第二千百五十七話・美濃訪問・その三
Side:織田信長
紙市におる商人や職人が驚き、一斉に控えた。賑やかな市が静まり返ったわ。かような扱いは久方ぶりのような気がする。
尾張だと公の場以外で、ここまで控えることは稀になりつつある。これは守護様が領内を見分される時に市井の民らに日頃のままにせよと命じたことで、いつの間にか左様な形になった。
無論、此度も斎藤家の文官が命じると、戸惑いつつ商いを再開した。
「ああ、駿河からいらした商人殿でしたか。此度はいかほど求めてきたのですか?」
かずは商人らに自ら声を掛けて話を聞いておる。相手は戸惑うておるが、問われたことは答えておる。まあ、これもようあることなのだが。
商人の求める紙の量や値を聞きつつ、それぞれの地へ運ぶための様子なども事細かに聞いている。同行しておる美濃の文官らがその手際に驚いておるな。もとよりかずはかようなことが得意なのだ。
「ああ、近江からいらしたとは。良かったら話を聞かせてください」
顔を青くしたのは近江枝村の商人か。もとは紙座として思うままにしておった者らだからか。もっとも相応の利と商いを許しており不満があるとは聞いておらぬ。
そもそも、かずはおかしなことをせぬ限り、相応の利を分け与えるからな。その巧みさは誰も敵うまい。
「内匠頭殿、紙が足りぬのでございますか?」
「いえ、そこまでは。紙はあちこちで作っていますしね。ただ、美濃紙ばかりか越前紙も多くこちらに流れていますからね。あまりこちらばかりで買い占めては不興を買うので。余所の紙を買うとかしつつ、こちらの紙をもう少し畿内に売ることは考えてもいいかなと」
案内役の大納言が恐る恐る問うと、かずは美濃衆にも分かるように話した。一馬とすると尾張で時折やっておることだがな。なにか不手際をしたかと皆が案じるような顔をしておるのだ。
「石見の紙などはこちらも欲しいですね」
エルが何気ないように他国の紙について話すと、商人らの目の色が変わった。頼まずとも石見の紙が届きそうだな。
その気になれば領内ですべて揃えることも難しゅうないほどになりつつあるが、それでは他国が困るか。寺社やら朝廷ならば頭を下げるまですておくであろうな。だが、かずらは先んじて動いてしまう。
自ら折れるかずのやり方には不満も聞かれるが、それがかずの力になっておるのも事実だ。叡山や石山が奥羽の騒ぎで譲ったのは、左様な商いの力が理由であろう。
勘違いする愚か者も時折現れるが、まあ、大勢に障りはない。
side:久遠一馬
思ったより状況は悪くなかったね。もう少し他所の紙を買いつつ美濃紙を他国に売る必要はあると思うけど。
職人たちの反応も悪くなかった。職人の保護政策、いろいろとやっているけど機能しているみたいだ。
まあ、どっちかというと他国は安いわら半紙がもっと欲しいらしいね。質は良くないし長期保存とかに向かないと説明しても欲しいという商人が多い。
原料が藁なので、増産も検討出来るんだけどね。ただ、藁の使い道もいろいろあって余るって時代でもない。
結論から言うと、外交問題になるほどのことじゃないので、時間をかけて検討するべきだろう。
この日の最後の視察地は三田洞温泉だ。今日はここに泊まって、長良川で鵜飼を見物する予定だ。
鵜飼は夜なのでまずは三田洞温泉に行って視察と夕食を頂く。
「また賑やかになったね」
温泉街というべきか。以前来た時よりも広がって賑わっている。湯治宿のように長期滞在向けから、短期滞在で遊ぶ遊女屋のようなものまでいろいろとあるみたい。
この時代だとちょっと旅行に行くとしても、寺社と温泉くらいしか行くところないしね。尾張からほど近いここは賑わうだけの立地なんだろうね。
「私たちは旅籠と遊女屋を見てきます」
「うん、あとで合流しよう」
セルフィーユとラクーアは医療と食糧事情の視察に別行動だ。セルフィーユは食に関して少し厳しいから、ラクーアにはやり過ぎないようにお願いしよう。ちゃんと改善策とか指導するから評判は悪くないんだけど
義信君とか視察に飽きてないかなと気にしたけど、旅を楽しんでくれているようだ。温泉の代官に説明してもらいながら視察するけど、近隣以外から来ているお客さんが思いのほか多い。
この時代だと旅行とかしても温泉か寺社しか行く先がないこともあるけど、病の治療目的の湯治や旅行として温泉に来る人が割といるみたい。
寺社もいろいろと揉めているけど、尾張や美濃はほぼ揉めてないからね。花火や武芸大会で遠出する習慣が出来たこともあって、それ以外の時期でも旅行をする人が増えているみたい。
視察をしていると、温泉宿の店先で人だかりが出来ているところがある。トラブルか? 人気なのか? まだ夕暮れ前だし混雑する時間じゃないと思うけど……。
人だかりを整理しようとする代官を制して、信長さんと一緒に覗いてみると微妙に見慣れたものが売っていた。
「鵜飼焼きいらんかね~えぇぇ!?」
うん、元気よく働いていた人がオレたちの顔を見て驚いてしまった。
屋台のような台で温泉宿の店先でお菓子を作って売っている。たださ、このお菓子って、元の世界のお菓子『若鮎』じゃないか? 元の世界にカステラ生地の中に餡と求肥が入っているものだ。
思わずエルを見るが、知らないようだ。妻の誰かが教えたんだろうか?
ただ、慶次が珍しく近寄ってきたと思ったら、耳打ちするように教えてくれた。このお菓子焼いている人、ウチの忍び衆らしい。
「凄いね。これ己で考えたの?」
「いえ、えっと、尾張の八屋にて学んでございます。尾張名物のたい焼きを模して、ここらで名の知れている鵜飼い焼きとしました」
忍び衆の表の稼業、多様化したからなぁ。お菓子職人までいたとは思わなかった。
せっかくだから食べてみよう。
「あら、美味しい」
思わずエルが驚いた。それほど美味しい。
甘さ控えめだ。砂糖とか蜂蜜は領内でもそこそこ値がするからなぁ。ただ、売れているようでオレたちも少し順番待ちして買って食べている。
さすがに中に求肥は入っていないものの、見た目は若鮎そのものだなぁ。話を聞く限り、どうもこの人がこっちに来て自分で考えたらしい。
そこまで安くないけど、行列が出来るくらい売れている。温泉饅頭じゃなくてこういうのが先に流行るのかぁ。
なんか面白いね。
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三田洞温泉名物、鵜飼焼き。
記録によると、永禄年間に三田洞温泉にて流行した菓子である。生地はカステラと近く中に餡を包んだものを、鵜飼にて獲っていた若鮎に似せたものになっている。
考案者は五郎という男だったと伝わる。尾張清洲にあった料理屋である八屋にて学んだ者が、三田洞温泉にて菓子を焼いて売っていたのが始まりになる。
後に中に求肥を入れた形になり現在に至る。
元となったのは久遠家が尾張にて広めたたい焼きであるといわれ、型となる金型が手に入らぬことから五郎が自ら焼き印などで鮎に似せて作ったものと伝承がある。
なお五郎が構えた菓子屋である『鵜飼焼き屋』は、現在も三田洞温泉にて子孫が営業を続けている。














