第二千百六十六話・自分の道
Side:仁科盛康
捨ててしまえか。父上より受け継いだものを捨てるなど、容易く出来ることではない。されど、お方様の言い分は間違いでもない。
ただ、家の存亡の機となった時、捨てることが出来た小笠原と、出来なんだわしの違いは分かった。わしは大膳大夫殿に劣るのだと知ることが出来た。
その大膳大夫殿からは、諭すような文を頂いた。もう十分意地を張ったであろうとな。冷遇はせぬ故、すぐに尾張に来いともあった。
正直、己が罪を認めず役職を寄越せとごねたように思われとうないが、死罪になっても誰も庇わぬようなわしと仁科のために、居場所を新たに用意してくだされた方々の面目は潰せぬ。
菩提寺と祈願寺に事情をしたためた文を出して、尾張に行く支度をしておる。三社が騒ぐ中も相応にしてくれた両寺に不義理は出来ぬ。貯めていた銭を寄進し、特に菩提寺には代々の墓がある故、あとを頼んだ。
信濃には墓参り以外で戻ることはあるまい。そう思い、必要な品はすべて持っていくことにした。
倅らと残った一族郎党は此度の沙汰に安堵しておる。誰一人異を唱えることなく支度をしておる。
生まれ育ったこの地を離れることは辛きことなれど、清洲の武衛様や織田の大殿を怒らせた神宮と熊野との和解があれば、わしと三社に沙汰が下ることもありえる。
責を負う覚悟はある。されど、願わくは家と倅らには生きる場を残したい。いずれにせよ、この地を捨てて尾張に行き、倅たちに織田の下で働かせたほうがいい。
「信濃は皮肉な地よな」
「殿……?」
「勝者も敗者も信濃を去った。争わぬ者でなくば治められぬ地なのかもしれぬ」
鎧兜など尾張に持っていく最後の品を先に送り出し、あとは引継ぐ者を待つ最中、なにもなくなった城内を見てそんな言葉が出てしもうた。
「憎しみと因縁は置いていくとしよう」
願わくは、己の意思で政なり戦なりをしたかった。それだけは僅かに悔いが残る。小笠原を追い詰め過ぎた父上の不手際の始末だけで今まで生きておったからな。
倅や家臣らと共に最後に城に手を合わせて、心の中で今日まで生かしてくれた礼を述べる。
ちょうど引継ぎの者が来たようだ。明日には出立だ。
ようやく、ようやくわしは父上の始末を終えて己が人生を歩めるのかもしれぬ。
Side:久遠一馬
仁科とは関係なく、甲斐信濃の報告書がある。農作物の取れ高の報告書だ。
今日は農務奉行の勝家さんと一緒に、甲斐信濃の農業政策について意見交換をしているんだけど、勝家さんの表情が渋い。
「誰が治めても苦しき地は苦しいということか」
愚痴ではない。若干だが、前向きな様子でそう語る勝家さんは農業政策に向いているなと今更ながらに思う。
武田が治めようと小笠原が治めようと織田が治めようと、作物の取れ高はあまり良くない。そもそも治める人によって天候や天災が変わるかと言われると、変わらないと織田家重臣なら誰でも知っていることだ。
十年余りで蓄積した経験や結果があり、甲斐信濃では寺社が日記として残していた天災などの記録も取り寄せてまとめているしね。
「甲斐はこのまま米を減らしましょう。南蛮米を持ち込むとマシですけど、いずれにしろ風土病がありますし」
甲斐に関しては毎年、段階的に米の作付けを減らしている。風土病対策で強制疎開もあったことで今年は全盛期の六割に減らした。
残りの四割は粟・稗・大豆・蕎麦などを中心に作物が偏らないように植えているものの、物価統制や食料援助、賦役などの公共事業をトータルで見ると真っ赤の大赤字になる。
その割に成果が出ていないんだよね。ただし、史実や過去と比較してみると、飢えてないだけ状況は好転している。
「信濃もこれ以上、大きく変わることは望めまいな」
「手を入れると農地になるという報告はあるんですよね。その有力な仁科の地があの有様ですから……」
山間の盆地だからね。信濃も。濃尾平野と比べると効率は悪い。食料生産と効率だけ考えるなら過疎地を切り捨てて人口の集約をしたほうがいいくらいだ。
もっとも、有史以来、多くの人が苦労して切り開いたのが現状なんだ。そこを安易に捨てると、平野部で開拓を終えた頃に再度一から入植する苦労が待っている。
さらに代々土地を守り生きてきた人から土地を取り上げているのが織田であり、要りません。捨てますとはなかなか言えない。言っては駄目なことだ。
「身の丈に合う治世が必要です。甲斐信濃はこのまま長い目で見ていかねばならないでしょう」
「大智殿の言う通りであるな。領地を与える世が終わったばかりだ。この先、百年後を見て動かねば」
甲斐信濃の赤字はもう仕方ない。元の世界でもそうだけどね。地方をきちんと見ると、中央が一定の負担を背負うことは必要だ。勝家さんもそれを理解している。
実際、甲斐信濃あたりでも、一時の利益だけでいいなら鉱山開発とかしたほうが利益は上がる。ただ、そうしないと生きていけない現状でない以上、街道整備、治水と農地整備が先なんだよね。
尾張には放っておいても各地の金銀銅が集まるし。
ちなみにウチが織田家に最初に提示した利益である、銀塊と銅塊から金を抽出することだが、今でも続いていて利益が出ている。
倭寇や大陸の密貿易商人は、さすがにその事実に気付いていると思われ、日ノ本の銀塊や銅塊の値段が昔ほど高くなくなったけどね。
集まった金と銀は織田家で金貨銀貨に鋳造して、工芸品として褒美なんかに使っている。あくまでも工芸品だ。貨幣じゃない。
今では貨幣と同じように流通しているけど。工芸品という体裁は変わらない。時代的に布とかも貨幣の代わりになった過去があるしね。貨幣かどうかにそこまでこだわる人はいないけど。
清洲城や那古野城の金蔵には、褒美用の金貨銀貨と織田銀行の支払い保証用の銅銭が山のようにある。比喩ではなく実際に木箱に入れられて山積みだ。地震とかあったときは危ないから近づくなと命じているほどの量だ。崩れて巻き込まれると命が危ない。
金貨銀貨、あと織田手形。これに関しては事実上の貨幣紙幣として、織田領以外にも出回っている。畿内では偽物もあるが、発覚した時点で関係する上位の者に警告して潰している。
堺と土岐頼芸が偽手形で破滅したことは知っているからね。見つかったら開き直るところはほぼない。新しい偽造先が出てくることもなくならないけど。
この辺りは経済の情勢を見極めながら動いている。織田手形の流通換金は今も領内で限定しているものの、以前ほど厳しく流通制限をしてはいない。出来ないというべきか。
当然、偽物は換金しないが、偽物が知らない人の間で回しているのはチェックのしようがないし、織田で余所のために手間をかけたくない。
それにあまり厳しくすると畿内の貨幣経済が狂っちゃうしね。石高制になったりすると、あとで畿内を併合する時に織田家で苦労するだけだし。
少し話が逸れたね。ただ、今の清洲はもう尾張と近隣だけ見ていればいいわけじゃない。総奉行となると日ノ本の全体を見ることが求められている。
勝家さん、史実ほど武功がないけど、家中の評価は史実と同様高い。














