第二千百七十八話・先を見て過去を思う
Side:久遠一馬
また、視察に出掛けたいとエルと相談して調整しているが、今日は武官と黒鍬隊、いわゆる賦役専門の領民による訓練を視察に来ている。
織田家であっても、残念ながら完全な職業軍人だけによる軍は出来ていない。
将兵の規模と武具などの調達と維持、とにかく軍というのはお金がかかる。今の情勢でどんどん職業軍人である武官を増やし続けると、太平の世が来た後に困ることになる。基本として親の職業を継ぐことが第一な時代だからね。
黒鍬隊、これは屯田兵とも予備役ともいえる存在で、定期訓練をする際に報酬を払うことで一定の練度を維持した部隊だ。
尾張と近隣の領国では、もう何年も戦どころか小競り合い自体がなくなった。十代の子は戦も小競り合いも経験がない子がいるんだ。まあ、石合戦とかするし、争わないというわけではないが。
ただまあ、常に小競り合いや戦がある他国と争いとなった時に困らない程度に訓練された兵が要る。
目の前では武装した将兵が、陣地構築と迅速な布陣のための移動訓練を行っていた。
「みんな頑張っているね」
一定の練度を維持していることに安堵する。武器防具、火力。他の勢力より頭一つ抜けているものの、結局は使う人次第だ。
平和になり過ぎて兵たちの質が落ちている部分があると報告もあり、いろいろ悩んだんだけどね。
「敵が見えているからね。みんな必死さ。それに……兵部殿が思った以上だったよ」
教導奉行として指導に当たっているジュリアが説明をしてくれるが、敵という言葉に周囲の人の表情が少し険しくなる。
朝廷や寺社への懸念は年々増している。幸いなのは三好家が味方として動いていることか。昨年末に滞在していた十河さんと交流を深めたことで、織田家中では三好が準同盟の味方であると理解する者が増えた。
長慶さんもこれ幸いにと屋敷を維持したりして、こちらと歩調を合わせる形を取ったしね。あと、主である細川氏綱さん。彼も立場的には三国同盟側だ。
仙洞御所での茶会以降、態度が変わった。もともと長慶さんが相伴衆として京の都の管理や仙洞御所造営などしていたが、氏綱さんが京の都の統治に協力し始めた。
それまでは敵対も味方もしていなかったんだけどね。
三管領の残りひとつ、畠山家は史実同様、三好と協調しており、武士に関しては細川晴元以外、明確な反三国同盟はいないといってもいい。
まあ、畠山とか寺社はこちらが不利となったら態度を変えるだろうが。
「年配の方が多いのもそのためか」
「敵を知らずばってやつさ」
兵部、飯富さんだけじゃない。争いがなくなったことと、政治が安定したことで隠居していた人たちをジュリアは引っ張り出している。
あちこちから集めた指導役を小隊クラスまで置いているためか、時折、怒声が聞こえてくるほどだ。
遠距離主体で火力重視の軍事ドクトリンだけど、元の世界の戦史を見ても、遠距離だけで勝っていけるとは思えないからなぁ。
六角と北畠は変われる目途が立ちつつある。ただ、それが朗報なのは尾張にとってであり、他の勢力には恐怖と焦りを与えるだろう。
戦はいつ起きても不思議じゃない。備えるしかないよね。奪われないためには。
備えに関しては、この時代の軍事拠点であり統治の中心でもある城があるけど、統廃合をして減らしているものの、残すところはむしろ防備を整えているところが多い。
領境や海路沿いの町なんかは特に。近場だと中伊勢の安濃津でも、城を求める要望が上がっていた。あのあたり海沿いしか織田領ではなく、あとは北畠領なこともあって、万が一を考えたら不安らしい。
近くにある無量寿院も世間の信頼度で言えばそこまで高くないし。
安濃津の場合、町割りなどの変更に際して城の整備もすることになり、現在賦役として再開発中だ。警戒相手は主に海だけどね。
Side:飯富虎昌
先代様の甲斐入り。その差配をわしがするとはな。
これも定めか。
御屋形様の許しを経て、かつて共に追放した家の者らに文を出した。すでに亡き者も多いが、左様なところには跡目を継いだ者に先代様の帰郷の知らせを出した。
いかな理由があろうと主の追放をしたのだ。揃って謝罪せねばならぬ。
先代様とて口だけの謝罪などお喜びになられぬが、謝罪したという形がなくば、いずれ因縁となり武田家の禍根となる。
あの恐ろしかった先代様が、あそこまで穏やかになられ我らに歩み寄られたのだ。こちらも相応の態度で応えねばならぬ。
「祖父上の帰郷か……」
若殿は今も、武田家の積み重ねた業にいかんともいえぬ思いを抱えておられるようだ。わしが隠居したあと、残った者どもが御屋形様を追放しようと画策したからであろうな。
「すべては武田家のためでございまする。先代様や某が生きておる間に始末を付けねば、いずれ争いとなりましょう」
織田家において慈悲があり許しを与えておるのは大殿と内匠頭殿だとか。斯波の御屋形様は内々で争う者を嫌うと聞いた。
今はいい。新参者が次々と降る今ならば、少々の騒ぎでも目立たぬ故、許されよう。されど、東国を束ねるほどになり皆が争わぬ頃に騒ぎでも起こせばいかになるのか。
武田家であっても潰されるやもしれぬ。
「父上が織田に降っておらねばいかになったのであろうな?」
若殿の問いに、わしは答えることが出来なんだ。
御屋形様と若殿の間で争うことも無きにしもあらず。積み重ねた因縁は上手くいくうちはいいが、いずれ報いとなるかもしれぬ。
無論、その前に世が落ち着けば、相応に収まることも十分にあるが。
「某には分かりませぬ。されど、乱世を終わらせる機は今以上にあることはございますまい。少なくとも某や先代様が生きておる間には……」
頼朝公や尊氏公のように世をまとめるのか。織田のように変えることで平らげていくのか。いずれがいいのか、こればかりは分からぬ。
ただ一つ言えることは、先代様は生あるうちに己の始末を終えようとお考えになられた。ならば、それを成すのが元臣下としての務め。
わしは愚かな身なれど、世のために動く者たちの足手まといにだけはなりたくない。先代様と共に己の始末は終えねばならぬ。














