第二千百五十八話・美濃訪問・その四
Side:ラクーア
ケティやセルフィーユって、身分とか関係なく動いちゃうのよね。もちろん司令が視察に来ることは事前に知らされているはず。
ただ、調理場や厠などまで見られるとは思わなかったでしょうね。セルフィーユがひとつひとつ確認している様子を、店の者たちは不安げに見ているわ。
「よくやっていますね。今後もこのまま励んでください。くれぐれも油断しないように」
「ははっ、畏まりましてございます!」
セルフィーユの表情が緩み褒めると、店の者たちがホッとしている。こういうとなんだけど、領民も商売人とかは真面目よね。手洗いや消毒はきちんとしているわ。
料理も悪くない。季節的に山菜が出回っていることで、川魚と山菜を出していて評判もいいみたい。
「お酒とか醤油とか足りている?」
「はい、それはもう。初めて訪れる余所者が羨むほどでございます」
私はあまりすることはない。セルフィーユが時々やり過ぎるからブレーキ役を頼まれたけど、特に問題ないし。ついでに末端への流通状況を確かめるけど、こっちも問題ないわね。
ほんとみんなで結束して励むというの? 司令の元の世界より確実に上だと思うわ。
そのまま食糧事情の確認と衛生管理、それと遊女の労働環境も確かめるけど、どこも問題ないわね。
ああ、問題があるとすれば、悪銭鐚銭で支払おうとする者と揉めることかしら。相手にもよるけど、貧しいようには見えない者が平然と悪銭鐚銭で払いをしようとすると拒否することもあるみたい。
織田家でも悪質な者を拒否することは認めているし、訴え出ると警備兵が駆け付ける。それを喜んでいるわ。
Side:斎藤正義
やはり久遠家とは別格なのだと教えられる。近衛の父上が、並ぶ者なしと認めるだけはある。
命じるだけではないのだ。常ならば気にせぬようなことまで確かめ、そこから民の暮らしや諸国の様子を読み解いてしまう。
「良かったら帳簿を見せてもらえないかな?」
「はっ、すぐにお持ち致します」
もっとも大きな温泉宿に来ると内匠頭殿は帳簿を求め、大智殿や臣下と共に確かめておられる。あくどいことなどしておるまいが、内匠頭殿に検分されると店の主の顔色は悪い。並みの者ならば銭の無心かと疑われるところだが、久遠家が左様なことをせぬことは承知しておろうな。
「ちゃんと利が出ていますね」
「だね。大口の客が多い。これなら、もう少し高い酒と料理を置いてみてもいいかも。いい品を揃えて、手間をかけた料理とか出してみるといい」
なにを言われるのか聞き逃さぬように、わしと美濃文官衆が見守っておると、大智殿と内匠頭殿は商いの指南を始められた。
文官衆の中には驚いておる者もおるな。ただ、今日の紙市の時から内匠頭殿らは常に民に親身になり指南しておられた。皆が久遠を信じる理由はこれかと身を以て知らされた。
そういえば美濃や尾張の遊女屋の酒と飯が、昔と比べて格段に美味くなったと聞いたことがある。あれも久遠家の指南の賜物か。
奪うのではなく与えるのが織田だとよう言われるが、その内情がこれほどとは余所者の多くの者は知るまい。
十年余りでここまで民を変えてしもうた。まさに並ぶ者なき働きと言えような。
Side:久遠一馬
いや、この日は満足のいく視察だった。三田洞温泉には高級宿から庶民的な宿までいくつもあって、それぞれで趣向を凝らして頑張っている。
ただ、高級宿のメニューが少し寂しいなと思ったので、もっと高級品を揃えることを助言しておいた。どうも身分とか気にして遠慮しているように思えたからね。
セルフィーユたちのほうも大きな問題はなかったらしい。オレたちは軽く食事をして長良川に移動した。
長良川の鵜飼。元の世界でも残っていた漁業だけど、見たことないんだよね。
漁師さんたちはオレたちに見せるために待機していた。なんか、偉くなって接待を受けている気分だ。実際、そういう身分なんだけど。こう接待をされてこういうのを見物するってあまり経験がないからなぁ。
「おお、まことに鵜が魚を獲っておるな」
義信君も初めてだ。闇夜の中、かがり火を焚いてする鵜飼の漁を楽しんでいる。
こういう伝統的な知恵って凄いなと思う。
ちなみに彼らの伝統と技術を守るための政策も実行している。鵜飼の人を一定数保つために補助金を出しているんだ。あと鵜飼見物、これを庶民も出来るように見物する仕組みを整えてある。そんな観光収入も鵜飼の人たちに入るようにした。
三田洞温泉や近隣の寺なんかに泊まって鵜飼を見物するんだ。案内と解説の人がいて屋形船とかで見物する。結構なお金がかかるはずが人気だと報告を受けてある。
「これは鮎寿司かな」
鵜飼いを見物しながら、鮎寿司がオレたちの前に出てきた。上物の鮎を塩でしめて発酵させたものだ。
「美味しいですわね」
「ほんと美味しい」
みんなで頂くと、セルフィーユとラクーアも喜んでいる。確かに熟成された鮎と発酵された酸味に米の味がして美味しいなぁ。長い歴史の中も残る料理って、やっぱり美味しいものが多い。
気を利かせたようにお酒も出てきたので少し頂こうか。
星空の下、かがり火を焚いた船と鵜飼が見える。ちょっと大げさにいえば大自然と歴史の素晴らしさを感じるね。
尾張と美濃あたりだと、もう何年も村同士の小競り合いすらない地域がほとんどだ。外から来る賊が出ることはあるが、戦乱の時代とは思えないようになりつつあるなぁ。
観光業が順調に育っていると実感するよ。
川船の心地よい揺れに身を任せ、今この時をゆっくりと堪能する。鮎寿司に次は塩焼きが届いた。これも美味しいなぁ。
こういうのは、かぶりつくのが一番だ。鮎の風味と味がほんと口の中いっぱいに広がる。
今度は子供たちも連れてみんなで来たいね。
◆◆
永禄五年、三月。斯波義信、織田信長、久遠一馬たちが、美濃長良川にて鵜飼を見物している。
美濃の水運や商業などの視察として訪れている中で鵜飼見物を楽しんだ。
斎藤利政の織田家臣従以降、美濃は大きな争いもなくなり、永禄年間の頃には長良川鵜飼見物が織田領の領民に流行ったという資料もある。
久遠家主導の経済・統治政策により、領民も花火や武芸大会見物に遠出することが普及し、所得向上により温泉や長良川鵜飼見物などに行く者が増えていたことが分かっている。
この時、宿泊している三田洞温泉も久遠家により整備されたもので、尾張からの旅行客が多かった。
各地では戦乱が収まる兆しは依然見えず、天災や戦により飢えや飢饉が珍しくなかった時代、織田領では長良川鵜飼見物は最高の贅沢のひとつとも言われた。














