第二千百八十一話・信濃への旅・その三
Side:六角義賢
保内商人らが八風街道と千種街道から手を引いた。遅いくらいだが、それも致し方ない。奴らにも意地はあろう。
近江にて八風街道と千種街道がある所領を持つ蒲生らも事前に根回しがあったこともあり、こちらも素直に受け入れた。
街道をいかにするか。考える間もなく、織田から両街道の今後について話がしたいと書状が届いた故、評定の席に曙殿たちに同席を願った。
「曙殿、織田は東山道や東海道のようにするおつもりか?」
「そうね。ただ、東海道ほど整えるのは難しいと思うわ」
織田の動きは早い。早すぎる。伊勢国内の街道は織田で整えるとして、近江国内はこちらで整えねばならぬが、配慮を受けねば同じことが出来ぬ。なんとも情けないが、それが力の差だ。
「まず山狩りです。あの辺りにはかつてあった北伊勢一揆の生き残りや、畿内からの流れ者が賊となっておりますわ」
「費用の概算出したけど……」
夜月殿からは山狩りに関する兵の数と日数、必要な兵糧などが、夕暮れ殿からは街道を整える費用が示された。
蒲生らは……、渋い顔をしておるの。蒲生はともかく他の者は同じだけの兵と銭は出せまいな。
「御屋形様、某の領内にある八風街道の利をすべて御屋形様に献上致しまする」
さて、いかがするかと思案しておると、蒲生下野守が動いた。
目賀田に先を越されたが、所領と関所などは変えてゆこうと話しておる最中だからな。蒲生らにだけ助けを出して維持するのは難しいところなれど……。
是非もない。下野守の目がそう語っておるわ。曙殿たちを前に醜い争いをしては面目に関わる。そう言うておるな。
「では、某も献上致しまする」
千種街道が所領を通る者も続いた。おそらく下野守が事前に根回ししておったな。
「相分かった。皆の忠義、忘れぬぞ。では、この件は六角として動くこととする」
献上した分はあとで俸禄とするか。
「費用、安くないけど、通行税は入る。東海道と同じく競わせて多く銭を出した者が先に通れる形でいいと思うわ。街道の費用もすぐに用意しなくていい。織田銀行もあるしね。詳しくは清洲と話してもらう必要があるけど」
曙殿の言葉に蒲生と宿老らは苦笑いを見せておるわ。
織田に作物を売る約束で銭を借りた農園や武芸大会への寄進など、家中の者すら正しく理解しておらぬほど織田との銭のやり取りは難解だ。
書面の上では対等になり貸し借りが大きくないというのに、内実は織田からの助けが莫大になる。久遠家が来るまで銭を握っておった坊主がいかに強いか。身を以て教えられた。
もっとも、その寺社ですら久遠には勝てぬと引いておる故に、それ以上なのかもしれぬがな。
なにはともあれ、山狩りの支度をするか。尾張の治世はなにより賊を嫌う。
Side:久遠一馬
松尾城に無事到着してウルザたちと再会した。
到着早々、まずはウルザの顔を見てはどうかと、小笠原信定さんが気遣いしてくれたんだ。オレたちとお市ちゃん、義信君と信長さんなどでウルザのいる館に来ている。
妊娠中のウルザは元気そうだ。ウルザに関しては尾張に戻って子供を産んではという意見もあるが、当人が信濃で産みたいと言っているんだよね。
オレも本音では戻ってほしいんだけど、本人は残る気でいる。通信機で何度か話した限りでは。
「住んでみると悪くないわよ。生の海産物は恋しくなるけどね」
各地を転々としていたウルザたちだが、信濃は滞在が長くなった。まして正式に代官となり土地の者たちと一緒に働いて、この地に愛着も生まれたみたい。
「安産祈願の護符をお持ちしました!」
「あら、ありがとうございます」
ニコニコとしたウルザに、お市ちゃんは尾張から持参した大量の安産祈願のお札を手渡した。義統さんや信秀さん以下、土田御前とお市ちゃんたちなどが自ら出向いて祈祷してもらったものになる。
ウルザに渡すんだとお市ちゃん張り切っていたからなぁ。
「そなたたち、信濃をよくぞここまで上手く従えたな」
和やかな雰囲気の中、この場にはオレたちと義信君と信長さんたちしかいないこともあり、信長さんは旅をした感想をウルザに明かした。
近頃は役目や立場もあって、公の場でそこまで素直に感情を出すことはなくなったんだけどね。親しい人だけだと本来の信長さんのままだ。
こういう公私の区別は、主にエルたちが教えたことなんだよね。この時代だと主君はそこまで気を使わないことが普通にある。
「ああ、それはわしもそう思うた。報告とは違うと教えられた」
あれ、義信君も同じ意見か。
確かに信濃は驚くほど状況がいい。とはいえ、街道沿いでさえ少しよく見ると山や原野が広がり、地域の貧しさや苦しさが見えるんだ。それもあって、ふたりは驚いたのだろうね。
「いえ、少しばかり時を懸けて治めただけでございます」
ウルザも苦笑いしている。実はウルザの代官、数か月くらいで短期のつもりだったんだよね。思った以上に厄介だったことから、義統さんと信秀さんに頼まれてウルザに当面任せることにしたことで現在に至る。
正直、代わりになる人がいなかった。有能な人はどこも移せないし、土地勘がなくいきなり新天地を治めるのは難しいんだ。
「イザベラも苦労が多かろうが頼んだぞ」
「畏まりましてございます。そういえば、つい先日入った面白き話もございます。仁科三社もウルザの安産祈願を必死にしておるとか。ここでなにかあると、仁科三社が責を負わされるのではと疑心暗鬼になっております」
ウルザとヒルザの苦労を理解してくれた信長さんは代理を務めるイザベラに労いの言葉を掛けるが、そんなイザベラから最新情報が報告されると、オレも驚かされる。
「恐れるくらいならば仁科と上手くやっておればいいものを……」
信長さんは呆れた様子で愚痴りつつこちらを見るけど、オレたちに頼られても困るんだよね。仁科家とまず話をしてくださいとしか言いようがない。
まあ、仁科はいいか。今日はゆっくり休んで、明日は信濃衆との宴と面会がある。山国で移動も大変なのであまりあちこち回れないけど、近隣を少し見て回るくらいはするつもりだ。
今回はほんとウルザの顔を見に来たというのが表向きだからね。














