第二千百六十四話・切れぬ縁
Side:ジュリア
武官衆の評定。いわゆる会議だね。上座には軍務奉行である孫三郎様がいて、教導奉行としてアタシはそれに出ている。
武官だけじゃない。関係する文官も出ているし、家老衆もいる。今日の議題は近江御所の守りと戦略になる。
六角が求めたら後詰めを出さないといけない。そのためのシミュレートと支度はすでにしてある。ただ、こうして変わりゆく情勢を新たに加えて近江防衛の検討を定期的にしているんだ。
「地図を見ると不破と鈴鹿で守れる領内とまったく違いますな」
「今まで手を出さなんだ理由がそこだからな」
とはいえ、武官たちの近江防衛に対する士気はそこまで高くない。六角が求めるならば助けるという意思はあるけど、そもそも公方様と足利家への信頼も微妙と言わざるを得ないんだ。
菊丸の素性を知り、その苦労と配慮を理解している者たちを除くと、朝廷や畿内の寺社よりは信頼出来ると考える程度だ。雲の上の存在だからね。嫌うほどでもないけど、血を流して守りたいと言えるほど忠義があるわけじゃない。
司令とアタシたちの政策の影響もあって、内向きになりつつあるからね。織田家は。内部のことだと立場や地位を越えて積極的に励むが、一方で外の権威に対しては関わりを避けようとする者が増えている。
「装甲大八車は出すべきではなかろう。内匠頭殿の配慮と忠義は素晴らしきことなれど……」
「配慮に配慮を重ねた朝廷や神宮の現状がな。公方様とて……」
評定衆でも否定的な意見が多かったけど、こっちでも同じか。いや、評定以上に賛同する者がいない。
大八車自体、一部で真似しているところがあるし、荷車とかは昔からあったもの。尾張の大八車は一部に鉄を使うことで長持ちするってだけだからね。
装甲大八車も、その気になると真似することは出来るんだけど。
こりゃ、この件は無理だね。武器の提供どころの話じゃないよ。根本的な信頼関係構築のために、上様の尾張訪問を増やしたほうがいいかもしれない。素性が露見する危険より信頼関係が築けていないほうが怖いよ。
あとでエルに言っておこうかね。
Side:小笠原長時
七つ半を前に本日の役目を終える。
暮れ六つまで働くと、役目を終えよと見回りが来るからな。その前に終わらせねばならぬ。
内匠頭殿らはおおらかで無形を好むが、働きに関しては厳格だ。働き過ぎをなにより戒める。おおよそで理解しつつあるが、それでも変わったお方だと思う。
城を出ると、そのまま馬車で那古野に向かう。今日は夕餉に招かれておるのだ。なにやら話があるとか。おそらく信濃のことであろうがな。
尾張でもまだ数が少ない硝子窓のある馬車から外を眺める。
「穏やかだな」
田畑から家路につく者らを眺めるのも悪うない。かつては民など気にも留めたことがなかったというのにな。
内匠頭殿の屋敷は子らの賑やかな声が聞こえる。
「おがさわらさま!」
「皆、久しいの」
子らに忘れられておらなんだことに安堵する。この先いかになるか知らぬが、顔くらいは覚えておいてもらいたいものだ。
庭には畑と花が植えてある。わしも白牡丹を育てておる故、通じるところがある。今年も無事に育ってほしいの。
「お呼びたてをして申し訳ない」
「いや、なんの。お気になされるな」
内匠頭殿は相変わらずか。とはいえ、出向かれても内匠頭殿を歓迎するのは楽ではないからな。呼ばれる方がいい。
「ちーちたちは少し役目の話があるから、向こうで遊んでおいで」
「はい!」
甘える子らがおらなくなると、内匠頭殿と大智殿のみとなった。
なんだ? また厄介事か?
「これはまだ大殿の耳にも入れておりませんが、実は仁科殿が隠居し子らと共に出家して信濃を出たいと願い出たそうです」
あの愚か者め。
「何故、大人しゅう出来ぬのだ。御家を巻き込み、神宮と熊野まで巻き込んだ騒動となったというのに……」
いくら仁科とはいえ潰されるぞ。武衛様は臣下の御家騒動などの騒ぎを嫌うというのに。一時の恥で家と職を守れるというのに、我慢がならなんだのか?
……そうなのであろうな。かつてのわしも仁科と同じように守護の役目を投げ出した。仁科だけ責められぬか。
「それでですね。ヒルザが仁科家の役目を旧領の代官から変えてはいかがかと考えています。こちらがヒルザと弟殿の書状になります」
代官殿と弟は仁科を信濃から離したほうがいいと見たか。確かに悪うないな。
「いかが致しますか?」
「一切、承知致しました。某は代官殿にすべてを委ねておりますれば」
「では仁科殿の移動先ですけど。大膳大夫殿があまり側に置きたくないなら、会わない役目を探しますが、お望みはございますか?」
それでは配慮を受け過ぎだ。申し訳なさすぎて苦笑いが出てしまう。
「いえ、こちらで面倒を見まする。武田と今川との婚礼も近い。仁科だけ因縁を残してはすべてを台無しにしてしまいまする故」
来月には武田と今川と婚礼がある。仁科はそれを見越して、言い出したのであろうな。己だけ見捨てられたと思うておろう。
「分かりました。では仁科殿には上手く言うように文を出しておきます」
「わしからも文を書いておきまする。共に届けてくだされ」
あの愚か者に教えねばならぬ。我らが生きておるのは大殿や内匠頭殿の慈悲があるからだと。あやつは知るまい。内匠頭殿と代官殿がこれほど配慮をして気を使うてくだされておることを。
信濃に残したわしの家臣も弟の家臣も、誰も教えてやらぬのであろう。それだけ憎んでおったのも事実。
されど、もう因縁は終いにせねばならぬ。
「まことに申し訳ございませぬ」
「構いませんよ。意地を張るのも武士ですからね。誰しも許せないことはあります。私たちだって……」
それはそうだろう。されど、分を弁えねばならぬのだ。
愚かにも代官殿の下命を守らず騒ぎを起こして、神宮や熊野まで巻き込み大騒動を起こした。その始末すら終えられぬ現状で己だけ隠居して出家などされてみろ、代官殿が困ると何故分からぬのだ。
「では夕餉に致しましょうか。こちらに運ばせますのでしばしお待ちください」
「いや、久遠の流儀のままに皆と一緒で構いませぬ」
「畏まりました。では案内致します」
少しいかんともいえぬ場となったが、大智殿が話を終わらせてくれた。
いくら話しても心晴れることではないからな。納得するしかあるまい。わしも仁科もな。














