第二千百七十話・三国婚礼・その三
Side:小笠原長隆(長時の息子)
信濃林城が落城し、父上と共に流浪の身となった日は今も忘れられぬ。一族家臣が離散してもなお、父上は居城の奪還を諦めきれず信濃を転々とした。
今だから言えるが、父上は呪詛を吐くように武田への恨み言を口にしておられた。あの父上が、武田との因縁を水に流すとはな。
織田に降ると言われた時も、正直、気でも触れたのかと思うたほどだ。
誰かが言うていたな。父上は仏の弾正忠様により救われたのだと。戯言のように言うておったが、事実であろうと思う。
左様なことがつらつらと思い出される中、奥となる娘と共に静かに三三九度の盃を交わす。礼法は久遠流だ。本来は侍女のみであるが、武衛様が見届け人となり内匠頭殿と大智殿が侍女の代わりを務めておる。
三三九度の本質は変わらぬが、今この時にもっとも相応しき形としたと言えるか。この婚礼に懸ける御三家の意志を如実に表したと言えよう。
ふと、先ほどの内匠頭殿のお言葉を思い出す。
共に歩む者として確と向き合うこと。内匠頭殿が我らに説いたのはそれだけだ。因縁や裏切りを懸念したのではない。我らの先々と子や孫のために説いたのだ。わしにはそれが分かる。
三三九度の儀が終わると、我らは誰からともなく武衛様に頭を下げた。儀礼としてではない。ただただ感謝からだ。
「良きかな、良きかな。そなたらは新しき形で各々の道を生きよ。誰憚ることない。わしが許そう」
武衛様のお言葉を心に刻む。
因縁と争いは終わったのだ。すべては過ぎ去りしことへと変わる。二度と戻ることのない戒めとして争いを語り継ぎ、子や孫たちに残そう。
それがわしの定めであろうと思う。
Side:武田義信
儀式が終わるとお披露目となる。
初日であるこの日は、領内外の名のある方々がおられる。六角の管領代殿、北畠の大御所様と御所様、今川と縁続きの中御門家、都の有力な家である小笠原家、祖父の三条家からは、それぞれ使者が参席しておる。
驚きなのは、六角北畠両家の方々は正室が同席しておられることか。斯波家も御正室である石橋御前がおり、織田家中も大殿以下、主立った者は正室と伴ってのものだ。
卓と椅子よりも、この正室を伴うことこそ久遠流婚礼のもっとも重んじるべき胆と言えよう。男も女も共に家を盛り立てる。久遠家の真骨頂だからな。
すでに日は暮れておるが、天井と柱には南蛮行灯があり、白き布を掛けてある卓にはろうそくがある故に明るい。
我らや皆の前には、白磁の皿と硝子の盃がある。いずれも久遠と織田以外は作れぬと言われる代物だ。好む者はこの白磁一枚で城を与えると言うたという噂さえある。
静かだ。まるで戦の前のように……。
宴の最初に現れたのは白いケイキだ。内匠頭殿の奥方様らが自ら運んでこられ、皆の見ている前で切り分ける。
同じ大きさと形に切るだけでも難しかろう。切り分けたケイキが皆の皿の上に並ぶ。
無言のまま静かに食すのが作法だとされるが、本来の久遠家の流儀では左様な作法がなかったと聞いたことがある。あまりの美味さに皆が黙ったことで、そうなったのだとか。とするとこれは尾張流かもしれぬな。
別におかしなことではない。久遠家もまた尾張や日ノ本の流儀を取り入れておるのだ。もともと学ぶことこそ第一とするような久遠家故、驚きどないことだ。
わしもケイキに箸を付ける。
幾度か食うたこともあるが、今宵のケイキは格別な味がする気がする。甘く柔らかく、皆を虜としてしまう。まるで久遠家そのもののようなケイキだ。
久遠家はその甘い慈悲にて変えてしまうのだ。武田を変え、甲斐を変え、異を唱えた兵部さえ変えてしまった。
わしは武官として勤めておる故、兵部とはよく顔を合わせるが、生き方も兵法も違うというのに兵部は久遠家の方々と同じ懸念を持ち、頼りにされておるほど。
若い者には憎まれ役となる口うるさい者が必要だ、とは、兵部の言葉だ。今巴殿や氷雨殿が出来ぬことを兵部がしておる。
結局、武具が変わろうと兵法が変わろうと本質は同じということだ。
戦のない世を願う故に戦に備える。久遠家もまた矛盾とも思える苦労と悩みを抱えておる。
ただ、それ故、皆が自ら動き務めるのだ。
わしもまた……。
Side:今川氏真
ケイキを食い終えると、お披露目の儀は久遠料理と共に始まった。
一の膳と言うてよいのであろうか? いくつかの料理が運ばれてくる。酒はまず金色酒だ。飲めぬ者もおるが、最初の一口は金色酒に口を付けることになっている。
本膳料理などとの違いは、そのつど料理が運ばれてくることであろう。
大智殿はすでに内匠頭殿と共にお披露目の席におる。差配は食師殿か。尾張の外ではあまり名を聞かぬが、本来は医師だとか。食と料理では大智殿を凌ぐとまで言われる御仁だ。
「……美味しい」
オレの婚礼相手である小笠原の娘、亀姫が出された汁を飲んで驚きのような声を上げた。
はまぐりの澄まし汁か。嫁入り道具としてある貝合わせと同じはまぐりだ。夫婦和合の縁起物を澄まし汁としたのであろう。こういう心配りが久遠にはある。
形に囚われず、その場にもっとも相応しきものを用いる。形式にこだわる故に形を崩せぬ日ノ本と違う。
菜の料理もある。こちらは煮凝りであろうか? 野の菜に煮凝りのようなものが掛かっておる。なんとも珍しき料理だ。
「ほう、なんという味か」
酢であろう。ただ、オレが食うたことがある酢ではない。まろやかで柔らかい酢の味だ。野の菜の味が引き締まる程度に塩と見知らぬ酢の味がする。
これは日ノ本の料理ではない。酒が進むな。見渡せば、皆が料理と酒を楽しんでおる。
もう少し量がほしいなと思うくらいしかないのは、次に出てくる料理のためであろう。
「白い汁と白い魚?」
次に出された料理に亀姫が驚いたのが分かる。白煮の類の汁と白い魚のようなものと、飯椀が出てきたのだ。
白煮は久遠料理として知られておる故、オレも食うたことがあるが、こちらは……。うん? 横に置かれておるのは木槌か?
「そちらの魚は木槌で叩いてください。塩釜焼きという料理になります」
ああ、織田家中の者は存じているようだ。内匠頭殿が改めて料理について教えると、皆で木槌にて白い魚をこんこんと叩いておる。
中から出てきたのは……、見知った鯛か!
白で合わせたのは源氏の白であろうな。今川も武田も小笠原も同じ源氏に変わりはない。縁起物を用いつつ、皆、祖先は同じ源氏であると改めて示したか。
料理ですら考えさせる。茶の湯もそうだが、久遠とは常に考えることを求め、考えることを楽しめるようにとしているのかもしれぬな。














