第二千百五十九話・美濃訪問・その五
Side:滝川秀益(慶次郎)
まだ夜も明けておらぬ頃、周囲を警護している忍び衆から報告を受ける。常ならば他の誰かがやるのだが、此度はその役目がオレに回ってきた。
「引き続き役目に励め」
周囲に懸念はない。忍び衆や警備兵が、此度の美濃訪問前から近隣の不逞の輩など捕らえておるからな。
「慶次郎殿、素破を捕らえなくてよいのか?」
ただ、此度の旅で供をしておる金次がひとつの知らせを気にしておった。畿内者の素破と目を付けておる者が周囲におることだ。
「見ておるだけならばな。あの者の中から寝返る者が出るのだ」
素破は始末せずともよいのだ。織田と久遠を知れば知るほど寝返るのだからな。謀らずともあの者らの雇い主やなにを探らせておるかなど知ることが出来る。
人を人として扱うことこそ御家の強みだ。徳だなんだと口にする高徳な僧ですら、我が殿には遠く及ばぬ。
「言われてみれば……」
「いずこも久遠の知恵を欲するあまり理解しておらぬのだ。己らと我が殿は器が違うとな」
彼を知り己を知れば百戦殆からずだったか? 一廉の将ならば、織田と久遠を知ろうとするのは正しいことであろう。されど、端の身としては上の者の勝ち負けなどいかようでもいい。己と一族が生きていける者に従いたいのだ。
つまり敵の臣下や民に知られれば知られるほど、織田は優位となる。
無論、油断は許されぬがな。
なにを見せてなにを見せぬのか。そこまで考える。難しい役目だ。
Side:エル
朝、起きてすぐに温泉に入れるのはいいですね。
いつもならば朝食の支度をしている頃でしょうか? 料理自体は好きなので苦ではありませんが、たまには朝から温泉に入ってゆっくりするのもいいですね。
「ら~ら~」
気分がいい様子のラクーアが歌い出しました。
尾張に常駐していないものの、彼女の歌は評価が高い。すずとチェリーがこの時代にない歌や音楽を広めてしまいましたが、楽器で音を聞かせるように歌声自体を聞かせるというものは、この時代ではなじみのないものですから。
ただ、ラクーアは自身の歌の価値を決められることを嫌がっています。あくまでも自由で、勝手気ままに歌うことが望み。
形を作り価値を決め権威や地位を定める。人の社会では当然のことを拒絶しています。大殿と守護様がそれを良しとし、一切求めないことで今も自由に歌いたいときに歌うことを続けています。
そういう意味ではすずとチェリーと気が合うのですよね。シルバーンでは三人は何時間もカラオケを楽しんでいましたから。
「しかしまあ、ここまで問題がないとただの観光になっちゃうなぁ」
「いいではありませんか。顔を見せて民が励んだことを喜ぶのも上に立つ者の仕事です」
うふふ、司令は満足げでありながら少し拍子抜けした様子ですね。セレスがそんな司令に笑みを浮かべつつ、今回の視察の意義を語っています。
今までは余裕がなくあまり出来ませんでしたが、これからは領内を巡ることも必要でしょう。遠い世界の為政者ではなく、共に歩む者として為政者が姿を見せる効果は確かですから。
若殿と若武衛様にとってもいい経験になるはず。
織田家はそろそろ次のステージを目指していい頃ですから。私たちは共に歩みつつ、少しだけ先を示す。そのくらいでいいはずです。
Side:久遠一馬
今日からは長良川の視察をして、斎藤正義さんが代官を務める金山城まで行く。
今回は行く予定がない揖斐川を含めた木曾三川は、今も河川の整理改修や堤を築くなどしている。特に濃尾にある数十にも及ぶ輪中となる土地はなるべく解消していきたいしね。
さて美濃の流通だが、こちらはこの時代と同じ河川での輸送と馬借がメインだ。織田領では関税が廃止されていて、治安の回復などもあって流通は円滑に進んでいる。
もっとも東美濃などにある人口密度も高いと言えない地域へ物資を届けるのは、苦労も多いが。
「やっぱり街道整備がもっと必要だね」
近くに東山道があるが、今回はあえてその道を使っていない。
井ノ口と周辺はいいが、そこから離れると開発が進んでいると言えるほどじゃない場所がみられるようになる。東美濃なんて言うまでもないだろう。
東山道はだいぶ整備したんだけどね。
「川よりもか?」
悩んでいると信長さんが声を掛けてきた。正直、どっちも必要なんだよね。どっちをどうやるか。大きな街道以外はどちらかといえば河川関連の賦役を優先していたけど、細かい街道の整備も増やすべきかもしれない。
「詳しくは帰って検討してみないとなんとも言えませんよ」
朝廷や寺社の面倒を見るより、賦役をやるべきだって意見は年々増えている。領内を見るとそれも正しいんだよね。この十年で尾張や美濃の街道と河川はかなり変わった。
自分たちの国をよくしようとみんなが熱心に考えて、投資という制度もあり領内の寺社なんかも賦役に資金提供するところがある。
朝廷に献上品を送った結果が御幸であり、上皇陛下の蔵人、極﨟による横暴な振る舞いだったからなぁ。
悪いとは言えないが、この時代のシステム、上に行けば行くほど地方や下の者に冷たい。それが武士の台頭や争いになったのにあんまり改善されないまま、朝廷が没落しつつある。
東国軽視、この世界では朝廷の最大の失策と言われそうだね。
「この地の者は、私たちが来るからと随分と励んでくれたようですね」
「ええ、本当に歩きやすいです」
少し歩いてお昼となる頃、エルとセレスが休憩しつつそんな感想を口にした。
道中、でこぼこがないようにと新しい土で埋めたところなどが随所にあったんだ。今回は馬に乗っての移動だけど、そういうところは見えるんだよね。
賦役としてやったところもあろうだろうが、地元の人が好意でやってくれたところもあるだろう。
休憩する場所には餌や水などが用意され、オレたちにも飲み物や握り飯がいつでも食べられるようにしてくれていた。
美濃と尾張の対立、それがわずか十年にも満たない年月で、ほぼ解消したのは奇跡に思える。
「ここもちゃんと食べられていましたわ」
村に到着早々、村の食料事情を確認に行ったセルフィーユとラクーアが戻った。村でも貧しいほうの家に視察に行ったみたいだけど、思ったより良かったらしい。
未だに村の中の差別が横行していて、お前だけは別だという扱いもなくはないからなぁ。
「寺で子供たちに学問を教えていたけど、熱心だったわ」
ああ、ラクーアはそっちに行ったのか。学問と医療の末端である寺を中心に飢えることなく営んでいる。現状だとモデルケースにしたいくらい上手くいっているらしい。
とりあえずこの地では戦乱が終わったと言えるくらいに安定していることを見られたのは朗報だね。














