出せば喜ぶと思っている。そういう意味では彼らの視点では善意からの行動だ。
「細かいところは一緒に挨拶を済ませる形にしようか? オレが同席して説明するよ」
誰かがはっきり言う必要があるなら、オレがやろう。恨まれてもいい。
「イザベラ、ヒルザ。構わないよね?」
「私たちは構わないけど……」
イザベラはそのまま承諾したが、ヒルザは若干悩んだうえでの承諾だった。
このまま三日も四日も寺社の挨拶で時間を使いたくない。あとは信長さんと義信君の許可を取らないと。
義信君と信長さんと話し合うが、ふたりは迷うようだ。この手の挨拶、受けることが当然だからなぁ。
ふたりはオレがウルザたちと一緒にいる時間に会えばいいと考えてくれていたが、オレとしてはもっとリアルな信濃を見てほしい。
「なにもそなたが言うことはあるまい。わしが言おう。信濃を見聞したい故、個々の挨拶は遠慮してくれとな」
「若武衛様……、されど、こういうことは下の者の役目ですよ」
しばし考え込んでいた義信君の言葉に驚かされる。上に立つ者が嫌われ役になるのは望ましくないんだけど。
「ウルザらを軽んじた神宮と熊野の使者の件もある。そなたが出ると騒ぎとなろう。なにも絶縁するのではない。時がない故、遠慮しろと言うだけ。構うまい」
それも一理あるけど……。初めから寺社も呼ぶべきだったかなぁ。
寺社奉行を置いて交渉窓口もある。にもかかわらず、偉い人に取り入ろうとする。その行動が織田家で議論を呼んでいる。彼らが挨拶に来なくていいような形にするということも、今回、個人的な訪問とした理由のひとつだ。
挨拶に来られても彼らに与えるものなんてないし、厚遇することも出来ない。ほんと、相手をするだけ負担が増えているのが現状だからさ。
現状では各地の末端で医療や学問を教えるために働くなら、まだ寺社の関係者に対する需要は大きいが、半端に権威があって相応の地位じゃないと働けないような坊主はあまり使い道がない。
有能な人物もそれなりにいるが、そういう人に限って勝手なことをする。言われたことをするだけの仕事を好まないんだよね。誇り高いから。
そのうえ、正式な織田家家臣じゃないので同僚となる武士が遠慮するし、処分する時に所属する寺社の面子やらなにやらと面倒になる。
宗教の厄介さは元の世界の比じゃないね。
同じなのは悪気がないことだ。宗教とそれを信じる人は。
さて、どうするか。














