第二千百七十三話・梅雨を前に
Side:久遠一馬
四月半ばとなった。そろそろ梅雨の頃だ。
一部地域では天候不順などで麦の収穫があまり期待出来ない地域もあるが、それは例年でもあることだ。まだ飢饉と言える状況ではない。
そんな現状だが、新しい動き。前古河公方である足利晴氏さんのことについて、ウチのみんなで話をしている。
関東に嫌気が差して戻る気がないのは以前にも報告があったが、本格的に動き出した。政治的な動きはしておらずあくまでも人脈づくりの範囲内だけどね。
ただ、古河公方家の前当主が動くといろいろと影響が大きいから、こちらも注視する必要がある。
「意外に食えない御仁だね」
失礼な話だが、元の世界の歴史を参考にするとあまり評価していなかった人物だ。無論、評価が低かったわけではない。彼の状況と立場だと、史実から大きく外れる可能性は高くないと見ていたんだ。
まあ、そんな人もいる。北信濃の村上さんとかもそうだしね。
「名門らしいお方とお見受け致しまする」
望月さんの言葉が一般的には一番適切だろう。そもそも親子兄弟で争うなんて珍しくないしなぁ。
「息子たちに不満なのかもしれないわね」
メルティがそういう判断したわけは、三男を近江に呼ぼうとしていることだろう。その根回しを始めている。勝手に動くと疑われるからね。世話をさせるために三男を呼びたいと根回ししているんだ。
「もっと意地を張ると思ったんだけど」
「相手によるかと。北条相手ならば意地を張りましょうな。近江の様子と奥羽のことを知り、尾張相手に意地を張るのは愚かとなりまする」
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれないということか。
どこも強かだよね。越後も含めてさ。
ただ、幸か不幸か。晴氏さんの動きは関東騒乱の鍵を握ることになるかもしれない。
関東といえば長尾景虎だが、彼に関しては史実ほどの名声はないし実際に信濃方面への戦がないことで大人しい。上野には出ているが、こちらも正直、義理程度でどこまで北条と戦う気があるのか定かじゃない。
当然なんだけど、騒ぎを大きくしない程度に出兵している。そういう動きは戦をすること自体が上手いんだと思う。ただ単に戦好きな可能性すらある。
もう少し言うと、越後長尾家では上杉憲政と家臣、正直、そこまで歓迎されていない。そもそもあそこも過去に因縁があるからね。それに主家は越後上杉であって山内上杉じゃない。
状況的に若狭の細川晴元に似ている。あっちも歓迎されていないし。出ていってほしい雰囲気は出しても当人たちが出ていかない以上、追い出すまでは出来ていないんだ。
ほんと、言い方は悪いけど、家や個人の意地と面目のために世の中が乱れる。中世の悪いところだとしみじみと思う。だからといって元の世界がいいとも思わないが。
Side:イザベラ
仁科三社が慌てているわ。仁科家だけが許された。そう見えることが理由でしょうね。
結局、寺社は厚遇するもの。武士の上位に置くものという意識が今も強くあることがはっきりしたわ。許されるなら先か少なくとも同時だろうと考えて大人しくしていたと。
騒がれても面倒だし、諏訪殿を通じて家臣と寺社の違いを伝わるようにしたけど、はいそうですかと納得して寺社の本分に戻ることはないようね。
とはいえ、こちらが取り付く島もないことは察していて、仁科家との和解に向けて慌てて動いている。
「信濃衆は安堵致しておりますな」
ただ、小笠原殿の言葉が信濃の現状になる。仁科が許された。安堵している者たちが多い。もともと仁科家は不義理を働かれた側なのよね。長年、仁科三社を支えていたのに。
実のところ仁科騒動はそこまで信濃で重きを置かれていない。目安箱なんかには、むしろ仁科に関する書状なんてほとんどないわ。
賦役への嘆願と、農業関連の献策、俗説通説などの警告など、自分たちの身近に関するものがほとんどなのよね。
意外に多いのは農業関連の献策かしらね。経験や勘を含めて貴重な意見が結構あるわ。皆で食えるようになろうと思ってくれる人がどんどん増えている。
ただ、信濃農務奉行も頑張っているけど、地域ごとに分かれた生活圏である信濃特有の問題があり人員が足りていない。
正直、末端はお役人様になっている人が相応にいるらしく、ウルザたちは報告をさせつつ必要に応じて再確認をし、場合によっては旧領の代官から罷免もしているわ。
ほんと我慢強くやっているわねぇ。
「三社はもういいわよ。それより内務と農務に人を増やしたいわ。選んでおいて。出来れば民の話をきちんと聞ける人を。命じてやらせる人ではなくね」
「畏まりましてございます」
仁科騒動で信濃は織田の領地として一体化しつつある。いまやるべきは必要な部署に人員を増員することね。
目安箱に投函された書状の確認とチェックが追い付いていないわ。
せっかく一体化した信濃を再び分裂させては駄目ね。お役所仕事では困る。目安箱への対応を迅速にさせましょう。
Side:優子
南部殿を連れて私たちも尾張に来ている。先日の婚礼に出席するためよ。領国代官として私たちも出席していたの。
今回はあまり長居しないで戻る予定だけど、装甲大八車の図面と部品を持っていけることになった。
「助かるわ。奥羽だと一型が多めに欲しいわね。鉄板はこっちで造ってほしい」
「そう仰せになるかと思い、すでに手配しております」
職人衆頭の清兵衛殿と相談して具体的な話をいくつか決めていく。奥羽だと街道整備も川に橋も架かっていないのでそこまで使い道が広いわけじゃないけど、拠点防衛に使えそうなのよね。
そもそもこれ、分解して運ぶことも考慮しているから、運搬する人員さえ確保したら金色砲より戦略的には使える。
「奥羽は難儀されておられるようで……」
奥羽にも織田家職人衆はいる。故に清兵衛殿には相応の情報が入っているみたいね。久遠船の建造を計画して苦労していることに対し、いくつかの助言をもらう。
正直、尾張から運んだほうがいいってのが現状で、順次送っている。ただ、補修整備の拠点整備が必要であり、出来れば建造からしたほういい。
「あまり人の手が入っていないのよね。奥羽。夢はあるわ」
個人的には近江より夢があるなと思っている。私の場合、本職は技術者なので一から産業をつくり育てるのは楽しい。同じ技能型でも近江の秋だと政治的な動きも求められて大変みたいだしね。
「幾人か若い衆をお連れください。皆、お方様がたを助けたいと意気込んでおる者ばかりでございます」
「ありがとう。助かるわ。彼らは私が責任もって面倒見るから」
ありがたいことに奥羽への志願者が尾張では多い。無論、移住ではないものの、年単位の長期の役目を理解して志願してくれる者が、武士にも職人にも商人にもいる。
ああ、宗教関係者もいるわね。強訴もどきがあって以降、寺社からの志願者が大勢集まり、今では奥羽領で織田家に仕えている僧侶と神職が大幅増員された。
宗教的な儀式や葬儀など、現地で妥協しなくてもいいようにと頑張ってくれている。おかげで奥羽領の寺社の大半は意地も張らずに従うところが増えたわ。
東北の雄。伊達もそろそろ関わるしねぇ。装甲大八車の出番があるかしら?
知子が喜びそうだわ。














