第二千百七十四話・流れと今
Side:久遠一馬
今日は朝から雨が降っている。
子供たちもロボ一家も外に出られなくて残念そうだ。
そんなこの日の最初の仕事は近江からの報告書だった。
「人は正直なんだろうね」
近江、主に六角領の近況報告だが、織田領との交流促進の成果が如実に出ている。改革に従わない勢力には利益分配がされない尾張流賦役などで反発していた、近江の寺社、国人、土豪たちも想定より反発が少ない。
寺社、こちらは宗派とか規模により様々だが、総じて言えるのは妥協を前提とした話し合いを六角と始めていることだろう。
伊勢無量寿院、伊勢神宮、熊野三山の一件などで、意地を張っても誰も助けないと察したらしい。中には積極的に尾張と伊勢や近江との商いに関与して、利益を上げている商魂たくましい寺社もある。
願証寺方式と言うべきか。坊主自ら品物を買い付けて運んで売る。銭は不浄だとか商いを見下していた寺社が、そんなことを自らするとはね。
織田と六角で決めたルールに従うならば、お金儲けをしてもいいと気付いたんだ。あとは面目やらなにやらと障害もあるが、それぞれに理屈をつけて動いている。
北畠が一足先に関所開放しちゃったからなぁ。六角でもそれに続けと関所の整理と開放に向けて話し合いが始まっているんだ。六角領にある寺社、その話し合いに加わったところが結構ある。
決まったことで後から交渉するより、中に入ったほうがいいと判断したんだろう。
「人、品物、銭。近江と尾張の間で凄まじいほど動いてございます」
湊屋さんが唸るほど、近江は強かだ。
結局のところ、畿内に従い関わるよりも尾張と伊勢と関わったほうが利益になる。さらに北畠が斯波と織田と共に存在感を示していて、よくよく考えたら自分たちはそっち側の立場だと理解した者たちが三国同盟の利益を得ようとしている。
「比叡山向けの荷を少し増やしたからね。近江でこちらと対立する神輿がいなくなったこともある」
それと近江と京の都の間にある比叡山延暦寺。奥羽の始末の際に比叡山が折れたことで、見返りとして比叡山向けの荷を増やしたんだ。
その結果、尾張とあまり縁がなく一定の距離を置いていた比叡山が敵対しないと、周囲も見たんだろうね。
無論、そこには前提条件として、義輝さんの権勢が強いまま安定したこともある。
対立軸がほぼないことで、六角領と近江も織田の経済圏の恩恵が誰の目から見ても分かるほど回り始めたんだ。
「不満はあっても、動ける。動く者は今のところいないですね。上様のおかげでしょう」
エルの言葉にみんなが頷いた。強い将軍、この影響がこちらにも物凄くあるんだ。当人は今も砂上の楼閣だと考えていて、それも間違いじゃない。
ただ、ここまで安定すると、かつての足利将軍と別物として周囲も見ている。おかげで尾張御幸なんかで上がり始めていた朝廷の権威はまた下がり始めたけど。
朝廷の権威あっての足利将軍のはずが、三国同盟の力あっての足利将軍となりつつある。
当然ながら、形式として朝廷はその上にいるという形は変わらないものの、尾張と朝廷の関係悪化は最早、有名な話だ。そんな朝廷の権威から距離を置く尾張が、争いがない豊かな国になりつつある。
世の中の争いを鎮めているのは朝廷ではなく武士だとなると、どうしても朝廷や寺社の権威は下がってしまうんだよね。
近江、もっと拗れるかと思ったところもあるが、すんなりと変わりそうなんだよなぁ。
懸案だった北近江三郡の六角領、あそこも浅井久政さんが三郡代官として復帰したことで落ち着いた。
細かい課題は探せばいくらでもあるが、この流れが出来たことは大きい。
先代の定頼さんが最後に見ていた形が実現しようとしている。そんな気がするね。
Side:太原雪斎
雨の降る中、光殿が往診に来られた。
「うん、お体は悪くないよ。ただ、お勤めはほどほどにね!」
あれから数年、政が出来るのではと思えるほど体の具合はいい。もっとも、わしが政をすることは二度とないが。
武田、小笠原との婚礼も済み、もうわしが出るべきことなどない。
「次は関東でございますな。前古河公方様が動かれておるとか」
往診の礼にと茶を淹れて振る舞うと、しばし思いのままに話をする。尾張においても、内匠頭殿と奥方衆は別格。故に、話すのが楽しみとなっておる。
「五山の僧も口が軽いみたいだね~」
そう、わしのところには、今でも五山の者から文が届く。それ故、近江や京の都のことが聞こえてくるのだ。
五山は拙僧がいた頃も今も、俗世に穢れるばかりか、私利私欲に溺れた者が多くおる。東国を見下し、拙僧のことも見下しておった者らが、手のひらを返したようにすり寄る文を寄越してくる。
すべては斯波と織田に伝手を求めてのこと。利に敏いだけにかような動きだけは早い。
「ご推察の通りでございます。故にいかにするのかと気になりましてな」
「私たちのやることは変わらないよ。今も昔も。雪斎禅師なら理解しているんだろうけどね」
子がおる母とは思えぬ若さの光殿が、年相応の顔をされた。
「我が殿とエルたちと知恵比べを出来たのは雪斎禅師くらいだもの。残念ながら五山の方々は今のところ、その相手じゃない」
知恵比べとは、面白き言い回しをされる。確かに織田と対峙した日々は拙僧の誉と言われるようになったがな。
俗世に穢れたばかりか覚悟もない五山では、最早、相手にならぬか。
「光殿だから明かせるが、苦しき日々でございました」
「私たちも真剣だったよ。みんなで悩んだもの。雪斎禅師が私たちの考え方を知るとどう出るのか、怖かった」
怖かったか。拙僧も怖かった。いかに動いても今川家が滅ぶ先しか見えなんだからな。
流れゆく世を見定め、その中でいかに生きるか。今川家をいかに残すか。ただその一点にすべてを懸けた。
「でもね、雪斎禅師と対峙した日々は確実に私たちの力になっている。それだけは言える。あの頃と比べると関東であっても怖くないもの」
……わしはもう政も戦も出来ぬが、わしが生きた日々は今川家と御屋形様ばかりか、久遠家の中でも生きておるのか。
「見えておる道は同じかもしれませぬな」
「同じだと思う。若い子たちを育てながら見ていて。みんなが生きた時が無駄じゃなかったって証明してみせるから!」
ふふふ、もうわしでは敵わぬな。
されど、これでよいのであろう。わしが天より与えられた役目は果たした。
あとは太平の世が続くように、この命ある限り、祈り育てることとしよう。














