第二千百八十二話・信濃への旅・その四
Side:蒲生定秀
そろそろ所領と免判等を整理する頃合いであった。
目賀田がいち早く所領を差し出したことで、得られた利は大きい。曙殿らの世話役を仰せつかったのだ。
他ならばいざ知らず久遠の世話役となれば、何気ない話から得られる知恵も多い。あやつだけに知恵を学ばれれば困るというのが本音であろうか。
まずは八風街道を献上し六角家の下でひとつにせねばならぬ。
「父上、では某が山狩りに?」
「うむ、心して掛かれ」
山狩りは蒲生領でも行われる。当然、倅と家臣らも出す。
三国同盟を結んで以降、戦は減り続けておるからな。かような時に兵を出しておかねば、争いが減り過ぎて戦下手になっては困るからの。
織田では武官として戦に専念する武士を集めておるが、六角家や当家ではそこまでする余力はまだない。
保内商人らも散々悩み、叡山とも話したらしいが、久遠が相手では争うより合わせるほうが利になる。かつてのように思うままにはならぬであろうが、潰すわけでも食い扶持を奪うわけでもないからな。
「藤太郎、済まぬな。家督を譲ったというのに、そなたには所領を手放す役目をさせてしまう」
昨年、わしは倅に家督を譲った。出家もするつもりであったが、忙しさからそちらは出来ておらぬが。
家督を譲ったのは、わしの齢も齢であるが、所領を手放すために隠居したのだ。一族や年寄りらには所領を手放すことに異を唱える者も多い。かの者らを納得させるために、わしは自ら家督と所領を倅に譲った。
「承知しております。時世の流れは致し方ないかと。久遠には勝てませぬ。その知恵も武勇もひとりやふたりなれば、また違ったのでございましょうが……」
確かにの。古くから名を残した武士はそれなりにおる。智謀なり武勇なり。とはいえ、己の一代限りとなり後が続かぬ者も多かった。
だが、久遠は同じようになるまい。内匠頭殿は替わる者おらぬ男なれど、多くの奥方衆と家臣がおる。あれが次代以降も続くと考えると大きく仕損じることはあるまい。
「内匠頭殿は理解しておるからの。人というものを」
己の意思を継ぐ者を数多く育てる。尾張に来た頃から内匠頭殿がしておることだ。親子兄弟で争い戦をしておる日ノ本とまるで違う。
言い換えると、今のままでは乱世は終わらぬと諦めたのであろう。あの御仁は。
内匠頭殿が諦めたやり方で世を安寧に導く。かような者がおればまた変わるが、わしが知るところ左様な者などおらぬ。
ならば、従うしかないからな。
それが正しいのかすら、分からぬが。
Side:久遠一馬
オレたちがいる松尾城、信濃の南側なんだよね。美濃や三河に近い。もともと小笠原信定さんの居城であり、長時さんと信定さんが臣従した時に一番安全だったところでもある。
長時さんの元居所である林城に移る話も一時期あったと聞くが、正直なところ安全の担保が難しく移るメリットもそこまでないので松尾城を信濃の拠点として使っている。
盆地で近くには天竜川があり、近隣一帯は織田の統治になって以降、人口が激増して町が出来るなどして今に至る。
まあ、文官、武官、警備兵など、それなりの役人が滞在しており、信濃武官大将直轄となる黒鍬隊も三千ほどは常に松尾城と近隣にいて、賦役にて暮らしている。その家族や奉公人など合わせると、相応の人がこの地で暮らしているわけで。
この時代とすると、結構な人口を抱えている。
「ここらは尾張とあんまり変わらないね、大変でしょ?」
特に信濃以外の出身者が集まるのが、松尾城と近隣になる。町に出たいと頼むと案内役として同行している信定さんはオレの問い掛けに少し苦笑いを見せた。
久遠諸島にも同行したしね。割と話せる人だし、ついつい本音を言ってしまう。
小笠原家、どういうわけかウチと縁がある。長時さんは礼法指南でオレたちの価値観から外れないようにしつつ、最低限の礼法を形にしているし。信定さんはウルザたちのもとで働いている。
もう一つ上げるとすると、久遠諸島って史実の小笠原諸島だからなぁ。小笠原一族が史実で発見していたと言われるところだし。
「苦労がないとは申しませんが、半端になるよりはよいと心得てございます」
確かに。南信濃一帯は完全に織田の領地という様相になっている。なんというか、信定さんが独自色とか自分の名を出そうとあまりしないで裏方に徹していた結果だろう。
どうしても旧領の統治には、自分の名と功績を押し出したいっていうのが人だからね。織田に従って領地は手放したけど、旧領の民へは、こんなによくなったぞと自分の成果を示して、影響力を残したいのが普通なんだ。
それがいい方向に向かうと、切磋琢磨して変わっていく。悪い方向に向かうと、織田よりも元領主様のおかげだとなってしまう。無論、そうならないように行き過ぎた場合は指導警告もしているし、代官の移動をすることになるが。
「ジャーン! 信濃名物、蕎麦餅なのです!」
「美味しいのでござる!」
「一馬殿もいかがですか?」
屋台を覗いていたチェリーとすずとお市ちゃんが、珍しいものを持ってきた。蕎麦餅として路上で売っている品らしい。
オレとエルたちの分も買ってくれたので食べてみよう。
ほほう、かぶりつくと、餅というわりにふんわりとした歯ごたえと味噌タレの味がいいなぁ。口の中に広がる味噌とそばの味が凄い。繋ぎに小麦粉かなんか使っているみたいだね。
そばがき、あれに少し手を加えて美味しくしたものと言えば分かりやすいか。
「うん、美味しいなぁ」
信濃は蕎麦の産地なんだよね。気候風土から蕎麦がいいのは元の世界と同じだし。織田で治めるようになってからは無理に米を作らないで蕎麦に転換したところも多くある。
「醤油味もありましたよ」
お市ちゃんの言葉にエルが驚いている。醬油、今も安くないんだよね。領内はなるべく価格を抑えているが、塩などの戦略物資と違い、赤字にまではしていない。
ただ、信濃でもウルザたちが味噌と醤油造りをさせているはずだから、そこの品が流通しているんだと思うけど。
「尾張といえば、切り蕎麦もすでにこの地でございまする。八屋で習った者がお方様の許しを得て広めておりますので」
信定さんの言葉に少しうれしくなる。八屋の八五郎さんもこのことを教えると喜ぶだろうなぁ。八五郎さんが最初の頃に覚えたのが蕎麦とうどんなんだ。
地域によって違うが、南信濃一帯だと稗や蕎麦が割と安くて領民の主食らしい。ただ、それも雑炊にするのではなく、少し料理するなど変化はあるみたい。
こういう変化がみられるのがほんと嬉しい。














